金山 勝巳(かなやま かつみ、1933年5月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1953年から1959年までの登録名は布施 勝巳。富岡高校から常磐炭礦を経て、1953年に東急フライヤーズへ入団。同年10月4日の毎日オリオンズ戦に先発。布施は当時20歳4か月、毎日の先発・若林忠志は45歳7か月であり、先発投手の最大年齢差(25歳3か月差)という当時のNPB記録を作った(2012年5月6日に横浜DeNAの国吉佑樹(20歳7か月)と中日の山本昌(46歳8か月)が先発で投げ合い更新)。1年目から9勝を挙げ、その後東映の先発陣の一角として活躍する。1958年5月18日の南海ホークス戦では9回を無安打無失点で抑えたが、延長戦で広瀬叔功に初安打を打たれその後1失点し、ノーヒットノーランを逃した上にチームも敗れている。1962年に引退。引退後は球団に残って二軍投手コーチ(1964年 - 1965年, 1969年 - 1974年, 1976年, 1983年 - 1988年, 1995年 - 1998年)、一軍投手コーチ(1966年 - 1968年, 1975年)を歴任。横手投で、スライダー、シュート、カーブなどを武器とした。在任中は柴田保光投手に対し、「その投げ方じゃコントロールはつかないぜ」とアドバイスし、サイドハンド気味のスリークォーターに変更させ、柴田を制球力抜群のエース級投手に脱皮させた話は有名である。
出典:wikipedia
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