十二国(じゅうにこく)は小野不由美の小説『十二国記』シリーズの舞台となる架空の世界の呼称、またはそこに存在する12の国の総称である。十二国の世界は、山海経に登場するような神仙や妖魔の存在する世界である。文化、政治形態は古代中国(特に周)に類似しており、絶対的な王制のもと統治が行なわれているが、王位は世襲制ではなく、12の国はそれぞれ神獣麒麟(きりん)が天意に従って選んだ王により治められる。王は諸侯を封じ、政治を行なわせるが、王や一部の高位の官吏は神仙として不老長寿(だが必ずしも不死ではなく、胴や首を断たれれば死んでしまう)の身体を得て、天意に従う形で国を治めることを求められている。自らを選んだ麒麟が失道にかかりそのまま死ぬか、王を辞し禅譲する、あるいは誰かに討たれるなどされない限り王は死なない。他国への軍事的干渉は、その国の国主が助力を求めてこない限り天意によって厳しく禁止されており、理由の如何を問わず破った国は王・麒麟ともに悲惨な死に方をし国氏も変わる(覿面の罪)。王とそれを選ぶ麒麟、そして天意とは何なのかという問いが、作品全体の主題となっている。十二国は、最初に執筆された『魔性の子』で、想定世界として地図や年表、図表などと共に作られ、講談社編集者の勧めでファンタジー小説化され十二国記シリーズが生まれた。シリーズ進行とともに『魔性の子』は包摂化されサイドストーリー化したが、この異世界が我々の暮らす現実世界に干渉したときに起こる脅威がホラー小説として描かれている。天帝(てんてい)とはこの世界の最高神であり創造主でもある。「天」と呼ばれることもある。今の世界が出来る以前より世界を支配していたが、かつての世界があまりにも乱れたため世界を一度滅ぼして全てを卵に返し、現在の十二国世界を作った。十二国世界の全てを作り天綱を定め、今も世界の全てを治めているとされる存在で、玉京に住むと伝えられている。麒麟が王を選ぶのも天帝の意思に従って選んでいるとされている。小説中においてもほとんど記述されておらず、天界に属する天仙である犬狼真君が黄朱の里に里木をもたらす際に「天帝や諸神を動かした」とされる。「天帝が王を任じる儀式」とされている王の即位の儀式においても姿を現さず、雁国主従は500年に及ぶ統治の間「会ったこともないし、会ったという奴も知らない」と語っている。そのため、存在の有無や十二国世界での役割については様々な憶測を呼んでいる。麒麟によって選ばれ、天帝に代わって国を統治する人物。選ばれる資格はその国の里木に実った卵果から生まれたことと、先代の王と同じ姓で無いこと、麒麟のみが感じ取る王気(天命)を有していることである。この条件さえ当て嵌まれば老若男女問わず、胎果や半獣であっても王になる。王気は麒麟の強い直感と言える物で一定の形をしているものではなく、光の様に感じられる物もあれば闇のような物もあり、安穏に感じるやさしい物もあれば恐怖と錯覚する畏怖を覚える覇気に感じる物もあるという。王に選定された者はみな名君や賢君の素質があると言われるが、実際は短命の王や女王が数多く、長期間統治する名君や賢君と呼ばれる者は少ない。天帝の意思が麒麟を通して王を選定するとされているが、謀反などで王が危機に陥っても天帝は助けない。王の統治には三つの、転機点になりやすい時期が存在するとされる。これらの転機点以外で斃れる王も数多く、常にこの事例に該当するわけではない。しかし、そういう事例も大抵は以下の三つの時期の頃にうまく行っていない気配がある事が多いとされる。麒麟に跪かれた時点、あるいは誓約を交わした時点で、既に王となる。王になった時点でその者は人としては死に、以後は麒麟の霊力で生かされる。麒麟が死ねば数ヶ月から1年程で王は死ぬ。また、王になった者は自動的に戸籍から除かれて神籍に登録され、不老不死かつ冬器以外では危害を受けない体になる。正式な結婚は出来ないが、登極時に既婚である場合はその配偶者との間の子供を路木に願う事が出来る。王に選ばれると麒麟との誓約を慣例に従った文言で交わす(麒麟はこの誓句を女仙達に習う)。そして、天勅を受けるために蓬山に向かう。天勅を受ける日まで王は丹桂宮で過ごし、吉日になると雲梯宮へ赴き、階(きざはし)を昇る。階は蓬山の山頂の廟に続いており、階を昇り終えた者は天帝と西王母の像に向かって廟に焼香し、「道を守って徳を施す」という誓いを立てる。その後、玄武の背に乗って雲海の上を渡って王宮へ向かう。王が誕生すると、誕生した国の白雉が「即位」と鳴き、鳳が他国の王にどこの王が即位したかを伝える。そして、瑞雲(玄武の航跡)が現れるなどの吉兆が起こる。これらの瑞兆が無いのに王が即位したと言われると多くの者は偽王を疑うし、事実そうである。王が斃れた場合は、白雉が「崩御」と鳴いて死に、鳳によって他国の王に知らされる。各国の宝重の中には王にしか扱えないものもあり、麒麟とともに王にとって切り札となる。麒麟が失道するほどの失政がない限り、王が玉座にいることで天災や妖魔の襲来が減る。これらの災害を収めることが王にとっての最も基本的な職務である。但し、ただ王宮にいるだけでは足りず、儀式、特に郊祀を行なうことが不可欠である。法は原則として諸官が作成し、王はそれを裁可する。王の役目とは自ら国を運営することではなく、国家運営の指針を示すことと、国を運営する諸官の指揮と監督である。一国に一の最高位の神獣。本性は獣で、人と獣の二つの姿を持つ。貴色は黄(故に王宮の麒麟専属の医者を『黄医』という)。人の時の姿は総じてすらりとした体格で、獣型は雌黄の毛並みに五色の背、金の鬣の一角獣で、顔は馬ほど長くなく鹿に似ており、額には黄味のかかった真珠色の枝分かれした角があり馬のような蹄を持ち、長い尾は付け根が細くて馬とは異なり、牛のそれよりも長毛が豊かである。仙骨を持ち、体重が非常に軽い。性情は仁であり、慈悲深く、争いを厭う。肉や脂(煮こごりや動物性のスープも)を口にすることが出来ず、血の穢れ(自分が流した血も含む)により病むこともある。血の臭いを嗅いだだけで倒れてしまう事もある(怨嗟や呪詛が混じった血なら尚更)。天帝の意思が素通りするだけの存在とも言われ、麒麟は自らの意思は持たないとも言われている。なお、麒麟本来の力は、獣に転じたときの角が根源であるとされ、人型では角にあたる額に触れられるのを嫌う。角を封じられたり傷つけられると麒麟としての力を使えなくなる。角を失っても長い年月をかければ再生は不可能ではない。空を駆ける事ができ、十二国世界の生き物の中で最も脚が速いとされる。