亀ヶ森・鎮守森古墳(かめがもり・ちんじゅもりこふん)は、福島県河沼郡会津坂下町にある2基の古墳の総称。亀ヶ森古墳は前方後円墳、鎮守森古墳は前方後方墳で、いずれも宇内青津古墳群を構成する古墳の1つ。両古墳は一括して国の史跡に指定されている。亀ヶ森・鎮守森古墳は会津盆地の中央部の阿賀川左岸の低地に位置し、阿賀川が形成した河岸段丘上に立地する。築造時期はいずれも古墳時代前期と推定される。両古墳を含めてこの地域には多くの古墳が分布する(宇内青津古墳群)ほか、周辺には男壇遺跡・宮東遺跡・中西遺跡・雨沼遺跡・丈助橋遺跡といった古墳時代前期の遺跡が発見されている。『新編会津風土記』では、亀ヶ森古墳は「大亀甲舘」、鎮守森古墳は「小亀甲舘」として記述が見える。亀ヶ森古墳(かめがもりこふん)は、鎮守森古墳の北東約50メートルの地にある前方後円墳。福島県では最大、東北地方では雷神山古墳(宮城県名取市)に次ぐ第2位の規模である。墳丘長127.3メートルで、主軸を東西として前方部を西に向けた前方後円墳である。前方部は墓地となり、墳丘は大きく改変されている。後円部上には観音堂、稲荷神社が祀られている。また、幅18-23メートルの周濠の跡は馬蹄形を呈し、周濠の外側に周堤状も高まりが認められる。周濠は現在は水田等となっている。未発掘であるが、後円部分は3段築成で葺石が認められるほか、円筒埴輪が採集されたことから、4世紀後半の築造と推定されている。鎮守森古墳(ちんじゅもりこふん)は、亀ヶ森古墳の南西約50メートルの地にある前方後方墳。全長55.2メートルで、主軸を東西として前方部を西に向ける前方後方墳である。後方部上に八幡神社が祀られているほか、濠の一部は窪みとなって残っている。未発掘であるが4世紀中頃の築造と推定されており、二重口縁の土器が採取されている。古墳の北側には方形周溝墓群の男壇遺跡が隣接し、これら方形周溝墓との関係が指摘される。
出典:wikipedia
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