株式会社チャンピオンソフトは、パソコンゲームの開発・販売を主な事業内容とする日本の企業。現在はブランド名「アリスソフト」として活動している。休止中のブランド「Alice Blue」も含めた、両ブランドの開発スタッフは、同社の社員である。白木善喜はサラリーマンを勤めていたが、脱サラをしてゲーム制作への道を決意する。1983年(昭和58年)1月に株式会社チャンピオンソフトを設立し、自らが社長就任。社長自ら制作も手がけた。設立当初、販売は「エヌ.ティ.エル産業株式会社」が行っていたが、後に「チャンピオンソフト販売株式会社」が行うことになる。また設立当時は、全年齢対象ソフトも制作していたが、設立と同年にファミリーコンピュータが登場して全年齢対象ソフトの市場は家庭用ゲーム機に奪われることになる。これによりパソコンゲーム制作会社各社は選択を迫られることになった。ドラゴンクエストシリーズで知られる『エニックス』、ファイナルファンタジーシリーズの『スクウェア』(共に現:スクウェア・エニックスの前身)などは、パソコンゲームから家庭用ゲームに事業を移していった。一方で、チャンピオンソフトは家庭用ゲームでは販売がされていない、アダルトゲームに絞って展開していくことでその復活を図った。アダルトゲームへと制作の中心を移していったチャンピオンソフトは様々な試みを試すことになる。1986年(昭和61年)5月、フロッピーディスクと雑誌がセットになったディスクマガジン、『GRAPHICアイドル情報誌 ZETA』を創刊。バーチャルアイドルの先駆けの作品となった作品で、架空のアイドルを創出し、そのアイドルのプロフィールやグラビアを公開するというものであった。5号の定期創刊を経て完結した。『ZETA』の編集には、「アリスソフト」で活躍することになる、YUKIMI(当時の名前は「はかせ」)やとりなどもいた。1987年(昭和62年)、後に「アリスソフト」において『ランスシリーズ』・『闘神都市シリーズ』といった看板作品を生み出すTADAが入社し、同年美樹ちゃんシリーズ第2弾『Little PRINCESS』で初めて作品を手がけることになる。もっとも『Little PRINCESS』は、美樹ちゃんシリーズ第1弾『LEMONADE創刊号 さらわれた美樹ちゃん』のMSXへの移植改造作業であり、TADAの正式な初プロデュース作品ではなかった。1988年(昭和63年)、続編の美樹ちゃんシリーズ第3弾『Little Vampire』を制作し、これがTADA初のプロデュース作品となった。翌年の1989年に、株式会社チャンピオンソフトはパソコンゲーム制作ブランド「アリスソフト」を設立。設立の理由は不明。これ以降、同社の制作スタッフはアリスソフト名義でゲームソフトを制作・発表することとなり、チャンピオンソフト名義が使用されることはなくなった。また、1990年代に女性向けゲーム制作ブランド「Alice Blue」を設立したが、2004年(平成16年)7月16日に「ハイリスク・そこそこリターン」の採算状況を見直すために活動を休止した。アリスソフトはブランド名であるため、アリスソフト名義での活動による売上や経費は、全て株式会社チャンピオンソフトとして計上される。創業者の白木善喜は社長を退き会長に就任、現社長は善喜の長男である白木慶喜が継いでいる。アリスソフトにおいては過去の作品の表紙・マニュアル・ソフト本体が、無料で配布できることになっている。チャンピオンソフトの頃に制作した作品もその一部は配布フリー作品に入っている。『Little PRINCESS』・『Little Vampire』・『学園戦記』の3つが配布フリー作品になっている。美樹ちゃんシリーズ第1弾『さわらわれた美樹ちゃん』を始め、チャンピオンソフトの頃に作られたその他の大部分の作品は今のところ配布フリー宣言がされていない。上記の3つを除いたチャンピオンソフトの作品については、今のところ中古で手に入れるしか方法がないが、かなり古い作品のためほとんど流通しない。流通しても高価であるため、手に入れることは困難である。なお、『ウェディングレース』については、Oh!FM'83年春号(創刊第2号)にFM-7版のプログラムリストが掲載されている。アリスソフト移行後の作品については、「アリスソフト」を参照。取締役もしくはチャンピオンソフト時代の主なスタッフのみ記述。アリスソフト移行後のスタッフについては、「アリスソフト」を参照。
出典:wikipedia
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