王気を頼りに自らの主(王)を選び、その後は王と共に国へ赴き(これを『生国へ下る』と言う)、臣下に下って宰輔となる。麒麟はその国の民意を具現化したものと考えられており、麒麟の性格は基本的には自国の国民の気質に準じるとされる。自らの主以外には決して叩頭せず、相手が神仙であろうと他者に叩頭することは本能的に不可能である。天帝と西王母の像に礼拝する時ですら麒麟だけは伏礼ではなく跪拝で済ませる。一方で自らの主には否が応でも叩頭してしまう、という。十二国世界の中央・五山の一つ蓬山にある捨身木に黄金の卵果として実り、誕生後は蓬廬宮を住宮とし、女怪の乳と蓬山の女仙によって育てられる。王と誓約するまでは「蓬山公」(蓬山の主)とも呼ばれる。蓬山に住む女仙達は麒麟の身の回りの世話をする召使いで、女仙の長である碧霞玄君は唯一麒麟と同格の存在である。王のいない麒麟の寿命は30年ほど(血肉や脂を口にするためか蓬莱では10年ほどとされる)で、稀に王を見出せないまま天寿を全うする麒麟がいる。しかし王を選んだ後は、王が道を失って「失道の病」にかかったり、謀反などで冬器で攻撃されるなどの事態にならない限り、王と共に生き続けることが出来る。失道の病は心の病とされるが、麒麟の不調から直ちにそれと分かるわけではない。病に臥してから麒麟が死ぬまで数ヶ月から一年の猶予があるが、王が心を入れ替えて麒麟の病が治った例は数例しかないとされる。なお、麒麟が死ねば王も死んでしまうため、麒麟を殺したものは死罪に処されることがある。生まれたときは獣の姿で角は無いが、5歳ぐらいから人の形に変化するようになり言葉を話し始める。それからしばらくは姿が頻繁に変わるが次第に落ち着いてきて、角の先端が額に現れると完全な人型になることができ、同時に乳離れをするが、乳離れする前は傷や血の汚れに強い。麒麟の能力の多くは獣の時代に身に付けるもので、この年代は五山を奔放に駆け黄海を飛び回って妖魔を遊びのように折伏しながら暮らす。人の姿から獣の姿になることを転変(てんぺん)、逆に獣から人になることを転化(てんげ)という。蓬山で生まれ育った麒麟は獣の姿で生まれ、成長に伴って転化を覚える。しかし、泰麒のように十二国外での生活が長すぎて転変が困難な場合がある。王を選定した後も成獣になるまで体の成長は続く。成獣になると外見上の成長は止まるが、成獣までの年月はそれぞれの麒麟によって異なる。胎果の麒麟は蓬莱では人の子として生まれるが、転化ができるようになる前に蓬山に連れ戻された場合は獣の姿になる。通常は金の鬣を持つが、供麒の銅に近い金色、景麒のかなり薄い金色のように鬣の色にも個体差がある。なお、黒麒麟は黒い鋼色の鬣に、黒に銀と雲母を散らした背、漆黒の首と足で真珠の一角を持つ。過去には赤麒麟や白麒麟がいたことも有った。十二国世界では黒は慶事の色である為、黒麒麟(角端)は特別な力を持っていると思われているが、実際はただの色違いであるという。十二国世界で麒麟以外が金髪を有することはなく、鬣はいかなる染料でも染める事はできない。人型のときの髪は獣型における鬣であり、転変時に不揃いになることや首が曲がってしまうことを避けるため、基本的に切ったり結ったりはしない。鬣(=髪)の長さは個体により違い、髪を整える程度に切る事はあるが、伸びるのが止まるまで伸ばすのが普通である。雄を麒、雌を麟といい、国氏を冠してその麒麟を表す号となる。ただし呼称として使用されるのは蓬山で女仙の庇護下にある間か私的な会話の場合のみで、公式の場では一般に役職名の宰輔、あるいは畏れ敬って台輔(たいほ)と呼ばれる。他国の麒麟の場合は国氏を冠することで呼び分ける。麒と麟の割合は、一国をみても世界全体を見ても、時代によって偏りが出る事もあるが総て見ると大体半々の割合になる。自身が血を忌み、戦うことも困難であるため、妖魔を使令(しれい)という自分の臣下として従え、使役する事ができる。但し、自身の能力を超えた力を持つ妖魔を従属させる事はできない。使令に下す際、麒麟は死後に自分の死体を食べさせるという契約をする(麒麟の肉体は霊力の塊であり、妖魔にとって甚大な力を与える)。そのため、墓は王と合葬される形を採られるものの、墓に麒麟の死体は無く、通常、麒麟は死後に殯宮(もがりのみや)に安置されるが、この間に妖魔はこっそり死体を食べる。生みの親はおらず、自国に戸籍が持てず(他国の麒麟を戸籍に入れることは可能)、結婚も出来なければ子供も出来ず、ひたすら王に尽くした後は自分だけの墓は無く、王と合同の墓はあっても死体が無いという麒麟の生涯を、六太は「無い無い尽くし」であると喩えている。昇山(しょうざん)とは、王に選定されることを望む人々が、自力で蓬山に登ってその国の麒麟に面会することである。昇山によって麒麟に面会できるのはその国に籍がある者に限られ、一生に一度しか昇山できない。籍を失う、卵果が流される、昇山する意欲がない等の理由により、必ずしも王となる人物が昇山するとは限らないため、麒麟が自ら自国や他国、蓬莱・崑崙に赴き王を探さなければならない場合がある。選定の機会は主人に付き添う従者であっても等しく与えられる。昇山者の中には、端から玉座は諦めて、これを機会に麒麟や王と誼を結ぼうとする者もいる。前王と共に麒麟が亡くなった場合、次の麒麟が生まれ王の選定が可能になるまでの約5〜10年の歳月を待たなければならない。麒麟の準備が整うと生国の里祠に麒麟旗(黄旗)が掲げられ、王の選定(昇山)の開始を告げる。麒麟旗を揚げる命令は蓬山から麒麟の生国の全ての祠廟に同時に行われるが、実際に旗が揚げられるのは各祠廟によって数日のラグが出ることがあるらしい。いち早く昇山を試みようとする者は、時期が近付くと麒麟旗が揚る前にそれぞれ年に決められた日のみ開く四令門を巡り始める。昇山するには「四令門」のいずれかを通って蓬山に赴くが、門と蓬山の間には黄海が広がり、これを横断する約半月から一月の間、生死を賭けた旅程を経ることになる。麒麟と面会した結果、王気を認められなければ「至日(中日)までご無事で」と麒麟に言われるのが慣例であるが、至日(しじつ)とは夏至および冬至、中日(ちゅうじつ)とは彼岸のちょうど中日(春分および秋分)であり、次に「門」に開く日を指す。王であれば帰路は雲海の上を安全に帰ることになるので、王ではない=危険の伴う黄海を戻ることを暗に伝えていることになる。一般的に昇山者は、初期ほど自負心の強い軍人や官が多く、後になるほど周囲の者に押されて昇山を決意した者や商人が増える傾向にある。