エンキドゥ(シュメール語: - EN.KI.DU - Enkidu) は、『ギルガメシュ叙事詩』の登場人物で、ギルガメシュの無二の親友。エンキドゥの名は知恵の神エンキ(アッカド語名:エア)に由来すると言われている。その存在価値はギルガメシュの親友としての側面が最大であるが、元々はギルガメシュに対抗できる強い者とすべく、神々が創り上げ地上に送ったとされる。地上といっても、最初はウルクから離れた野山などに住みついており、創られて早々ギルガメシュと掴み合ったわけではない。野人と言うよりは野獣で、山に住む獣たちの保護者として成立し、動物たちの言葉も理解していた。次第に人として成長していくにつれ、獣たちとの関係が疎遠になることで自身が野山に住む四足たちと同一の存在ではないのだと悟っていく。事実エンキドゥは泥土のみで仕上げられるも、その体には心臓が宿り、元野獣という過去を捨て去って人と同じように飲食し、人語を理解し、涙を流すようになる。ウルクの王ギルガメシュの暴君ぶりを嘆いた民たちの訴えを聞いた天空神アヌは、創造を司る女神アルルにギルガメシュと戦わせるため彼と同等の力を持つ者を創るよう命じた。アルルは粘土をこねて山男を創り、エンキドゥという名を与える。エンキドゥは戦の神ニヌルタによって強い力を授けられ、勇猛果敢な野人として地上に放たれた。地上に降りたばかりの頃は毛むくじゃらの体を持ち、獣と同じように草原で草を食べたり、野山で水を飲んで生活しており、知能はほとんどなかった。エンキドゥに狩猟を妨害された狩人親子の訴えを聞いたギルガメシュは、聖娼婦シャムハト(シャマトとも言う)を連れて行くように言った。水飲み場へやってきた狩人とシャムハトが身をひそめながら待機していると、3日目になってエンキドゥは獣たちと共にやってきた。獣たちは人の姿を見るなり逃げて行ったが、エンキドゥだけはシャムハトの誘惑に惹かれ、6晩7日に及ぶ「交わり」に及んだ。これによりエンキドゥは、体内にある過剰なまでの精を吐き出し野人性を失ったが、代わりに知恵と人の姿を得て人間社会に馴染めるほどの変化を遂げる。シャムハトからギルガメシュのことを聞いたエンキドゥは、自身と同じ強い力を持つ仲間が欲しいと思い、積極的にウルクへ赴いた。ギルガメシュと出会うなり激しい戦いを繰り広げ、対等に渡り合ったことから互いの力を認め親友同士となる。エンキドゥはギルガメシュと共にレバノン杉の森に棲む自然神フンババを退治した後、ギルガメシュの求婚拒否に腹を立てたイシュタルが送り込んできた天の雄牛(聖牛グガランナ)をも倒した。その結果、神々の怒りを買い死の呪いを受ける。12日間に及ぶ高熱に蝕まれ、最期は自分のことを忘れないでほしいと話しつつ、ギルガメシュに看取られながら永眠した。ギルガメシュとの関係性が親友として描かれるようになったのは、粘土板の翻訳が進むにつれて『ギルガメシュ叙事詩』の内容が改変されていった影響によるものであり、元来その間柄は親友に限ったことではない。時代や書版によっては門番を務める神であったり、ギルガメシュの下僕であったり、親友兼助手であったりと様々である。前述のように後世の物語では力比べをして親友になったとあるが、主従関係であったとする場合、そのように至るまでの経緯は明記されていない。いかなる繋がりであったとしても、2人1組として描写されることが多いのが彼らの特徴である。エンキドゥは野獣として狩人たちから、ギルガメシュは暴君として民たちから、それぞれ恐れられていた。ところがお互いの力を認め合い親友となったことで、ギルガメシュはそれまでの横暴を改め穏やかさを取り戻し、エンキドゥはシャムハトとの交わりで既に築き上げていた人間性を更に成長させ、2人は国から愛される強き英雄となっていった。このように彼らの関係からは、人が人らしく成長していくためには教養と友人が必要不可欠であることが示され、寓話らしきプロセスが色濃く刻まれている。エンキドゥはギルガメシュと協力しながら、2人の守り神である太陽神シャマシュの援護を受け、フンババをこの世から滅することに成功する。フンババとエンキドゥはかつて森で一緒に暮らしていた旧友の関係にあったため、エンキドゥはギルガメシュを連れて森へやって来たことをフンババに咎められる。しかし非情にも、エンキドゥはフンババの殺害を躊躇うことはなかった。また、ギルガメシュと共に天の雄牛を打倒した際には、怒りにまかせてギルガメシュを呪ったイシュタルに激怒し、雄牛の腿を引きちぎってイシュタルの顔面に投げつけるなどの荒業を披露した。森番フンババ征伐、聖牛グガランナ退治の件を受け、エンキドゥは神罰によって命を落とすことになる。これは、最終的にフンババを殺したのがエンキドゥだからである。グガランナ抹殺が神罰に繋がる大きな引き金となるも、それ以前に、神が人間に与えたフンババという脅威を根絶させた時点で、既に神々の怒りを買ってしまっていたことが最大の要因となっていたのだ。杉の森への遠征はギルガメシュがきっかけであり、征伐も2人の共同作業によるものではあるが、ギルガメシュがフンババの命乞いを聞き入れようとしたとき、フンババの反撃を恐れたエンキドゥはそれをよしとしなかった。このことでフンババの怒りはエンキドゥに向けられ、フンババはエンキドゥが長生きできないようにと祈りながら死に絶えた。