猶存社/猶存会(ゆうぞんしゃ / ゆうぞんかい)は、老壮会の右派思想家の満川亀太郎を中心に、1919年8月1日に結成された国家主義運動の結社。社名は『唐詩選』の巻頭にある魏徴の詩「述懐」にある「縦横計不就 慷慨志猶存」にちなむ。猶存社の結成に当たって、満川は、中国の辛亥革命に身を投じていた北一輝を上海から呼び戻し、国家改造をリードさせようとした。これに共鳴した大川周明は上海の北の元へ赴いた。この誘いに対し、北は『国家改造案原理大綱』(後に『日本改造法案大綱』)を執筆して帰国した。満川亀太郎、北一輝、大川周明は、猶存社の中心人物として「三尊」と称された。1920年7月には、機関誌『雄叫び』を発行。皇太子裕仁親王の渡欧阻止や宮中某重大事件で活動し、安田善次郎・原敬らの暗殺事件にも思想的な影響を与えたといわれている。中心スローガンは「日本帝国の改造」と「アジア民族の解放」であった。また同人による学生運動の指導により、日の会(東京帝国大学)・猶興学会(京都帝国大学)・東光会(第五高等学校)・光の会(慶應義塾大学)・烽の会(札幌農学校)・潮の会(早稲田大学)・魂の会(拓殖大学)などの団体が生まれた。このうち日の会は猶存社同人の鹿子木員信と大川周明の支援を受けて岸信介らが結成したものである。天皇観の相違やヨッフェ来日問題をめぐって、北と大川・満川との対立が激しくなり、1923年3月に猶存社自体は解散・分裂した。その後、1925年に大川は、満川、安岡正篤らと行地社を結成した。一方、北の影響を受けた清水行之助は大化会や大行社を結成し、岩田富美夫は大化会の会長として活動した。
出典:wikipedia
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