特に最初の昇山者の中から王が出たときは、その王を「疾風のように王になった者」の意味で瓢風(ひょうふう)の王と呼ぶ。瓢風の王は昇山前から自他共に「王に相応しい」と評された者が多く、傑物であり名君になる可能性が高いとされる一方で、早期に斃れることも多いとされ「瓢風の王は朝を終えず」という故事も存在する。瓢風の王の例としては、驍宗(泰王)や砥尚(先代の采王)が挙げられる。王となるべき人物が昇山者の中にいた場合、通常よりも格段に困難が軽減される。剛氏はその人物を鵬もしくは鵬雛と呼び、その旅を「鵬翼に乗る」と表現するが、その人物が死ぬとそれまでの幸運のツケが一気に回ってくる。なお、現在の十二国の王のうち自分で昇山したことが作中で描かれているのは供王・珠晶と泰王・驍宗の2人。延王・尚隆と景王・赤子は麒麟が蓬莱に赴いて王を選び、宗王・櫨先新は経営する旅館に宗麟が訪れている。利広によると劉王・助露峰も昇山はしていない。麒麟と同じく捨身木から生まれる。枝に麒麟の卵果が実るとそれに対応する根にも女怪の卵果が実り、1日で孵る。生まれたときには自分が育てる麒麟の国氏と性別を知っている。女怪は麒麟より先に生まれて麒麟の誕生を見守り、乳母として育て、生国に下ってのちは使令として仕え、麒麟が死ねば同時に女怪も死ぬ。さまざまな動物が入り混じった姿をしており、混ざっている動物の数が多いほど良いとされる。姓は必ず白(はく)で、姓を持つのは生まれてきた麒麟を守るという重要な使命を担っているからである。麒麟を守る事しか考えられないため、麒麟が危機にさらされた時には後先を顧みずに無茶な行動に出ることもある。種族的には人と妖獣の中間に位置する。人妖あるいは妖人と呼ばれる妖の一種で、捨身木から生まれた女だけを特別に女怪と呼ぶ。十二国世界から見て、日本を蓬莱(ほうらい)、中国を崑崙(こんろん)と言う。十二国世界には「蓬莱は虚海の果てに存在し、崑崙は世界の陰(黄海の裏)に存在する」という伝説もあるが、蓬莱・崑崙は十二国世界とは異次元に存在する異世界であるため、通常は生物や物品が行き来することは不可能である。だが、本来は交わることの無い蓬莱・崑崙と十二国世界が、蝕(後述)と呼ばれる現象により一瞬つながってしまうことがあり、本来は十二国世界で誕生するはずだった命が蓬莱・崑崙に飛ばされたり、逆に蓬莱・崑崙から人間が流されて来る場合がある。こうして、海客・山客・胎果(いずれも後述)が発生する。神籍にある者や伯位以上の仙ならば、意図的に行き来することが出来るとされているが、胎果(後述)でない十二国世界の人間が蓬莱・崑崙へ行くと、姿や意識が不安定になり、確固たる形で存在することができなくなる。なお、海客・山客(後述)などは十二国世界に流されてきても(アニメの杉本のように蓬莱・崑崙に戻った場合も)特に存在に変化はない。伝説の上での倭や漢は、家が金銀玉で出来ている神仙の国であり、国は豊かで農民でも王侯のような暮らしをし、人はみな宙を駆け、一日で千里も走り、赤ん坊でも妖魔を倒す不思議な力を持つ、どんな苦しみも悲しみもない、夢の国であるとされている。妖魔や神仙が神通力を持つのも、この世界に行って深山の泉を飲むからだといわれている。蓬莱・崑崙と十二国世界の間には「世界の狭間」と呼べる虚無の空間があるとされる。この空間を渡るのには約一日掛かるという。また、稀にこの空間に物質が取り残される場合もあるという。蓬莱・崑崙から、蝕によって十二国世界に流されてきた人間を、海客(かいきゃく)または山客(さんきゃく)と言う。姿は十二国世界の人間と非常に似通っているが、十二国世界の人間とは本質的に異質な存在である。また、海客・山客の中には、胎果(たいか)と呼ばれる存在もいる。海客や山客は仙になるか、十二国世界の言語を習得しない限り言葉が通じない。壁落人によれば、神仙以外は胎果といえども同じだという。初歩的な中国語の知識のあった東大生の壁落人は最初はかろうじて筆談が出来るため十二国世界の人間と意思の疎通が出来、十二国の言語を覚えることが出来たが、松山老人は十二国に来て半世紀たってもほとんど言葉がわからないまま生活していた。海客や山客の扱いは大綱に定めが無いため、どう扱うかは各国の政策にゆだねられている。多くの国ではおおむね浮民と同じ扱いであるが、雁・奏・漣等では紙・印刷技術・陶磁器・医術といった有用な技術をもたらすとされているため優遇されている。中でも雁では、海客は役所に届ければ海客としての身分証明書を与えられ、それを使って界身から一定の生活費や商売の元手の融資を受け取る事や、公共の学校や病院を利用する事が出来る。雁では海客がこのように優遇されているため海客でないのに海客を名乗る偽物もいるらしく、郵便番号や市外局番を聞かれて本物(の日本人)かどうかを確かめられる。逆に、巧では海客がやってきた時の蝕で被害が出たかどうかによって「良い海客」と「悪い海客」に分けられ、悪い海客(事実上ほとんどの海客)は「国を滅ぼす」として処刑されることになる。卵果(らんか)とは、十二国世界におけるあらゆる生き物の卵の総称である。木の実の形をしている。十二国世界では人間も動物も母親ではなく卵果から生まれる(鳥は卵を産むが、素卵なしではその卵から雛が孵ることは無い)。植物は種をまけば育つが、新種の作物の種はやはり卵果から生まれる。人間や家畜や農作物は里木、獣や魚や植物は野木、麒麟と女怪は蓬山の捨身木に実る。どの木も白銀のように白く、枝ばかりで葉も花も無い。また、妖魔が近づかない。いかなる動物も里木や野木の下では殺生が出来ない。食う食われるの関係にある動物は時期をずらして生まれてくる。金や銀、水晶などの玉は、主に戴国に湧出する金泉、銀泉、玉泉から採取する。泉の水が礫の地層を流れると稀に結晶化することがあり、その結晶を種石にして対応する泉に漬けて気長に待つと結晶が大きくなる。望んだ大きさになったところで採取する。そのため、十二国世界では宝飾品の値段は市井が思うほど高くは無く、高価なものは真珠だけである。銅や鉄も存在する。陽子が達姐から聞いた限りでは石油や石炭は存在しない。仙(せん)とは仙籍(せんせき)と呼ばれる特別な戸籍に名前を記載された人間をいう。王と麒麟は神籍(しんせき)と呼ばれる仙籍とはまた別の戸籍に入るため厳密には仙とは区別されるが、総称して神仙(しんせん)と呼ばれ、単に「仙」と呼ばれる場合もある。海客や山客も仙になることが出来る。仙になると、その格にもよるが、様々な特殊な能力を持つようになる。