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光忠

光忠(みつただ)は、鎌倉時代中期の備前国(岡山県)の刀工。日本刀の主要産地の一つである備前国において中世を通じて栄えた長船派(おさふねは)の実質的な祖であり、古備前派に見られる小沸づいた小乱れの作から、華やかな乱れ刃を焼いた豪壮な作刀まで作行が広い。備前国は古来刀剣の産地として名高く、現在の岡山県南部にあたる吉井川流域では長船派、畠田派、福岡一文字、吉岡一文字、吉井派などの刀工群が鎌倉時代 - 室町時代を中心に活動した。長船派は現在の岡山県瀬戸内市長船町に居住した一派で、多くの著名刀工を輩出し、光忠は一派の実質的な祖とされる。光忠の生没年は不明であるが、『古今銘尽』には宝治、建長年間(1247 – 1255年)頃の人とする。旧御物に「備前国長船光忠」と銘した太刀(三の丸尚蔵館蔵)があり、長船に住したことが明らかである。織田信長は華やかな光忠の作を特に好み、20 数振りを集めた。中でも三好実休が戦死時に帯びていた「実休光忠」に執着し、集めた光忠の中から、実休と交流のあった堺の商人に鑑定させ、大いに愛蔵したと伝わる。なお、実休光忠は本能寺の変で焼失した。現存作刀は比較的少なく、国宝、重要文化財、重要美術品、日本美術刀剣保存協会鑑定の物を含めても30振り前後しか現存しない。「光忠」二字銘の太刀と、元来長寸の太刀であったものを後世磨上(すりあ)げて刀にしたものとがある。在銘の太刀も後世に磨上げて寸法を縮めたものが多い。在銘品よりも無銘極め物の方により華やかな作が見られる。なお、古備前派にも同名の刀工が存在するが、長船光忠とは別人とみなされている。「金象嵌銘」とは、後世、本阿弥家が入れた鑑定銘であり、刀工本人が切った銘ではないことを示すもの。2014・2015年の文化庁による所在確認調査の結果、所在不明とされた物件については「所在不明」とした。

出典:wikipedia

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