LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

東京事変

東京事変(とうきょうじへん、英称:、)は、かつて椎名林檎を中心に結成された日本の5人組バンドである。所属レコード会社はEMIミュージック・ジャパン/Virgin Music。2003年に結成され、2012年の閏日に解散した。2003年当時、引退を考えるほど音楽活動の継続にモチベーションを見出せなかった椎名林檎が、「メンバーたちのために書き下ろすつもりで曲を書けば意欲が湧くのではないか」と考えて結成。もともとは椎名のバックバンドだった。2005年、所属バンド「PE'Z」での活動と両立できないとしてH是都Mが脱退することになり、生ピアノが弾けるキーボーディストを探そうとしたときに彼に紹介された伊澤一葉を思い出し、彼の楽曲も欲しかったので参加をオファーした。またその間に晝海幹音もソロ活動に集中するために脱退することになり、椎名の以前からの知人であった浮雲が代わりに参加することとなった。全国ツアー「dynamite!」中には2人の脱退は決まっていたので、せめてピアノだけでも欲しいということでツアー終了の翌日から椎名はまず伊澤の消息を探り始めた。初めは「新しくバンド(あっぱ)を始めたばかりだし、J-POPの超メジャー・フィールドで自分がやれるとは思わない」などと断られていたが、最終的には彼の承諾を得て2005年4月末に加入が決定した。ギタリストについては、生半可なメンバーを入れるくらいなら曲ごとに最強のゲストを呼んだ方が良いとして当初は入れないことにしていた。椎名は多忙の亀田の代わりにキーボードの伊澤に自分のパートとベースラインを同時に弾いてもらってドラムの刄田との3人でリハーサル(音合わせ)を始めたが、伊澤に「CDにした時の作品が想像出来ない」と言われてギタリストを呼ぶことにした。色々試した中でメンバーが気に入ったのは2ndアルバムのデモで演奏していた浮雲だったが、椎名は趣味の音楽制作などの仕事にしない部分でのパートナーであり、デモの制作を手伝ってもらったり、前メンバー脱退の際には相談に乗ってもらったりしていた彼を加入させることはバンドに自分のエゴを持ち込むようで抵抗があった。彼の方も「誰も弾かなかったら俺が弾いてやるよ」という感じでなかなかやるとは言わず、結局、加入が決まったのはアルバム『大人(アダルト)』レコーディングのわずか2、3日前だった。椎名と伊澤はデモの段階で譜面を書いてくる。浮雲の場合は現場で椎名や伊澤が譜面に起こす。3人ともシンガー・ソングライター気質ではないのでアレンジまで含めた作曲をしてくるため、そこから作者の意図通りにそれを具現化したりバンド全員で編曲したり、あるいは椎名と亀田の独特なやり方に当てはめて作ったりと、曲を完成させるやり方は無数にある。逆に亀田のデモは、他のメンバーのデモがドラムなど色々な音を入れてくるのに対し、鼻歌や打ち込みもあるがアコースティック・ギターかピアノと自分自身の歌による弾き語りがほとんどで、しかも普段の仕事ではプロデュースやアレンジばかりでメロディを作る機会はほとんどないのに東京事変では基本的にメロディと仮歌だけでアレンジは施していないものを提供する。2枚目のアルバム『大人』までは椎名が歌詞を担当し、3枚目の『娯楽』から5枚目の『大発見』までは、一部の曲を浮雲と伊澤も書いている。バンドとして最後にリリースしたミニアルバム『color bars』では、メンバー全員が作詞を行っている。バンドとしてのデビュー曲であるファースト・シングル「群青日和」はH是都Mが作曲したが、アルバム『教育』と『大人(アダルト)』およびセカンド・シングル「遭難」収録の楽曲のほとんどは椎名の手による。3枚目のアルバム『娯楽(バラエティ)』とそれに関連するシングルでは椎名は参加せず、彼女以外のバンドメンバー(浮雲、伊澤、亀田)が作曲した。4枚目のアルバム『スポーツ』とそれに付随するシングルからは再び椎名も作曲に参加し、一部の楽曲では初めてメンバーと共作した。5枚目のアルバム『大発見』では、前作以上に共作曲が増えている。バンド最後のアルバム『color bars』では、メンバー全員が作曲を行っている。編曲は基本的にバンド全体で行うが、セカンドアルバム『大人(アダルト)』では椎名および伊澤が中心となって行った。