仙は、最下級の者(梨耀に仕えていた頃の鈴など)であっても、不老であると同時に病気にならず、飢餓状態になっても死ぬことはない。また、冬器で攻撃されたり、非常に高所から落下するなどしない限り、体に傷を負うことはなく、たとえ怪我をしても通常の人間と比べて回復が早いため、多くの場合は自然治癒する。このような頑健な身体の他にも、海客や山客のような言語を異にする者とも言葉が通じるようになる(但し、聞いた音は翻訳されるが、書かれた文字や文章は翻訳されない)。位の低い仙は、それ以外に何か特殊な能力を持つようになる訳ではないとされているが、高位の仙は妖魔や獣の意思も感じ取れるようになり、中でも伯より上の仙は虚海を越えることができる。また、蓬山の女仙が仙の力の行使をほのめかして狼藉者を恫喝した他、清秀が鈴に死期の判別の可否を尋ねるなど、一般庶民は仙が何か特殊な能力を持っていると考えている場合もあるようである。なお、仙になると額に第三の目と呼ばれる外からは見えない何らかの器官が生まれ、それが仙としての能力に関係しているとされている。事実、額を何らかの呪で封じられるとあらゆる呪力を失ってしまう。基本的に官吏は国官と州官、文官と武官を問わず仙籍に登録され、これが仙の大部分を占める地仙(ちせん)である。官吏になったことにより仙になった者は官吏を辞職すると同時に仙籍も返上するが、希に官を辞した者や神仙の親族、王の愛妾等、官以外の仙で王宮を離れた者がそれまでの功績によって仙籍をそのままにすることがある(梨耀がその例)。また、五山に仕える仙は天帝や西王母に請願を立てて五穀を絶つなどをして満願成就すると、崇山から迎えが来て仙になる。そうした王宮を離れたり自力昇仙した王に仕えていない仙は飛仙(ひせん)と総称される。飛仙の中でも特に伯位以上にある者(五山に仕える男仙女仙、自力昇仙の仙)は仙伯と呼ばれる。更に天界に属する仙は天仙(てんせん)と呼ばれ、王や麒麟と対等以上の存在として一般的に神と同列に扱われ、人界との交わりは制限される(天仙と神を総称して「天神」と呼ぶ)。それぞれの関係は更夜を例にとると、雁国元州夏官射士に採用された時に雁国の仙籍に入り(地仙)、斡由の反乱後は仙籍はそのままで雁国を離れ(飛仙)、その後は仙籍は雁に残ったまま天仙(犬狼真君)となっている。また仙の種類や位は呼び名にも反映され、代表的なものとして自力昇仙した仙は「老」、伯位を持つ仙は「伯」を付けて呼ばれる。慶国の遠甫を例にとると、王に仕えていない飛仙としては老松、達王に仕えていた時期(伯位を持つ地仙)は松伯と呼ばれる。ある者が王になった場合には親兄弟、親族を仙籍に入れることができ、特に王の息子は太子、娘は公主と呼ばれる。またある者が仙になった場合、親子と配偶者は一緒に仙になることが出来るが、兄弟縁者の昇仙は許されない(ただし縁者は優先的に官吏への登用がある)。しかし、不老不死の体を不気味がる者もおり、官吏は転勤が多い事もあって、官吏になると同時に離婚するケースがある。官吏の親の場合は自分の子供達の間に線を引くこと(仙籍に入れない、官吏の兄弟姉妹と別れること)を嫌がり、仙籍に入らず他の子供と共に家に残る事が多い。地仙の仙籍はその国の王が管理しており、仙籍に入ろうとする者の依頼を受けて王自らが仙籍に名前を書き込む。仙籍にあるものが死亡すると、その者の名前は自動的に仙籍から抹消される。空位の時は白雉の足を使って仙籍の管理を行う。王が死んでも新王が即位しても仙籍を弄らない限り仙であり続けるため、官僚の多くは複数の王に仕えた経歴があり王よりはるかに年上という仙もザラにいる。人の姿も獣(獣人)の姿もとることが出来る人間のこと。半獣も普通の人間同士の子供として、里木に実った卵果から人の姿で生まれて来る。人間の姿であるときは普通の人間と全く区別出来ない。さまざまな種類の獣の半獣が存在する。自分の意思で人間の姿にも獣の姿にもなれるが、ほとんど獣の姿で過ごす者もいれば人間の姿で過ごす者もいる。熊や牛の半獣は人の姿の時でも力持ちであるなど、獣姿の種類によっては人姿の身体能力に影響を及ぼすことがあるらしい。天網に半獣の扱いに対する規定がない為、半獣の扱いは国によってバラバラである。元々はほとんどの国で制度的に差別されており、成人しても正丁になれない、学校へも行けない、官吏にもなれない等の扱いを受けていた。そこまでの扱いをする国は次第に減り、戴では驍宗が制度を廃止し(国が混乱しているため徹底はされていない)、慶でも陽子が初勅の反す刀で廃止したため、戸籍を与えないほどの法的差別が残っている国は巧だけになった。慶では半獣は上大夫以上の官位には就けなかったが、陽子が初勅の返す刀の勅命で廃止したため法律上は平等となったものの、半獣に対する差別は残っている。制度上では半獣に対する差別がほとんど無いことになっている雁国の大学でも、楽俊が教師に半獣姿での受講を拒否されたり、本を囓ると思われたりするなど事実上の差別は根強く存在する。半獣や海客・山客、浮民への差別とは対照的に、障害者差別や男女差別はあまり無い。生まれ付き障害を持っている人への保護制度は整っており、妊娠・出産が発生しないため適性以外の目立った男女差がなく男女は共働きが当たり前となっている。職業も殆どの職種で男女半々であり、武官など体力的な理由で男性が多い職種も女性がいない訳ではない。王や麒麟も男女比を歴史書を調べて平均すると、世界中を見ても一国を見ても、時代によっては偏りが出るものの大体半々である。十二国世界で使われる言語は、蓬莱や崑崙で用いる言語とは大幅に異なる言語である。文字は漢字(アニメ版では金文)を使っており、漢文を用いているため壁落人のように中国語の知識がある者が漢文の筆談を行えば意思の疎通を図ることは可能だが、会話では初歩的な現代中国語が通じない。特定の地域でしか使われない熟語や慣用句がある以外は他国間で差異はない。各国毎に元号制を布いており、西暦のような、世界共通の年の数え方は十二国世界には無い。元号は王が即位した時に改元され、その後も時々改元が行われる。閏月の概念が存在する。各国の国府の馮相氏が天体観測を行って作った暦を基に、郡ごとに保章氏が気候や動植物の生育や気象観測などを基に注を補い、それを更に各郷で調節を行った上で郷が発行・配布する。それ故、暦の題名は発行された郡の名称になっている。農民が使う本式の暦は農事暦(月間気象予報)とも言える代物で、抄暦や抄本と比べると分厚く、農作業や漁業等に関する予報や注意事項が細かく記されており、その性質上頻繁に改定が行われる為、最低でも各季節毎に、時には毎月、暦が発行・配布される。