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松岡功祐

松岡 功祐(まつおか こうすけ、1943年2月9日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(内野手)。天津ライオンズでコーチを務め、3年の任期をもって帰国。母校・明治大学野球部のコーチを経て、2015年より中日ドラゴンズ野手育成コーチ兼寮長に就任。九州学院高校では1960年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、熊本商に敗退。明治大学へ進学。東京六大学リーグでは1961年春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなかった。4年生になって頭角をあらわし、1964年秋季リーグでは法大の長池徳二に次ぐ打率2位を記録、ベストナイン(遊撃手)に選出される。攻走守三拍子揃っており、すぐにでも使える選手との評判だった。社会人野球のサッポロビールへと進み、1965年、1966年の都市対抗野球大会で活躍。1966年のプロ野球ドラフト会議で大洋ホエールズに1位指名され入団する。1年目の1967年から遊撃手の定位置を獲得し123試合に出場、規定打席(24位、打率.244)にも達する。1969年までその地位を守るが、1970年には米田慶三郎が急成長、激しいポジション争いが続く。1975年には山下大輔がレギュラー遊撃手の座に就いたこともあり、1977年限りで引退。引退後は1979年に二軍守備・走塁コーチ、翌1980年から1989年まで一軍守備・走塁コーチを務め、その後は横浜のスカウトに就任。波留敏夫・相川亮二・木塚敦志などの獲得に携わる。2007年、横浜が提携関係を結んでいる中国野球リーグ・天津ライオンズの台湾キャンプにコーチとして派遣されたのをきっかけに、シーズンを通してベンチ入りするコーチとして就任している。2011年、母校・明治大学硬式野球部のコーチに就任し、三回のリーグ優勝に貢献。荒木郁也・島内宏明・上本崇司を送り出している。2015年より中日の育成コーチ兼選手寮「昇竜館」館長に就任する。2004年、プロでも注目を浴びていた明治大学の一場靖弘を、明治大OBという事もあってスカウトとして担当していた。しかし、担当していた松岡が一場に金銭授与していた事が発覚した。この問題以前にも読売ジャイアンツが一場に裏金を渡していたとされる問題も起こっていたので野球界も混乱する事態となった。これがきっかけで砂原幸雄オーナーが辞職となり、松岡自身も後日に神宮球場で行われた明治大学の試合で、一塁側応援席の人や関係者に謝罪した。

出典:wikipedia

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