プロデュースは、椎名とはソロ時代からの付き合いとなるレコーディング・エンジニアの井上雨迩。レコーディングはそれぞれが個別に録音するバラ録りではなく、バンド・メンバー全員で一斉に演奏して行う一発録。2005年7月1日まで参加。"デビュー前の表記はこちらを参照。"2003年7月18日、新宿ロフトで行われたJIGHEADレコ発ライブに東京事変として初めて出演。その後、同年8月より行われた椎名のライブツアー「椎名林檎 実演ツアー 雙六エクスタシー」にも出演したが、あくまでバックバンドとしての出演であった。2004年5月30日、椎名がバンド「東京事変」として活動していくことを宣言、同年7月24日には「0724YAMABIKARI」にて、宣言後初のイベントでの登場となった。その後、フジ・ロック・フェスティバルを含むいくつかのライブ参加を経て、9月8日に東芝EMI(当時)からシングル『群青日和』でデビューを果たす。続いて10月には2枚目のシングル『遭難』、11月には1作目のアルバム『教育』、12月にはミュージック・ビデオ集『tokyo incidents vol.1』を、4ヶ月連続で発売した。2005年には、初のライブツアー「東京事変 live tour 2005 “dynamite!”」を開催。しかし同年7月1日、H是都Mと晝海幹音(現・ヒラマミキオ)の2名が、それぞれの活動のためにバンドを離れることを発表した。2005年11月、3枚目のシングル『修羅場』と2作目のアルバム『大人(アダルト)』の製作に合わせ、伊澤一葉と浮雲の2名がバンドに参加。また、シンボルマークが折り鶴から孔雀になった。2006年1月25日に発売されたアルバム『大人(アダルト)』は、バンドとして初のオリコンチャート第1位獲得を果たした。また、2月には日本武道館と大阪城ホールにて新メンバーの顔見世ライブ「DOMESTIC! Virgin LINE」、4月からは全国17都市でニュー・アルバムをひっさげての約2ヶ月にわたるライブツアー「東京事変 “DOMESTIC!” Just can't help it.」を立て続けに開催した。同年末には、COUNTDOWN JAPAN 06/07(12月30日:幕張、12月31日:大阪)にも出演した。2007年7月11日には4枚目のシングル『OSCA』、8月22日には5枚目のシングル『キラーチューン』を発売。9月26日には、3作目のアルバム『娯楽(バラエティ)』を発売した。10月18日からは、アルバムからの楽曲をフィーチャーした、全国7都市でのライブハウスツアー「東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment」が開催された。なお、椎名は前作『大人(アダルト)』発売の際のインタビューでの「(今後について)自分は曲を書かず、作詞と歌のプレイだけに関わったアルバムを作ってみたい」といった発言の通り、シングル「OSCA」、「キラーチューン」、およびアルバム『娯楽(バラエティ)』では一部の作詞と歌唱のみを担当した。11月21日には、「東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment」で披露された新曲「閃光少女」を含むミュージック・ビデオ集『閃光少女』が発売された。2008年、椎名林檎としてのデビュー10周年ということもあり、椎名は久しぶりにソロ活動を再開した。そのため、夏に開催されたライジング・サン・ロックフェスティバルには、ソロとバンドの両名義での参加となったが、東京事変としての活動は限定的だった。2009年、前年に引き続き、椎名はソロとしての活動を継続して久しぶりのニュー・アルバムを発表した。そのため、年前半は椎名以外のメンバーもそれぞれの活動に専念することになった。亀田は本業のプロデューサーとして様々なアーティストたちと仕事をし、刄田はフジファブリックのレコーディングやライブにサポート・メンバーとして参加した。また伊澤は、ELLEGARDEN(現在活動休止中)の細美武士が結成したバンド「the HIATUS」にツアーメンバーとして参加した。10月1日、年末のCOUNTDOWN JAPAN 09/10への出演が発表された。