農作業を行わない商人などはこの本式の暦から抜き書きされた抄暦や抄本と呼ばれる暦を主に使用しており、こちらは年に1度受け取るのが普通である。暦には暦注という占いも書かれている。目上からは姓名、目下からは氏字で呼ばれるのが慣わしだが、蘭玉曰く、昔気質の人は今でも姓名と氏字を使い分けるそうだが、若い人には気にしない人が居り、最近は氏字を使わない人も出てきていると言う。事実、蘭玉のように字風の名前をつけられる子供もいる。世界の中央に金剛山で囲まれた円形の島があり、その大半が黄海と呼ばれる場所で、中央に五山がある。黄海の外周を二つの楕円形が直角に組み合わさった花形の4つの内海が囲んでおり、その外側に花の形の大陸がある。更に大陸の周囲を囲む海を虚海と言い、四州国の虚海側の沖合い(角の部分付近は四大国の沖合いにある)に二等辺直角三角形の四島が斜辺を大陸に向けた配置で存在している。内海と虚海には、大陸寄りの小島を除いて陸地と呼べる島は存在しない。陸地は総じて外海側は断崖が多くて良港が少なく、艀を使わないと上陸できない港が多いのに対し、内海側はなだらかであり外海に比べて良港が多い。各国は必ず九州で構成され、内陸に有る首都州の周りを他の八州(余州)が取り囲む形に配置されている。空の上には雲海と呼ばれる海があり、陸には凌雲山と呼ばれる雲海を突き抜ける山が有る。人が住む世界は金剛山より外側の地域と定められ、金剛山には四箇所の門(四令門)が存在し、一般人は門以外から金剛山を越えることは出来ない。十二国世界では、日本・中国はそれぞれ蓬莱(倭)・崑崙(漢)と呼ばれ、それぞれ世界の東の果て・世界の影に位置するとされる。なお、日本(蓬莱)から見た十二国については、作中で一度だけ常世(とこよ)と呼ばれている。十二国世界の空にある、天上と下界を分ける『海』。凌雲山の九合目の上辺りにある。文字通り天に水が浮いて海になっており、波もあれば潮の香りもする。近くで見ると常には陰鬱な灰色をしており、天上から見ればうっすらと青みを帯びた透明な海。雲海上から下界を見下ろすと水底に雲があり、その下に街が有るように見え、地上からは雲海近くでは青い底が見えることもあるが、普通は雲海の波が雲に見える程度にしか見えない。五山の頂上や王宮・州城は凌雲山の雲海の上にある。凌雲山を登ったり騎獣で突き抜けると雲海の上下を行き来できるが、深さはほんの身の丈に見えるのに潜っても底には辿り着けない。雲海の水は血糊を被った麒麟を清めるのに使われる。文字通り、雲海を突き抜ける、柱のような山。雲海の上からは山頂は雲海に浮かぶ小島のように見える。五山の山頂、及び王宮と州城は凌雲山にある。それ以外の凌雲山は諸侯の居宮や陵墓や離宮などといった王の所有物である。王宮がある凌雲山の名前は首都の名前と同じである。首都の凌雲山は門が5つあり、国府がある都合上、最初の門の皋門から二つ目の門の雉門(中門)までは市民が自由に出入りできる。山頂へ至る道は階段状の隧道を通っており、見た目より歩いた感じが短く感じる呪が掛けられている。黄海の中央にある崇山(「崇高」「中岳」「中山」とも呼ばれる)と、その周囲にある蓬山、崋山、霍山、恒山の総称。女神の長である西王母が治める天界に属する領域。蓬山は崇山の東に位置し、東岳あるいは東山とも呼ばれる。崋山は西、恒山は北、霍山は南にあるが、霍山と恒山は黄海の中心から西に寄っている。五山には周囲の黄海に住む妖魔・妖獣は侵入できない。西王母ら神仙達を憚って山を飛び越えようとする者はいない。天帝の山である崇山と西王母が主とされる蓬山以外の山の主は諸説あって判然としない。崇山は自力昇仙した仙の修行の場である。ここでの修行を終えた後、天仙たちは蓬山などに配属される。五山の一つ、蓬山には女仙を束ねる天仙である碧霞玄君・玉葉が居を構え、事実上人界と天界との橋渡し役となっている。また蓬山は神獣麒麟が生まれ、育てられる場所としても知られる。それらの事から、蓬山のみ人間が立ち入ることを許している。蓬山には麒麟以外には女仙しかいないため、蓬山にいる男性と子供は必然的に麒麟だけなので「蓬山に小さき者は麒麟のみ」と言われている。なお、「蓬山」は元々「泰山」と呼ばれていたが、戴国の王が覿面の罪を犯したことにより戴国の国氏が代から泰に代わったために名前を変えた。その後も凶事有る度に名前を変えたが、ここ千年程は現在の名前に落ち着いている。蓬山には四季が無く、年中温暖で花が咲き乱れている。そのため、建物は雨露さえしのげればよく、甫渡宮以外の建物は四阿か庵のような佇まいである。蓬山には以下の施設が存在する。蓬山の女仙たちは麒麟がいない平時は自らの生活のための機織りや洗濯、畑仕事や祭祀などのルーチンワークをしている。麒麟は沢山の食べ物を前に一人で食事をする慣わしになっている。五山の周囲に広がる領域。天帝の定める法則の外にあり、天界にも人界にも属さない(あるいは、天界と人界とを分け隔てる為の中間領域)。神に見捨てられた地とも言われる。「海」という呼称だが、実際には海ではなく一国に匹敵する広大な土地で、多種多様な植生を育む起伏の富んだ地形に妖魔・妖獣が跳梁跋扈している。降雨量はさほど多くなく、人間世界では南方に行くほど暖かかくなるが、黄海では中央に近いほど暖かい気候となる。なお蓬山付近の標高は凌雲山の8合目に相当する。妖魔以外にも危険が多い土地で、流砂が起こり、瘴気をくゆらせる沼や落石の多い山がある。黄海の外延部は金剛山と呼ばれる登攀不可能な断崖絶壁の険しい山脈が存在し、黄海の妖魔・妖獣も越えることが出来ない。「門」は騎獣で飛び越える事は出来なくも無い高さだが、門番に撃ち落される可能性があり、また西王母ら女仙達を憚って飛び越えようとする者自体が少ない。そのため、金剛山を越えて黄海内部に入ったり外に出たりするには、通常は金剛山に4つ存在する「門」を必ず通らなければならない。ただし王や麒麟、玉葉の招きを受けた者などは、雲海の上から金剛山を越えることが許される。雲海の上を騶虞で空行すると、蓬山から奏国の王宮・清漢宮まで2日ほど掛かる。雲海の上を足の速い騎獣(猗即)で空行すると、金剛山を早朝に出発すると日没に五山にたどり着く。一般には人の住めない「人外の領域」と言われているが、出入り自体は門が開いている間は自由となっている。そのため蓬山に向う昇山者以外にも黄海に入る者達がいる。