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福島県立大野病院産科医逮捕事件

福島県立大野病院産科医逮捕事件(ふくしまけんりつおおのびょういんさんかいたいほじけん)は、2004年12月17日に福島県双葉郡大熊町の福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡したことにつき、手術を執刀した同院産婦人科の医師1人が業務上過失致死と医師法違反の容疑で2006年2月18日に逮捕、翌月に起訴された事件である。2008年8月20日、福島地方裁判所は、被告人の医師を無罪とする判決を言い渡し、検察側が控訴を断念したため確定した。医師は休職中であったが同病院に復職した。マスメディアによる報道では「大野病院事件」といった呼称も用いられている。また特別弁護人として現役の医師が選定されたきわめて珍しい裁判である。事件当時、同院における常勤の産科医はこの医師1人であった。産婦は前置胎盤であった事が検査で判明していた。しかし、医師が出産時の危険性を説明し、より設備の整った大学病院での分娩を勧めたところ、「大学病院は遠い。交通費がかかる」と妊婦と家族は地元の大野病院での分娩を希望した。手術の説明をした際、「場合によっては子宮を摘出する」と医師が話すと、「3人目も欲しいので、絶対に子宮は取らないで下さい。」と妊婦は子宮温存を強く希望した。分娩当日のスタッフは執刀医(産婦人科専門医・元被告人)・助手(外科医)・麻酔医(麻酔科専門医)の医師3名及び看護師4名(途中より5名)であった。午後2時02分に麻酔(硬膜外麻酔+脊椎麻酔)を開始し、午後2時26分より予定帝王切開手術を開始した。11分後の午後2時37分に体重3,000 gの女児を正常に娩出。その後子宮収縮剤を直接子宮体部に筋肉注射してから、胎盤を剥離するために臍帯を牽引した。しかし子宮をマッサージしても胎盤を剥離することが出来なかったため、手やクーパーを用いて胎盤を剥離した。剥離中に出血を来したが出血量は最大でも555 mlにすぎず、胎盤剥離後の子宮収縮や圧迫等の止血措置による止血が期待できると判断し剥離を継続した。後の公判で、胎盤を手ではがすことが難しくなった時点で「癒着胎盤の疑いを少し持った」と語っている。胎盤剥離中に出血が増加し、本件患者の血圧が低下した。午後2時40分の時点での総出血量は羊水混みで2,000 ml。午後2時45分前後から麻酔医により左腕静脈ラインからポンピング施行。午後2時50分、胎盤娩出。胎盤娩出後、子宮収縮剤を使用するも、小出血が継続。ガーゼによる圧迫止血や出血点と思われる箇所へのZ縫合などを試みたが、出血は止まらなかった。午後2時50~55分頃は2,555 mlであった総出血量が、午後3時5~10分頃には7,675 mlに達し、昇圧剤でも安定しない血圧低下を認めた。午後2時55分に準備血である濃厚赤血球5単位の輸血を開始。午後3時10分いわき市のいわき赤十字血液センターに10単位の濃厚赤血球を発注。午後3時30分にさらに10単位を追加発注した。午後3時45分に濃厚血小板20単位、午後3時50分に新鮮凍結血漿80 mlを10パック発注した。午後4時には看護師長の呼びかけで大野病院の職員から3,000 ml採血したものが手術室へ運ばれたが、医師は移植片対宿主病(GVHD)の危険性を考え、その新鮮血は使わなかった。午後4時20分に血液センターから濃厚赤血球20単位が到着。午後4時35分、輸血終了と共に子宮摘出に移行し、膀胱を若干損傷したが、午後5時30分には子宮摘出を完了した。その間、輸血直後は一時的に血圧上昇するも、収縮期血圧は30~60 mmHgという低値を推移していた。子宮摘出を完了した後、膀胱損傷部を修復し確認しようとしたところ、午後6時5分急に血圧が測定できなくなり、心室頻拍が出現。この頃までの総出血量は羊水込みで19,475 mlであった。電気ショック3回を行ったが、午後7時1分死亡が確認された。産婦死亡について、医師は院長に報告し、医療準則に反する行為はなく通常の病死であり、異状死には当てはまらないと判断して警察署への24時間以内の届け出は行わなかった。大野病院の産婦人科医は医師一人だったので、「院外の専門家による検証が必要」とする判断から県が事故調査委員会を設置した。別の県立病院と民間病院の部長、福島県立医大講師の産婦人科医三人が委員となった。医療事故調査委員会の報告書は2005年3月に作成され、県に提出された。この報告書は死亡の原因に執刀医の判断ミスを認め、胎盤が子宮の筋肉に付着していることに気付かなかったこと、通常使わないはさみを使って切り離したこと、大量の出血が続いたのに院内の他の医師に応援を頼まなかったことなどが指摘されていた。福島県は医療側に過失ありとした上で、医賠責保険で保険会社から遺族への補償支払をスムーズにしようとした。この報告書により、後述の逮捕から1年前の2005年6月に執刀医は福島県から減給1ヶ月の処分を受けていた(無罪判決確定後の2008年10月に減給処分取り消し)。福島県調査委員会の報告書がきっかけでメディアにより医療ミスと大きく報じられ、警察が捜査に動くことになる。2006年2月18日、福島県警察は手術を執刀した医師を業務上過失致死と医師法に定める異状死の届出義務違反の疑いで逮捕。医師は3月10日に福島地方検察庁によって福島地方裁判所に起訴された(3月14日に保釈)。検察と被告人の医師との間で、死因について見解の相違があった。逮捕の2、3日前、医師は警察に家宅捜査に入るから自宅待機するように告げられた。捜査の後、警察への同行を求められ取調室に入ったところで逮捕状が読み上げられた。