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琉球コラソン

琉球コラソン(りゅうきゅうコラソン、)は、沖縄県を本拠地とするハンドボールのクラブチームである。日本初のプロハンドボールチームを目指して発足。「」はスペイン語で「心」「魂」の意味。チームのエンブレムは盾をモチーフとしたデザインにしており、「堅く守る」ことを表している。琉球国王の象徴である龍が中央のハンドボールを4本のカギ爪で力強く握りしめ、クラブの堅い結束を意味しており、下の帯は進貢船の旗をイメージ。琉球の先人達が大海を渡り海外に進出した勇気を表し、チームも先人に習い、沖縄から世界に発信していくことを目標に掲げている 。チームカラーは「沖縄の太陽・情熱」の象徴である赤、「沖縄の海・冷静」の象徴である青を共存させ、調和のとれたチームであることを目指している 。2016-17シーズンユニフォームのデザインは、沖縄を代表する紅型や迷彩柄、選手達のシルエットなどを盛り込んだデザインとなっている。試合は、主にホームタウンである浦添市の浦添市民体育館の他、沖縄市体育館で行われる。それ以外では、豊見城市民体育館や沖縄県立武道館でも開催されている。トップチームのみならず、県内各小学校からメンバーを選出したジュニアチームを結成。2013年には、選抜メンバーから単独チーム体制へ移行した。2015年には、第5回西日本Jr.カップ優勝(男女)、第5回全日本Jr.カップ日本一決定戦優勝(男女)を果たし、着実に実績と力を築き上げている。また、定期的にハンドボールスクールを開催しており、地域活性化や人材の育成にも努めている。沖縄県浦添市は、1987年の国体でハンドボールの会場地として開催された実績をもっている。同市内の浦添市体育館には、ハンドボールコートが2面も整備されており、ハンドボールを行うには最適な環境が整っている。そして地元小中学校では、九州大会や全国大会で目覚ましい成績をおさめ、過去70回以上の優勝経験を保持。2004年1月17日には、ハンドボール王国都市を宣言している。2006年、当時FC琉球の運営母体である株式会社琉球スポーツキングダムのハンドボール事業部として、田場裕也を中心にFC琉球ハンドボールクラブとして創設。2007年、琉球スポーツキングダムの事業部より独立し、「琉球コラソン」にチーム名を改称。同年11月に、運営会社となる株式会社琉球コラソンが設立。2008-09シーズンより日本ハンドボールリーグへ参入。沖縄県浦添市を拠点としたスポーツクラブとなる。なお、沖縄から国内スポーツのトップリーグへの参入は、バスケットボールの琉球ゴールデンキングスに次いで2チーム目となる。その後、日本ハンドボールリーグ機構会長の市原則之が特別顧問に就任。2011年には、天然温泉アロマがスポンサーとなった。2016年9月には新たに、沖縄ファミリーマートと2016-17シーズンのオフィシャルスポンサー契約を締結した。リーグ参戦7シーズン目にして、レギュラーシーズン4位(9チーム中)に入り、初のプレーオフ進出を確定する。2015年2月28日に行われたレギュラーシーズンホーム最終戦には、リーグに記録が残る中では過去最多となる3,150人の観客が集まり、会場の沖縄県立武道館は満員となった。初の出場となったプレーオフは、2015年3月21日(土)駒沢体育館にてリーグ戦無敗の­大崎OSOLとの対戦になった。終始拮抗した試合運びを進めるものの、27-31で敗戦となり、惜しくも決勝進出とはならなかった。シーズンオフには、経営危機の解決に尽力すると共に、選手兼任ゼネラルマネジャー(GM)、代表取締役を担っていた水野裕矢が選手を引退。代表取締役社長に就任した。主力選手の引退、新戦力の加入、初の外国人選手の獲得等、チームにとって大きな転換期を迎えたシーズンとなった。通算成績は7勝9敗の6位で、2年連続のプレーオフ進出は叶わず。