代表的な例としては、黄海を生活の場とし、騎獣を狩る朱氏や、昇山者の護衛を生業とする剛氏と呼ばれる人達が知られている。また自身の駆る騎獣を求める武将なども、時折黄海を訪れている。近年では、天仙の中で黄海に入る人を守る唯一の存在である犬狼真君の加護を受ける祈りをして黄海に入る者がいる。犬狼真君の祠廟は四令門の手前の街の四令門に通じる門の脇の壁と、四令門の向こうにある城砦にあり、そこに置かれた水を浸した桶に浸けられた葉がない桃の枝で水滴をかけるように黄海に入るもの(人や騎獣など)を払い、その枝と、桶の脇の石壁に掛けられた犬狼真君の護符である小さな木の札を持って黄海に入る。護符は無事に黄海を出れば感謝を以って祠廟に返す慣わしなので、多くの人を守ってきた墨の色も滲んでいるような古い札の方が好まれる。人外の領域であるため、黄海には本来道も里も存在しないとされるが、主に剛氏達によって各四令門から蓬山までの道が維持されている。更に小規模ながら朱氏や剛氏など戸籍を持たない「黄朱の民」の里があり、「黄海の守護者」犬狼神君によって里木がもたらされている。なお、里木をもたらされた時の諸神との約束で、黄朱の民以外の者が里木に触れると枯れてしまうため、里の存在は黄朱の民以外には極秘とされている。金剛山の麓にある4つの「門」は四令門と呼ばれ、海を挟んだ対岸の国の首都州の「飛び地」になっており、1年に1回、それそれ定まった安闔日(あんこうじつ)(春分・夏至・秋分・冬至)の正午から翌日の正午にだけ開かれる。北から時計回りにが存在する。門の構造は令乾門を例に取ると、門扉の高さは四十丈以上、幅二百歩以上。あまりの巨大さに、内側に傾いているように錯覚する。門は二層になっており、一層は巨大な一枚岩をくりぬいたもので、ここに人の身の丈の数十倍はある、天伯の姿が刻印された朱塗りの門扉がある。二層の青丹の高楼は朱塗りの柱に碧の瓦で、中央に小さく、門扉のない門があり、その上に黒塗りに金で「令乾門」と書かれた扁額がある。高楼の上は開いていて、飛翔できる騎獣であれば飛び越えられそうな高さであるが、門番がいるため飛び越えようとするものはいない。門の両側には岩棚のような歩墻があり、城塞での任期が明ける兵士が最後の仕事として、ここでの警護を行う。四令門と、その手前の街の四令門に通じる門は黄海に向けて開かれる。四令門の門前の土地は広大だが、金剛山全体から見れば金剛山脈の切れ目の断崖の麓にある小さな砂州の様な、非常に限定された土地である。この「門」が開く時は、黄海の内部から妖魔が外部に向かって大量に溢れ出て来る可能性がある為、非常に厳重な警備体制が敷かれる。四令門の前の街の門を出ると、宗闕の間近に迫る金剛山の峰々が千尋に切り裂かれ、一条の道を作っている。四令門へ続く道は削り取られたように峰と峰が迫っていて、その間に広い谷が続いている。峡谷の道幅は六百歩(騎馬を連ねて隊列が往き来できる広さ)あり、地門の門前から徐々に両岸の岸壁が高くなっていく。この道は街からは上り坂だが、曲がりくねっている深い峡谷のため下り坂と錯覚する。四令門の先、渓谷に蓋をするような形で石造りの隔壁がある。四令門からここまでは飛翔すれば一瞬の距離で、深い渓谷故に上空からの見通しが悪いからなのか、ここで妖魔に捕まる不運な者は少ない。隔壁の向こうは城塞になっている。この城塞は門前の街を守る為に安闔日の度に資材を運び、長い年月をかけて造られた堅牢な物で、門前の街を持つ国の兵士が1年の任期でここに駐留している。隔壁から城塞へは城塞の道幅いっぱいに立ち塞がる石の隋道が通っている。隋道には石と漆喰で固めた天井を所々切り、そこに小さな屋根をつけて天窓を設けている。煙出し程度の屋根の四方に鉄柵を植えて妖魔を排除し、光と空気を入れている。城塞は小さな里ほどの体裁のある城とも町ともつかない代物で、町の道は細く、かろうじて騎馬が二頭並べる程度の道幅しかない。その両脇に石造りの低い建物がぴったりと続いて並んでいる。その道の頭上も石で、隧道の中のような明り取りが切られており、暗くはないが、決して明るくもない。湿気が淀み、四方の石材は古び、黄海に特有の熱気がこもっている。そもそもは街を守るための兵馬の施設だが、その恩恵をごく普通の旅人も浴する事が出来、土間に雑魚寝だが泊まる事が出来、粗末とはいえ食事も出してもらえる。この城塞が黄海で最初で最後の人の土地であり、城塞から黄海に出ると人外の土地である。城塞の外の安全が確保されると黄海への門が開かれる。城塞を出ると落ち込むような傾斜で下る岩だらけの傾斜になっており、その下には、見渡す限り緑の樹海が広がっている。左右には金剛山が迫っている。森には、ようやく馬車が通れる程度の道幅の道が続いている。これは金剛山から下る沢に沿い、長い年月の間に昇山の人々によって切り開かれ、踏み均された道である。坂の下には広場があり、兵士が布陣する岩棚がある。城塞の扉を開ける際に倒した妖魔の死骸が城塞の傍に積まれている為、2、3日は妖魔はその死骸の血の臭いに釣られて旅人の方に来ることは少ない。朝に城塞を出ると午を少し過ぎた頃に草地に出る。この草地は休む場所を作るために枝を打ち払い、若い木を切り倒す事を幾百年と繰り返した結果、全員が休めるだけの場所が出来た物である。黄海を取り巻いている4つの内海と4つの海峡からなる。北から時計回りに黒海、艮海門、青海、巽海門、赤海、坤海門、白海、乾海門と呼ばれている。なお、各海峡は四令門と対になっている。内海の色は名前の通りの色に見える。妖魔は総じて内海側からやってくる。黄海沿岸から赤海を最も足の早い騎獣である騶虞で空行して横断するのに一昼夜掛かる。内海と外海を隔てる島に存在する国家群。北から時計回りに以下のように配置されている。慶東国・奏南国・範西国・柳北国の4国を四大国、雁州国・巧州国・才州国・恭州国の4国を四州国と呼ぶ。国名は正式名称で呼ばれることはあまりなく、一般には雁や慶のように略して呼ばれる。国の大きさは、一国を抜けるのに徒歩でで3ヶ月、馬で1ヶ月、国境の山脈あるいは海を通るのに更に徒歩でおおよそ1ヶ月かかる。巧国の阿岸から浮壕経由で雁国の烏号まで3泊4日の船旅と、陸路より海路の方が早い場合もある。大陸の国と国は高岫山と総称される山脈によって仕切られており、国境の事を高岫(こうしゅう)とも呼ぶ。陸路で国境を越えるには高岫山に1つから3つある鳥羽口(関所)を通過しなければならない。国境を越える際には旌券を改めるが、旌券が無くても官の尋問を受けた後に国境を越える事が出来る。