穴蔵(あなぐら)は、地面や山盛り土の斜面に横穴・竪穴を造成または、既存のものを利用して、物を収納できるようにした倉庫。地下倉庫。穴倉・窖とも書く。庶民の間においては明暦2年、江戸本町2丁目の呉服商和泉屋九左衛門が最初に穴蔵を造ったとされ、翌3年に発生した明暦の大火においては無事であったという。天保の頃、京阪の富豪が金銀を蓄えるために造られ、中小の商店にも造られた。土蔵よりも安価で築造できる上、火事にも強いため庶民の間に普及した。江戸でも大家では土蔵とは別に、屋敷の裏手に造り、金銀を収めた。一般には火事に備えて家財を安全に保管するために用いられた。明治時代以降はほとんど造られなくなった。京阪では多くの場合、壁面に切石を積んだものが見られた。江戸では地下水脈が浅く防水の必要があったためもっぱらヒバ材を用いて船底を造る要領で造られていた。木造の穴蔵をつくる職人は、江戸では霊岸島川口町に数軒あったのをはじめ各地にいたが、京阪にはいなかった。階層としては地階(ちかい)に含まれる。城郭建築においては、櫓台・天守台、御殿など大型の建物の地下に造られる。主に備蓄倉庫としての役割を持っていた。天守には、天守台の内側をくりぬくようにして造られ、床が土または、石畳で覆われた土間であるものをいい、建物の出入り口を兼ねていることがある。井戸が造られていることもあったが、現存しているのは松江城天守のもののみである。
出典:wikipedia
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