一方で、棚原良がシーズン145得点を記録し、2年連続の得点王と最優秀選手賞を獲得した。なお、チームの核を担っていた棚原や連基徳が海外挑戦を表明。シーズンオフには、2008-09シーズンから8年にわたって、コラソンの攻守のキーマンとして重要な存在感を発揮していた内山藤将が引退。アシスタントゼネラルマネージャー(GM補佐)として、チームを支えていくこととなった。2016年4月20日、参戦から8年間、監督を務めた東長濱秀吉が契約期間満了に伴い3月末で退任 。その後、2016年6月3日、2012年から東長濱秀吉前監督の下で、選手兼コーチとしてチームを牽引してきた水野裕紀が選手兼任で監督に就任 。シーズン開幕前には、力強いシュート力と高い決定率を強みに、大崎OSOLの日本一の原動力となった石川出がチームに加入した。開幕戦は、アウェイで大同特殊鋼フェニックスと対決。30-31で敗れ、開幕ダッシュとはならず。続くトヨタ紡織九州レッド・トルネード、北陸電力ブルーサンダーとの対決で2連勝を飾った。男子ハンドボールリーグは実業団チームが主体のリーグであり、母体企業を持たないクラブチームである琉球コラソンは、予算規模や練習環境などあらゆる面で他チームに大きく劣っていた。マイナースポーツのハンドボール、さらに経営ノウハウのないスポーツ選手が運営するチームに、当初協力するスポンサー企業は少なかった。当時は練習場所さえ確保できず、体育館を借りる資金もないため、運動場や公園を使って練習を行う日々だった。そして集客ノウハウや経営リソースもないチームは、がら空きの体育館で試合を続けることになる。2009-10シーズン途中、経営危機に陥り、運営会社の代表印と残額50万円に満たない預金通帳だけが残る事態に。遠征費などを選手全員でかき集め、残りの試合を何とか乗り切る。2010-11シーズンは、急場をしのぐため水野裕矢が選手兼任という形でゼネラルマネジャー(GM)に就任。だが、スポンサーが前年の20社余から8社に激減していたため、遠征費もままならないまま、手出しで遠征に出ることになる。選手達は、チームの窮地を自身のブログで訴えた。現状を知った人々が続々とファンクラブ会員に加入。その年のファンクラブ会員は450人と前年の3倍になり、集まった会費は約300万円。窮地に立つ選手たちをなんとかしたいという善意が、チームを首の皮一枚で救った。2011年、水野裕矢は運営会社の代表取締役に就き、本格的に経営の立て直しに取り組むこととなる。那覇市の商工会議所青年部に入り、県内の経営者らとの人脈を拡大。地道な営業活動を始め、スポンサーは15社へ拡大。その後、県内の不動産会社であるエールクリエイト株式会社がメインスポンサーに就任。2012年と2013年には、選手2人を運営会社へ加入し、営業活動の更なる強化を進めた。地道な活動を進めた結果、スポンサー企業は2012年に40社、2013年に70社に増加し、2014年には100社を超えた。選手を雇用する企業も増え、その企業がスポンサー企業になるという相乗効果も発生。経営危機の状況から脱し、盤石なスポンサー体制を築き上げた。その一方で、チケット収入についても地道な取り組みを行った。沖縄県ハンドボール協会の協力のもと、協会に登録している方には300〜500円の割引を可能とする制度を構築。現在、県ハンドボール協会に登録している人は約5,000人。この割引制度は、協会登録者を含め、競技へ関心ある県内外のファン層への訴求なども兼ねており、確実な収入源となった。また、チケットの販売方法を、ファミリーマートへ一本化。当日券の販売を含め、誰もが手軽に購入できる体制を確立した。さらに、地元テレビ局や新聞とコミュニケーションを取りながら、スムーズな広報体制を構築すると共に、チームの情勢を伝え続けた。その結果、着実に集客を伸ばし、安定的な集客体制につなげている。

出典:wikipedia

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