虚海に浮かぶ島国。北東から時計回りに以下のように呼ばれている。四極国から大陸に渡るには騎獣で一昼夜かかり、戴から連までは騎獣で空行して柳から恭と範を経由して半月ほどかかる。八カ国の外側に広がる外洋。物理的には虚海の外側には何も無く、果てしない海が広がっている。過去に虚海の果てを見ようと船を出した者がいたが、帰ってきたものは一人もいないという。芳国と大陸の間に有る海峡は『乾海』、載国と大陸の間にある海峡は『艮海』と呼ばれているが、乾海は船で3昼夜と、あまりにも広いため普段は海峡も虚海と呼ばれる。灰色のどんよりとした海のように見えるが水に色が着いているわけではなく、むしろ恐ろしく澄んでいる。よく荒れ、夜になると深海に住む妖魚が発する光が星のように明滅して見える。妖魚は小さく見えるが実際は艀を飲み込むほどの大きさである。妖魚は嵐の時でもなければ決して浮いてこない。また虚海には、十二国世界と他の世界(蓬莱や崑崙と呼ばれる世界)との境界線と言う意味もあり、王や麒麟、一部の高位の仙は虚海を渡って蓬莱や崑崙に行くことが出来る。黄海を除き北は寒く南は暑い。そのうち最も寒いのは、冬になると北東から条風(季節風)が吹き、雪を降らせる戴である。この風は北の国々を冬の間凍えさせる。他に柳、芳にも雪が多く積もる。雁も北東に位置するため、この風の影響を強く受け柳と同程度に寒い。この3国では冬季に髪や鼻を外気にさらすと髪が凍り付き鼻に氷柱が出来る。冬の戴では絶えず鼻をこすり続けないと鼻の奥が凍るとされる。恭も条風の影響を受けるが、山を越えるため乾燥した風が吹く。正月前の範の南部が戴の冬に必須の羽毛を入れ羊毛で裏打ちされた旗袍(官の正装の外套)を脱ぎ捨てるぐらいの気温である。南方は非常に温暖であり、漣では二毛作が行なわれ、冬でも戴の春や秋の気候である。また奏の最南端では冬でも外で眠れるといわれる。覿面の罪(てきめんのつみ)は天綱に定められた最も重い罪の1つで、「軍兵をもって他国を侵すこと」をいう。「王も麒麟も数日のうちに斃れる」とされる。なお、禁じられているのは『(他国の主権を)侵す』事(侵略など)であって、兵士が他国に『立ち入る』事(王の身辺警護としての同行や、使節としての訪問など)自体は禁じられていない。過去の実例として、遵帝の故事がある。慈悲深い名君として知られた才の遵帝は、『荒廃に苦しむ隣国の民を自国に救出するため』に出兵したところ、軍の越境から程なく、王と麒麟が通常ではありえない突然の変死を遂げた。出兵は人道に則ったもので、天網に背く行為とは誰も認識していなかったため、それが覿面の罪であるとは当初誰にも分からなかったが、次王が御璽の国氏の変化に気付いたことで遵帝の行為が覿面の罪に当たると認識された。なお、この罪は軍隊の侵入にとどまらず、麒麟が使令だけを送り込むことも『侵す』事に該当する。軍事力を以て他国を支援する場合、覿面の罪を回避するために、その国の王や仮王など正当な国家主権を持つ者からの正式な依頼が必要となる。国氏が変わるということは王が非常に重い罪を犯したことを意味するものであり、過去に国氏が変わった同様の例としてあげられているのは、「失道で麒麟が死んだ事に逆上し、次の麒麟が生まれてこないようにするために蓬山に侵入して捨身木を焼き払い、女仙を皆殺しにした」戴極国の王の事例がある。アニメでは覿面の罪の定義そのものが原作と異なっており、「天命に逆らい人道にもとる事」・「天命なしに死を選ぶ(≒禅譲する)事」・「他国に侵入する事」の3つが覿面の罪であるとされている。とはいえ、この3つは原作においても「王が行ってはならないこと」であるとされている。国が制定する普通の法は官からの奏上を王が裁可する形で制定されるのが殆どであるが、王が自ら制定して発する法令を特に勅令という。延王尚隆によれば一般的に勅令は王朝が形をなしていくはじめの頃と傾いていく終わりの頃に多い。中でも新王がはじめて発する勅令のことを初勅(しょちょく)と呼び、多くの場合は王がその国をどのような国にしたいのかという方針を示すものになっている。中には初勅を出さなかった王もいる。実際に次のようなものが初勅として出されている。また、法令ではないその案件一回限りで有効な王の命令は勅命と呼ばれ、勅令とは区別される。官吏の任免などを行うのは「勅命」である。有能な官吏の条件に『他国の法に通じる』と言うものがあるが、実際に他国の刑法にまで通じる官吏は刑を司る司寇の官の中にも少ない。蔽獄(裁判所)があるのは県府以上であり、州府では犯罪事件は取り扱わないが、牢はどこにでもある。牢は官府の奥にある。未だ刑罰の定まらない罪人は、拘制に処された罪人と一緒に、軍営内にある囹圄に捕らえられることになっている。司法が主催する刑獄(けいごく:裁判)は、刑案を担当する司刑と典刑、司刺のみで運営されており、この三者の合議によって論断される。まず、典刑が刑辟(刑法)に沿って刑察(けいさつ:罪を明らかにして刑罰を引き当てる)を行い、それに対して司刺が三赦、三宥、三刺に鑑み、罪の減免を申し立てる。そして、最終的に司刑が決を下す。司法の決論を他者が左右することは許されないが、大司寇なり冢宰なりが上位の権をもって既に出た決獄に異議を唱え、諸官に諮った上で論断を一度に限り差し戻すことは出来る。重罪人の場合、最低でも一度はさらに上位の行政府によって論断が行われることになっている。十二国世界の地位の別は、あくまで礼節の程度を示すものとされているが、上位の者は目下の者に礼儀を求める事ができる。位の有無によって生活水準がまるで違う。三公はその国に戸籍を持つ者しかなれない。伯以上の位は王の近親者、冢宰、三公、余州の諸侯以外に設ける事が禁じられている。通常、国府で伯と言う場合は、おおむね卿伯の事を指す。国官で一番下の位は中士である。飛仙の下働きの仙の位は上士以上卿以下である。王の朝議に出席することが許されるのは、高位の官のみである。官吏は所属する地位によって長さと色が違う『綬』という三指ほどの幅の組紐を身に付けている。上位の官吏が個人的に雇う官吏もいる。各府第の予算はそれぞれが抱える官吏の人数によって決まるため、府第はなるべく欠員が出ないように人を雇う。六官とは、「天官、地官、春官、夏官、秋官、冬官」の6つの官職のことである。六官長の位は卿伯。宮中諸事を掌る。土地戸籍を掌る。祭祀を掌る。軍事を掌る。基本的に文官の集まりであり、司右と大僕だけが直接武官を登用している。法令・外交を掌る。造作を掌る。