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洲崎球場

洲崎球場(すさききゅうじょう、「洲崎大東京球場」とも)は、かつて東京都江東区新砂一丁目付近(当時の東京府東京市城東区)に所在した木造の野球場で、1936年に開場。日本プロ野球草創期、上井草球場と共に東京地区のプロ野球常打ち球場の一つとなっていた。一応は大東京軍の本拠地球場として建設されたが、実際は当時フランチャイズ制が敷かれていなかったこともあり、東京巨人軍もよく試合をしていた。大東京軍の球団常務だった鈴木龍二(戦後、セントラル・リーグ会長)の回顧録によると、もとは東京瓦斯の所有地であったという。1936年10月13日 に3ヶ月の突貫工事で完成し、翌1937年には92試合もの試合が開催された。しかし、海側にありカニが這いずり回っていたといわれ、満潮時にはグラウンドが海水につかってコールドゲームになることもしばしばあり、環境的に良くなかったため、水道橋に後楽園球場ができると翌年1938年には僅か3試合の開催に激減した。結局、1943年頃解体された。1945年(第二次世界大戦終戦年)の地図には既に記載は無く材木置場となっていたといわれ、その後敷地の一部が帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄)に譲渡された。洲崎球場で行われた試合の中では、1936年の巨人対タイガースの沢村栄治、景浦将が出場した優勝決定戦は語り草になっている。また、1937年7月17日のイーグルス対金鯱戦は観客僅か90人だったといわれ、ワースト記録として今なおプロ野球史に残るとされる。ただし、この日付で開催されたプロ野球はイーグルス対大東京戦(ダブルヘッダー)であり、今ひとつ信ぴょう性のある話とは言えない。“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治(巨人)のプロデビュー戦もこの球場であった。近くに洲崎遊郭(洲崎パラダイス)があり、プロ野球選手も試合後などに良く通っていたと言われる。2015年、数少ない資料を基にして球場の200分の1スケールの模型が作られ、公開されている。プロ野球草創期を記録・回想する多くの文章に登場する球場であるが、あまりにも周囲が変貌したためか、正確な所在地の特定は長らく困難とされていた。雑誌『野球小僧』の企画によって文献などの調査が行われ、大体の位置が判明した。2005年2月に、江東区役所が江東区新砂一丁目2番8号付近に記念碑を建てた。

出典:wikipedia

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