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中宗 (唐)

中宗(ちゅうそう)は、唐の第4代、第6代皇帝。諱は顕。高宗の七男として生まれる。当初は周王に封じられたが、後に英王に改封された。同母兄である李弘の急死と李賢の廃立の後、代わって立太子され、高宗の崩御により即位した。即位後、生母である武則天に対抗すべく、韋皇后の外戚を頼った。具体的には韋后の父である韋玄貞(元貞)を侍中に任用する計画であったが、武則天が信任する裴炎の反対に遭う。計画を反対された中宗は怒りの余り、希望すれば韋元貞に天下を与えることも可能であると発言した。この発言を理由に、即位後わずか54日で廃位され、湖北に流された。代わって同母弟の李旦(睿宗)が即位したが、690年に廃立され、武則天が自ら即位して武周時代を迎えた。その末期の699年、李顕は武則天により再び立太子され、705年に大臣や将軍に迫られた武則天は李顕に譲位し、唐の国号を復活させた。中宗は韋后を非常に信任し、朝政に参加させ、その父を王に封じた。また韋后との間にもうけた安楽公主もまた朝政に参加させた。安楽公主は自ら皇太女、さらには皇帝となることを狙い、韋后もまた武則天に倣い帝位を求めた。710年、韋后の淫乱な行為が告発されると、韋后は追及を恐れ、安楽公主と共に中宗を毒殺し、末子重茂(殤帝)が擁立された。しかしその1ヵ月後、李旦の息子・李隆基(玄宗)により韋后と安楽公主は殺害され、殤帝は廃位された。中宗は定陵に埋葬された。

出典:wikipedia

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