また同年末、4作目のアルバムへ向けて2年ぶりに活動を再開。12月2日には6枚目のシングル『能動的三分間』を発売した。この作品は自身初のオリコンシングルチャート初登場1位を獲得した。同楽曲は江崎グリコ「ウォータリング キスミントガム」のCMソングに起用され、そのイメージキャラクターに椎名が起用された(また、同CMのナレーションは浮雲が担当している)。椎名がCMに出演するのは初めてのことであった。2010年2月24日には4作目となるアルバム『スポーツ』が発売され、アルバムでは『大人(アダルト)』以来のオリコンチャート1位を獲得した。同年3月からは全国ツアー「東京事変 live tour 2010 ウルトラC」が開催された。同年7月21日よりテレビ朝日系金曜ナイトドラマ『熱海の捜査官』主題歌の「天国へようこそ」が、28日には「ウォータリング キスミント」CMソングに起用された「ドーパミント!」が配信限定で発売された。8月25日には先のライブツアーの模様を収録した『ウルトラC』と、2007年に行われたライブハウスツアーの模様を収録した『Spa & Treatment』を同時発売した。また『ウルトラC』は9月8日にBlu-ray Discが発売された。2011年2月23日には7枚目のシングル『空が鳴っている/女の子は誰でも』を発売する予定だったが、同年2月10日に刄田が公務執行妨害で逮捕されたため、発売延期とプロモーション活動の自粛を発表した。「空が鳴っている」は4度目となる「ウォータリング キスミント」のCMソングに、「女の子は誰でも」は資生堂「マキアージュ」のCMソングにそれぞれ起用され、同時にイメージキャラクターに椎名が起用されることが決定していたが、この不祥事により、キスミントのCMでは16日から名義を「椎名林檎」とした上で、同楽曲の別アレンジバージョンが使用されることとなった。マキアージュのCMも同様の処置が取られ、こちらは期日通りに放映された。また、テレビ朝日系列『ミュージックステーション』に2週出演予定が取り消される事態にもなった。3月14日に刄田は略式裁判により罰金刑となったため、協議の結果4月5日から活動を再開することとなった。一連の件に関して、刄田は公式ウェブサイトにて謝罪している。また、発売未定だった上記シングルは5月11日に発売された。6月29日には5作目のアルバム『大発見』が、9月21日には新曲「ハンサム過ぎて」を含むミュージック・ビデオ集『CS Channel』が発売された。また、9月30日からはライブツアー『東京事変 Live Tour 2011 Discovery』が開催された。12月31日には椎名が『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、それに伴いバンドメンバーも出演した。2012年1月11日、解散を発表した。椎名本人による解散声明文に「事変は来る閏日解散致します」とあり、解散日は2012年2月29日に決定した。1月18日、バンドメンバーがそれぞれ持ち寄った楽曲5曲を収録したミニアルバム『color bars』が、同年2月15日には2011年に行われたツアーの模様を収録した『Discovery』と、それまでに行われたライブの中から厳選された音源を収録した初のライブベストアルバム『東京コレクション』を発売した。2月14日より、最後のツアー「東京事変 Live Tour 2012 Domestique Bon Voyage」を開催。2月29日にはオフィシャルブック『チャンネルガイド -東京事変オフィシャルブック-』(スイッチ・パブリッシング刊行)を発売し、同日の日本武道館公演をもって解散した。6月13日には同ツアーの最終公演を収録したDVD及びBlu-ray Disc『Bon Voyage』を発売した。8月29日にはシングルのカップリング曲を収録した『深夜枠』と、結成から解散までのライブのドキュメンタリー映像を収録したライブヒストリービデオ『珍プレー好プレー』が発売された。2013年2月27日にはCD-BOX『Hard Disk』、ミュージック・ビデオ集『Golden Time』がそれぞれ発売された。全てリットーミュージック社より発売。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。