長尾 景忠(ながお かげただ)長尾 景忠(ながお かげただ)は、鎌倉時代の武士。長尾氏一族が宝治合戦において三浦氏に殉じたためその殆どが滅亡し、景忠は数少ない生き残りとなった。後述の左衛門尉景忠と混同されることもあるが、活動時期に70~80年ほどの差があるので、明らかに別人である。しかし諸系図では同一視されることが多く(『長尾正統系図』等)、これが中期長尾氏の系図を混乱させている要因になっている。長尾 景忠(ながお かげただ)は、南北朝・室町時代の武士。関東長尾氏の祖。多くの系図では、長尾景為(景能の子)の嫡男とされる。長尾藤景の娘婿となったとする説もある。出自に関しては別説あり、『長尾藤明(あるいは藤景)の子』とする説や、『千秋上杉藤氏(藤明らの兄弟と思われる)の子』などもある。また、長尾氏の親族である鎌倉氏の後裔が、宝治合戦以降に長尾氏の名跡を継いだ家系とも言われ、出身が長尾氏のいずれの流れであったかは判然としていない。景忠自身は上杉憲顕の家臣として各地を転戦。時には上杉氏の名代として足利尊氏に従軍し、「二引旗」を賜って石動山攻略などで武功を重ねたと云われる。子孫の多くは関東各地の守護代となった。
出典:wikipedia
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