オッペケペー節
オッペケペー節(オッペケペーぶし)は、明治時代の流行歌である。大阪の落語家の桂文之助(二世曽呂利新左衛門)の門人の3代目桂藤兵衛(または2代目桂梅枝か?)が始めた。その弟子の浮世亭〇〇(まるまる)が川上音二郎となり、1889年に作詞。1891年2月以降、壮士芝居の役者として舞台に立ち、おおぎりに余興として歌った。後鉢巻きに赤い陣羽織を着て、日の丸の軍扇をかざして歌った。東京では、同年6月浅草中村座で歌った。人気が出ると歌詞は10数種類できている。
歌詞は資料によって歌詞や表記に多少の相違があるが、ここでは一例として小国政の『版画「川上音二郎書生演劇」』から紹介する。()内のひらがなはルビ、/\はくの字点である。音二郎は、民権思想の新聞記者として自由童子を名乗り、入獄10数回を数えた。政治的意見を表明すれば、すぐに弾圧される明治時代に音二郎は言いたいことをオッペケペーの歌詞の中でズバズバ言ったので、不満を感じていた民衆に爆発的な人気を博した。1900年に川上音二郎一座が欧米興行を行った際にイギリスのグラモフォン・レコード社(EMIの前身)に「オッペケペー節」を録音、SP盤で発売された。音二郎の肉声は録音されていなかったが、これは日本人初のレコードへの吹き込みであったとされている。そして、1997年に「オッペケペー節」など計28曲を一枚のCDにしたものが『甦るオッペケペー節』として東芝EMIから発売された。