ニューポール24(Nieuport 24)は第一次世界大戦期のフランス、ニューポールの戦闘機である。設計主務者はギュスターヴ・ドラージュ。ニューポール 24は成功作であったニューポール 17の発展型で、機体の特徴は主翼が一葉半(セスキプラン)である事とそれを支えるV字型の支柱、曲線的な垂直尾翼である。空気力学的に改善された形態の胴体と丸い翼端を持ち、尾部は小さな固定式のひれと曲線形の方向舵を採用していた。尾橇は内部にばねを持ち、それ以前のニューポール機に比べて露出が少なかった。ル・ローン製の130馬力ロータリーエンジンを装備した軽快な戦闘機であった。実際に使ってみると新しい尾部には問題があることが判明した。そのため生産型の大部分は、胴体と翼は24のままとし、尾翼と尾橇は17のタイプに戻して方形の方向舵としたニューポール 24bisとなった。新型の尾部はニューポール 27において実用化された。ニューポール 24bis.はイギリス海軍航空隊のためにイングランドでも生産された。ニューポール 17の標準武装(フランス軍のヴィッカース同調機銃1挺、イギリス軍のフォスター銃架によって上翼に置かれたルイス機銃1挺)は重量増大を防ぐためそのまま継続され、良好な性能が維持された。ただし高等練習機として使用された24の多くでは武装は取り外された。ニューポール 24と24bis.は1917年夏に生産ラインから現れてきた。しかし軽快な機体ではあったが被弾には弱かった為、スパッド製の戦闘機と交代し、新造機の多くは戦闘機訓練学校や、ロシア、イギリスなどの友好国に多数振り分けられ、また練習機としても運用された。イギリスはS.E.5a戦闘機が不足していたため、1918年までニューポール機を活用した。フランスでも一部の部隊は1917年終盤までニューポールを使用した。また本機はナンジェッセ等のエースの乗機でもあった。ニューポール高等練習機はアメリカによって購入され、1917年11月以降、フランスに置かれた飛行学校で使用されたが、その一部は24または24bisであったと考えられる。日本では1917年(大正6年)に輸入され、ニ式24型戦闘機と呼ばれ、フォール教育団での教材となり、更に陸軍補給部、砲兵工廠、中島飛行機で量産された。1921年(大正15年)には甲式三型戦闘機に改められている。
出典:wikipedia
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