この逮捕については、「事前に警察からの情報を得たマスメディアが押しかけた中での逮捕となり、手錠をかけられた医師の姿が全国に報道される結果となった」というような噂話が広く流布されたが、本人自身が語った初公判後の会見で明確に否定された。3月10日、医師は業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された。福島地方検察庁次席検事(当時)の片岡康夫は「大量出血は予見できたはずで、無理に胎盤を剥がすべきではなかった」と起訴した理由を述べた。また、片岡は、「女性は医師を信頼していたのに麻酔で何も分からないまま亡くなった。この事実は軽視できない」と被害者感情にも触れている。検察は裁判において禁固1年、罰金10万円を求刑した。2008年8月20日、福島地方裁判所(鈴木信行裁判長)は被告人の医師に無罪判決を言い渡した。医師である被告の医療行為と患者の死亡の因果関係、胎盤癒着の予見可能性と結果回避可能性については検察の主張がほぼ認められたが、業務上過失致死罪では検察が主張する生存可能性のある医療行為については臨床現場の医師に行為義務を負わせるほどの標準的行為であるとは立証されておらず、医師法違反では、患者の死亡結果は過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果であるため異状死には該当しないという内容であった。福島地方検察庁は控訴を断念し、地裁判決が確定した。判決に関して、朝日新聞は「判決は医療界の常識に沿ったものであり、納得できる。検察にとっても、これ以上争う意味はあるまい。控訴をすべきではない」「今回の件では、捜査するにしても、医師を逮捕、起訴したことに無理があったのではないか」、読売新聞は「そもそも、医師を逮捕までする必要があったのだろうか。疑問を禁じ得ない」、産経新聞は「大野病院事件はカルテの改竄や技量もないのに高度な医療を施した医療過誤事件とは違った。それでも警察の捜査は医師の裁量にまで踏み込んで過失責任の罪を問うた」と警察と検察を直接的に批判し、無罪判決が出たことを明確に支持しただけでなく、間接的にではあるが遺族側の言動を批判する見解を示している。医療界や一般世論においても、無罪判決が出たことへの喜びと安堵の意を表する一方で、当事件は「事実上の冤罪事件」であるとして、一貫して医師側の過失を煽り立て続けたうえ、無罪が確定した後も主要マスコミの中で唯一起訴姿勢を擁護する論調を張った毎日新聞の報道姿勢と、警察・検察の言動を批判する声(後述参照)があがった。また、2007年1月に行われた初公判で検察側の首脳が「なんであんなものを起訴したんだ」と語ったことや、法廷において被告側の弁護団から「逃亡や証拠隠滅の恐れがないのに、逮捕するのは行きすぎだ」と批判されていたことが明らかになっている。2006年4月14日、本件捜査にあたった富岡警察署が医師逮捕について福島県警本部長賞を受賞した。これに対し、大阪府保険医協会は「逮捕に疑問の声が上がっているところの現在係争中の事案であり、まだ有罪が確定したわけではない」等として撤回を求める要求書を出した。また、2006年6月28日の福島県議会においても、民主社民党系会派の県民連合(当時)所属の本田朋議員が事件を「最善の手だてを尽くされたと思われる産婦人科医師が逮捕されるという異例の事態」と批判し、県警本部長表彰の基準を質す一般質問を行った。本来的に結果の完全な予測が不可能な営みである医療行為について、「結果が予見出来たにもかかわらずそれを回避しなかったこと」を罪とする業務上過失致死罪の適用はナンセンスであり、これがまかり通るならば出産を始めとするリスクを伴う医療行為を引き受ける者は存在しなくなるとの批判がある。この事例は前置胎盤と癒着胎盤が合併したもので、癒着胎盤単体の発生率は0.01%だが、前置胎盤(発生率0.5%)である場合、5%から10%で併発するとされる。癒着胎盤は術前の予測が困難な合併症であり、この事例は、医学的に検討しても医療過誤としての過失を認定することが難しい医療事故であるとの主張もある。そのような事例に対して逮捕が行われたことは、産科医のみならず多くの臨床医全般に大きな脅威を与えると共に、治療における医師の判断、手術法の選択にまで捜査当局が踏み込んだ『事件』として、裁判は大きな注目を集めた。報道では、地裁判決の直後においては「(無罪判決理由の中で医師の行為が結果として患者を死亡させるという因果関係を認めたため)医療内容に問題はあったが、医師の裁量の範囲内であり、有罪とまでは言えない」といった医師の行動を問題視する記事も出た。この医師逮捕に対しては、日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会から「座視することができない」、「事件は産婦人科医不足という医療体制の問題に根ざしている。医師個人の責任を追及するのはそぐわない」といったコメントが表明され、各地の地方支部からも抗議が表明された。日本母性保護産婦人科医会(現・社団法人日本産婦人科医会)は声明を発し「この様に稀で救命する可能性の低い事例で医師を逮捕するのは、産科医療、ことに、地域における産科医療を崩壊させかねない」と批判した。当初、医療専門家によって医療事故調査委員会は医師の過失を認める報告書を作成していたが、この報告書が警察の捜査や起訴を招くことになった。何故当初はこのような医師の過失を認める報告書を書いたのかというと、福島県が遺族への補償支払をスムーズにしようとするために医賠責保険で保険会社から金を引き出すには、医師の過失が必要だったためである。この事件をきっかけに、これらの問題を解決すべく無過失保障制度の創設をすることが主張されている。

出典:wikipedia

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