この願いがフンババを派遣したエンリル神に届いたために、エンリルはギルガメシュではなくエンキドゥの方を殺すと決めていたようである。この「神殺し」は近代文学にも影響を及ぼしており、有名なものには『もののけ姫』がある。エンキドゥは森で獣たちと住むサンと捉えることも、シシ神の首を討ち取ったエボシと重ねることもできるが、エボシの神殺しに対する罰は片腕を失ったのみであるのに対し、エンキドゥは命を丸ごと奪われている。このように、『ギルガメシュ叙事詩』では自然が人間に与える脅威というのがどれほど強力なものであるかを示唆しており、人間と自然の対立を神と人、両方の視点から描いている。シュメール語のギルガメシュ伝承『ギルガメシュ,エンキドゥ,冥界』というエピソードは、古代の書名『古の日々に』として成立した300行を越える長編物語である。古バビロニア以降のウル市やニップル市では、学校の教材にもなっていた。『ギルガメシュ叙事詩』ではこれを逐語訳した後半部分の訳文が第12の書板として加えられているが、叙事詩の中では特に異彩を放っており、物語から完全に独立したものとして扱われている。また、創造神話からしばらく経った頃の話であったり、イシュタルがイナンナと呼ばれていたりと、時代背景がどの辺りに位置するのかや、物語そのものの解釈自体が難しい、神話風のものとなっている。神によって天と地が分けられ、人間が創られ、アヌが天神に、エンリルが地神になってしばらく経った頃、ユーフラテス川のほとりに1本の柳の木が生えていた。あるとき吹き荒れた強い南風によって柳は根こそぎ倒れ流されるが、これを見たイナンナ(アッカド語名:イシュタル)は木を拾い上げ、自身の神殿群「エアンナ聖域」があるウルクへ持ち帰って庭に埋めた。木材のないメソポタミアでは貴重な、且つ立派な木であったために、イナンナは柳を育て椅子と寝台を作るつもりだった。十数年をかけて大きくするが、柳の根元には蛇が巣食い、中心には魔女リリトが棲みつき、梢には怪鳥ズーが雛をかえしていた。イナンナは木を切ることができないことを悟ると悲しくなり、兄ウトゥ(シャマシュ)の元を訪ね悲嘆を打ち明けるが聞き入れてくれなかった。イナンナの困惑を聞きつけたギルガメシュは、213.5kgもの斧を持って助けにやって来た。その斧で蛇を殺し、魔女を本来の棲家である砂漠に追いやるとズ―も逃げた。続けてギルガメシュが柳を切ったので、イナンナは目的を果たすことができた。ギルガメシュの活躍を讃えたイナンナは、お礼に柳から打楽器を作って捧げ、ギルガメシュはそれらの楽器を受け取りウルクで宴会を開いて音楽に興じていた。しかし、興奮し羽目を外したウルクの若者たちにより、楽器たちは冥界へと落ちていってしまう。エンキドゥは私が取りに向かいましょうと名乗り出ると、ギルガメシュは冥界でしてはならないことを理由も教えながら話すが、野獣から独立しつつもまだ人の世に立って間もなかったエンキドゥは人の話を聞いておらず、ギルガメシュから教わった禁忌を犯し冥界神の怒りに触れ、地上へ帰れなくなってしまった。このうち、エンキドゥは身だしなみを整えたり、大声を上げたりするなどいくつかの禁制を破ったとされる。冥界から帰れなくなったエンキドゥのことを心配したギルガメシュは、エンリルに助けを請うが無視されるのでらちが明かず、エンキに訴えるとエンキはウトゥを呼び、ウトゥは冥界に穴を開けた。エンキドゥはその穴を通って冥界から抜け出すことができた(戻って来たのは肉体ではなく影のみで、本物のエンキドゥは永遠に冥界に残ることになったとする例もある)。エンキドゥは親友との再会に喜ぶギルガメシュに、冥界がどんな所であったかを尋ねられ2人は問答式の会話を展開する。エンキドゥが言うには、死者は自身の子どもがより多いほど幸せで、供物を捧げられただけ暮らしが富むということであった。当時のシュメール人は死後の世界に大変な興味があったとされ、冥界がある場所やそこでの暮らしについて考えを巡らせていた。「人は死んだらどうなるのか」。その疑問に対する答えが、この『ギルガメシュとエンキドゥと冥界』にある。エンキドゥがこの世を去ったとき、ギルガメシュは様々な供物を捧げ太陽神シャマシュにエンキドゥが冥界で難儀なく暮らせることを祈祷している。ギルガメシュが絶命した際にも同様に、ウルクの民たちは手厚く葬儀を施した。供物を捧げる、丁寧に供養を執り行うという行為が熱心に守られていたのは、冥界、すなわち死後の世界についての捉え方によるものである。『ギルガメシュ叙事詩』では上記の12の書版以外にも、冥界での様子が語られる部分がある。エンキドゥが見た夢の内容によれば、冥界は死霊や死神がいる暗く乾燥した土地で、死んでしまったら無条件で行かなければならない世界、そして地獄のようにも思われていた。そのような場所であるならば、死者が冥界で歓迎され清福に暮らすのは容易ではない。よって葬儀は大層に執り行い、供物を定期的に捧げることが、死者たちの暮らしを良くするのだという考えを持った。故人を弔う行為は死者に向けたものではあるが、残された者たちの思いを昇華させるための救済措置ともいえる。こういった生死観への答えを古代メソポタミアの編集者たちは既に導き出しており、哲学的にも興味深い神話として名を残すに至った。
出典:wikipedia
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