ここで製作される呪を掛けられた武器を冬器と呼び、妖魔を撃退する武器になり、唯一神仙を傷つけることが出来る。上記の三官が冬官長の下で、国のためにそれぞれの工匠を抱えている。国官は必ず首都州のどこかに封じられ、そこから上がる租税から国への上納分を引いた残りが給与となる。つまり、官吏の給与は農作物の収穫量と必然的に連動する事になる。これらの封領は首都州の州候である宰輔の封領を諸官に割譲するという体裁を採っている。封領の単位は最低が里で上納分は半分、これに賦(人頭税)が付くため、一里を封領として与えられる官吏の収入は成人が田圃から得る収入より五割ほど多い事になる。最大は一県であり、封領の官府の長官は領主が任免することができる。余州の給与制度もこれに準じる。そのため、民は官吏の封領の移動に一喜一憂する事となる。官吏が異動するとその者の封領が移動するのと、夫婦は同じ班田で生活するという大原則故に、官吏同士で夫婦になるという事はそれだけで昇進の道が狭まるため、官吏同士での結婚は少ない。地仙の飛仙で凌雲山に洞府を開いている者は、国からのささやかな給金と、洞府の土地の小作人からの徴収で生活している。十二国では、基本的に他国との戦争が存在しない。その代わり、我々の世界における警察に相当する組織が無く、犯罪者の取り締まりを行う警察機能や貴人の警護、王宮や都市の警備などを全て軍がおこなう。さらに罪人が刑務作業で行う土木工事の監督などにも将兵が動員されることがあり、軍事以外にもいろいろな作業に従事する。軍兵の管理は通常、軍で行う。また軍の体系は天綱に定められており、それは内乱鎮圧と警察業務に必要な最低限の人数だけに限定されており、王が勝手に拡張・増強するのはもちろん、動員の際の人員規模の内容を削減する事も出来ない。そのため、兵を動かすとなると、特に慶国のような国力が弱い国では兵站(特に兵士の食料)をどう確保するかが問題になる。兵站は各地の夏官から補給を受ける事になっている。各々の軍には格が存在し、格上から順に禁軍、首都州師、余州の州師の順で、更に同じ軍の中でも左軍、右軍、中軍、佐軍の順に格が下がる。つまり、軍人として最上の肩書きは禁軍左将軍である。州師将軍の小章は7つである。州軍の将軍はただの軍人であるのに対し、禁軍将軍は王に謁見する事が許され政治に関わる事もある、というほど、州師と禁軍には格の違いがある。州が国に収める税は州軍の兵員数に応じて課せられる。兵卒として軍に入るだけなら学歴や教養は問われず、所定の訓練を終えれば配属先に配属されるが、階級が上がるにつれて必然的に兵を統率するための知識と教養が必要になるため、禁軍の将軍には大学卒業程度の学識と教養がなければ務まらないとされる。王が兵を動かす権限を持つ、禁軍三軍と首都州師三軍を合わせて王師(おうし)という。王師六軍ともいう。王師の旗は龍旗である。1つの国に存在する軍は、大きく2つに分けられる。1つは、禁軍と首都州師の「王師」であり、もう1つは、首都州以外の八州(余州)の「州師(しゅうし)」である。軍の名称は順に、「左軍、右軍、中軍」と呼称され、余州の州師のみ更に「佐軍」が加わる。その軍の数は、王師がそれぞれ三軍、州師が二軍から四軍とされているが、これ以上の軍備は太綱によって禁じられている。一州の反乱ならたやすく鎮圧されるが、余州八州が結託すれば王を討つ事も可能である。空行兵(空行出来る騎獣に乗った兵)は1騎で騎兵10騎分の働きをするという。軍の規模には、「黒備、白備、黄備、青備」の4種類が存在する。王師六軍(禁軍三軍と首都州師三軍)は、黒備で常備するのが通常で、専業の兵卒があたる。それが不可能である場合は、白備、黄備とその規模を下げていくのが、通例になっている。一方、州師は通常が黄備で、また佐軍に関しては、おおむね青備が常備となっている。急あって軍を動かす時には市民から兵を募り、更に火急の時には徴兵する事となっている。夫役の内、兵役は体格の問題から実年齢で行うことになっている。軍の編成単位には、「師、旅、卒、両、伍」がある。地方の行政区分は完全な入れ子式で、上から州、郡、郷、県、党、族、里という形で分けられている。国に州は9つと決まっており、内陸にある首都州を余州八州が取り囲むように配置されている。里は里家を含めて25家、4郷で1郡、5県で1郷だが、それ以外の単位については特に数の決まりはない(郷は12500戸、などの名目上の数値は存在する)。州には国から官僚が6人派遣される。十二国において通常の(あるべき)状態として考えられている体制は、上記のとおり王が主権を持ち、補佐役の麒麟と冢宰を筆頭とする諸官がその下にあるというものだが、実際にはそうでない体制も歴史上存在している。なお、王や麒麟、高位の官の性質上、ここでは断りのない限り、死ぬ=欠けるとして扱う。上記のとおり十二国では王を麒麟が選ぶが、王が死んだ後直ぐに麒麟が王たる人物を見つけられるとは限らず、また先王とともに麒麟が死んだ場合は新たな麒麟が生まれ王の選定ができるまで待たねばならないため、長い期間王位が空く。このような空白期間に備え、国権の継承順位が定まっている。なお王が死ぬと、次王が登極するまで御璽が効力を失う(御璽が印影を失う)ため、白雉(王の崩御と同時に斃れる鳥)の足を切って、御璽の代わりとして使用するのが慣例である。冢宰が何らかの理由で欠けている場合には、いくつかの選択肢がある。まとめると、王が欠けた後の国権の継承順位は、1麒麟、2冢宰、3天官長、4六官三公の合議、となる。実務的には、いかにして2の冢宰を決定するか、ということになる。このシステムでは、4までの官吏が欠けた場合、空白期の国家の運営自体が不可能になる。2の冢宰以下は天の条理とは関係がないため、4までの官吏がすべて同時に死ぬのは、謀反や反乱の場合である。その場合反乱の指導者が偽王として立つ、天の定めた条理からは逸脱するが、空白期の国権を行使する存在が"問題なく"存在することになる。十二国の歴史を見ても、以下に述べる戴国の事例の前は国権の保有者自体に空きが出たことはないとされている。王や麒麟に関して"欠ける"が、"死ぬ"を意味していない場合がある。すなわち王や麒麟が、何らかの理由(幽閉や事故)で朝廷と連絡をとれないため、国権の担い手としてみれば欠けているが死んだわけではない場合である。この場合、王や麒麟は個体としては死んでいない
出典:wikipedia
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