


保坂 祐二(호사카 유지、ほさか ゆうじ、1956年 - )は、1988年より韓国に在住、2003年に韓国に帰化した日系韓国人である。現在は世宗大学校の教授であり、日本の朝鮮、満州、台湾に対する支配政策研究、竹島領有権問題分析、日韓文化比較研究が専門。⋆ 2015年8月、ラスク書簡に関するSSCI論文などが評価され、世宗大学から2度目の「優秀教授賞」が授与された。高麗大学校の大学院では、福澤諭吉と朝鮮開化派の相互関係研究、日本の植民地時代の朝鮮、満州、台湾に対する支配政策(特に、同化政策)を専攻した。日本の歴史認識を批判する発言が多い。著書『日本に絶対やられるな』の序文において、「私は(中略)日本を愛していることを先ず述べておきたい。(中略)過去を正しく反省できなければ正しい未来など訪れるはずがない、という信念で日韓関係において過去は現在に通じ(中略)、(日韓の過去を研究する)ということは本人のアイデンティティーを見つける道でもある。」などと述べ、単純に自らを反日とする見方に異論を唱え、日本における良心的勢力・進歩的知識人と同じような立場であるとしている。彼によればと、孫子の兵法、朱子学、さらに洋学と国学が混合していく過程を侍文化の変遷として捉え、さらに明治期に侵略主義が台頭する背景に関して研究を進めている。韓国に関しては、儒者 ソンビの精神が朝鮮史を牽引した原動力と言う立場で研究を進めている。保坂は松陰が、兵学の思考方式を土台にして洋学、水戸学、国学などを吸収して行ったとし、朝鮮に対しては侵略主義者であったと主張している。(松浦武四郎も参照)松陰の弟子の一人であった木戸孝允は「竹島は(鬱陵島)日本の領土」と主張し、竹島(鬱陵島)開拓論を江戸幕府に建議して拒絶されている。保坂によれば長州藩では松陰や木戸孝允の影響で、鬱陵島を日本の領土ないし日本の領土にできる島々と考えていたため、長州藩閥が多く登用された明治政府内には外務省を中心にして、元禄時代の江戸幕府と朝鮮との交渉(竹島一件)を無視した形で鬱陵島に対する侵奪の意図が露骨に表れたと保坂は主張している。もともと保坂は元禄時代の江戸幕府が竹島一件において竹島(鬱陵島)と松島(独島)を一対として同時に放棄したと主張しており、明治政府は太政官の廃止(1885)以後に現在の竹島(独島)を侵奪する方向に動いたとしている。保坂は福澤諭吉の文明開化論を分析し、内的開化論と外的開化論に区別している。内的開化論とは、日本人の知的レベルの上昇にその目的を置いたものであり、一方、外的開化論とは、内的開化を促進するための外的条件物であり、インフラ整備や産業興隆を国民に見せることによって人心を一新するというものである。この内外の開化論の目的は日本人の愛国心を向上させて外敵から国を守ることであると福澤は考え、これを朝鮮にも適用し、福澤の文明開化論が朝鮮の金玉均らを中心とする急進的開化派の開化路線の骨子となったと保坂は主張している。日本帝国主義の朝鮮、満州、台湾への同化政策を、教育政策、同化理念、創氏改名、雑居政策、法的同化政策などに分けて研究している。アジア・太平洋戦争に関しては、今でもよく主張される白人支配からのアジア解放戦争という観点を批判し、戦争の目的(大東亜共栄圏の建設)はあくまでもアジア人の「皇化」にあったとする。そのモデルは満州で、満州国は初めは中国の王道主義を尊重して国家の理念としたが、次第に皇道主義の優秀性を説き、天照大神を祭る中心神社を建設し、最終的には天皇中心主義の国体を導入して日本の完全な支配下に置くことが日本帝国主義の目的であったと主張する。インドネシアなどは白人から民族を解放し民族主権を打ち立てたところで戦争が終結したが、戦争が長引いていれば満州と同じに皇道主義を注入したであろうと見る。朝鮮に対しては、日本国内で施行された30-50年前の法律を施行して常に内地との法的差別を置くことを通して、差別的統治を実行していたと主張する。同化政策の本質は差別固定的同化であったと主張している。竹島問題に関しては、一貫して日本の主張を批判しており、竹島(韓国名:独島)は韓国領であるという立場をとっている。日本側が韓国側の主張の多くの部分を歪曲、または完全に隠蔽し、また日本側の竹島に関する領有権主張は表面的な事実を真実のように情報統制しているものであり、公開されない史料や真実があまりに多いと主張している。その代表的な例が1877年の太政官指令文の隠蔽と意図的な誤読、曲解であると主張する。特に同じ竹島問題の研究者である下條正男 拓殖大学教授(竹島問題研究所座長)が客観性を失っているとして、彼の主張を独自の根拠を挙げて批判している。例えば、下條が太政官指令文の中の「竹島外一島」をアルゴノートとダジュレーと主張していることに関して、保坂は太政官が竹島と松島をアルゴノートとダジュレーと見なしたという根拠は一切なく、指令文の内容や付図である<磯竹島略図>に示された竹島と松島は明確に鬱陵島と現在の竹島(独島)であるとして、下條が歴史的事実を意図的に隠蔽・誤読していると論文で主張している。2011年、韓国人歌手キム・ジャンフンと独島を紹介するウェブサイト「TRUTH of DOKDO」(独島の真実)を開設した。さらに2014年2月に保坂は新しいサイトである「独島と東アジア」を開設した。このサイトは、独島問題だけでなく慰安婦、靖国神社、憲法改正、集団的自衛権、その他についても記事、資料などを公開している。力道山、大山倍達、張本勲、金田正一といった朝鮮半島出身、または在日朝鮮人への関心から、さらに韓国に関心を持った。力道山の弟子たちや力道山の夫人とは、現在、個人的な交流があるという。力道山の夫人、田中敬子の著書『力道山の慟哭』(2005)の韓国版を韓国で出版する際、手伝ったと言う。また力道山の第1弟子の琴音とも交流がある。その後、日本における民族差別の問題に関心を持ったため、彼の論文には、在日朝鮮人に関するものもいくつか含まれている。日本と韓国向けには数冊の訳書がある。著書は韓国国内向け、英語圏向けのものである。<著書><訳書>
出典:wikipedia
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