末日聖徒イエス・キリスト教会(まつじつせいとイエス・キリストきょうかい、"The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints; LDS.")は、1830年にアメリカ合衆国にて宗教家ジョセフ・スミス・ジュニアによって立ち上げられたキリスト教系の新宗教。通称はモルモン教会で、教典の一つであるモルモン書"The Book of Mormon")に由来する。本部はアメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ。創始者であるジョセフ・スミスを通して、原始キリスト教会が現代に回復されたとされる。聖書の他にモルモン書など独自の聖典に持ち、教義においては三位一体説の否認、キリストおよび死者の復活、キリストの再臨、福千年を説いている。また人の運命(救い)を決めるのは本人の自由に任されていると主張している点はメソジスト、バプテスト派に類似すると指摘されている。アメリカ合衆国ユタ州を中心に多くの信徒を持ち、アメリカではカトリック教会、バプティスト派、メソジスト派などキリスト教における六大宗派の一つとされている。宗教学上もキリスト教を基本とする新宗教に分類されている。一方で独自の聖典を持ち、また現代のキリスト教主流派が重要視する三位一体を否認していることから、カトリック・プロテスタント・正教会等では異端とされている。末日聖徒イエス・キリスト教会は、ジョセフ・スミス・ジュニア(1805年 - 1844年)によって、1830年4月6日、アメリカ合衆国にて設立された。ジョセフ・スミス・ジュニアによれば、彼は14歳の時(1820年)、当時激化した教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、新約聖書ヤコブの手紙一章5節を読み、どの教会が真実であるかを神に祈り求めたところ、父なる神とその子イエス・キリストが現れる示現を示され、言葉を交わしたとされる。スミスによれば、イエスは「(既存の)いずれの教会もことごとく誤っているため、あなたはどの教会にも加わってはいけない」とジョセフに告げ、イエス・キリストの教会を再び地上に回復するためにジョセフを預言者として選んだとされる。教会の信条によると、回復が必要であったのは、イエス・キリストと12使徒(イエスの弟子)の死後、神の神聖な儀式を行うための神権(神の権能)が地上から失われ、完全なる教義や儀式も聖書の人の解釈によって失われていたからだとされている。神権は1832年のサスケハナ川のほとりで、イエス・キリストの弟子であるペテロ、ヤコブ、ヨハネがジョセフ・スミスとオリバー・カウドリーに天使として現われ、按手により再び回復されてから現在まで受け継がれており、そのことにより現在に至るまで預言者による神の啓示は続いていると信じられている。この宗教は、アメリカ合衆国建国(1776年)、合衆国憲法制定(1789年)、憲法修正第1条-第10条制定(1791年)、憲法修正第1条では、宗教・信条の自由が史上初めて権利として認められた合衆国草創期に設立され、西部への入植の歴史があることから、「開拓期を象徴する宗教」とも言われる。通称の「モルモン教」という名前は教典とするモルモン書から由来しており、書の名前である「モルモン」とは古代アメリカ大陸に住み、当時の民の歴史を記録し、要約した預言者の名前であると信じられている。ジョセフスミスはこの書物を改良エジプト文字から英語に翻訳したとされ、1830年に発行された。設立後、創始者であるジョセフ・スミス・ジュニアの死去や、一時的な(1852年から1890年の)一夫多妻制の経過(多妻婚を禁じるさまざまな法を無視)に伴う議論を経、いくつかの教派に分かれたが、当該教会はその中の最大会派であり、設立時の名前を引き継いでいる。2010年8月現在、教会の公式発表では全世界に1500万人の会員を擁する。(ただしバプテスマとよばれる洗礼を受けていない8歳未満の末日聖徒家族の子供も含めた数)。そのうちの14%はユタ州に住み、教会員の半数以上はアメリカ合衆国外に居住している。数多くの宣教師(約8万人; 2013年10月現在)が166カ国で伝道活動を行っていることが教会の国際的な成長の理由として挙げられている。2006年には、教会員の半数以上がアメリカ外に居住していることが報告された。2010年8月現在、全世界で約2万8500箇所の礼拝施設を構え、日本国内には約340箇所ある。また、神の儀式を執行するとされる神殿は世界に170(2014年1月現在)あり、日本には東京と福岡にある(札幌にて建設予定)。合衆国の宗派としては4位の規模としているが、2001年のニューヨーク市立大学の調査では、10位に留まると推定している。教会の本部はアメリカ合衆国のユタ州ソルトレークシティーにある。ジョセフ・スミス・ジュニアから続く歴代16代目の教会の最高指導者はトーマス・スペンサー・モンソンである。完全な肉体を持つ天の父なる神と、その長子イエス・キリストと、霊体でありイエスをキリストと証明する聖霊とを信じ、父なる神とイエス・キリストと聖霊はそれぞれ別個の存在であって、人類の救いという目的のために常に一致して事をなすとされている。(三位一体の否定)アダムの咎は、神が与えた自由意志の結果であり、人類を生ずるために神の目に適った行いであった(原罪の否定)。この咎によって堕落が生じ、この世に不完全さと死がもたらされ、すべての人は自分の行いにより真理を学ぶ機会を与えられた。イエスはアダムの咎の責任と、万物の不具合を埋め合わせるために死をもって贖いを完成し、キリストとして人を父なる神にとりなす者となった。人の救いに関しては、イエス・キリストによって、全人類は、当人の思いと行いに応じて、最後の審判の日に相応に裁かれると信じている。神の国(天国)には、後述するような三つの段階(日の光栄、月の光栄、星の光栄)があり、神の国に入る条件を拒絶した者(聖霊を汚した者など)は「外の暗闇(地獄)」に追い出される。最後の審判の目的は、当人が天のどの光栄に所属するか、あるいは神の国の外に追われるかを決定するものである。神の国に入った者は互いに助け合って永遠に成長する機会が与えられる。その中には神格が与えられる者も出る。最後の審判の日に、神、キリストを拒み、聖霊までも拒む者は、神の国には入れずサタンと共に取り残される。生のあるうちに教団の教えを聴く機会のなかった者でも、来世においてそれを聞く機会が与えられ、死後でも、イエス・キリストを受け入れるかどうかは本人の選択の自由に任せられ、選ぶことの出来る期間が与えられていると信じられている。モルモン書に対する多くの偏見がある中、当該教会は2011年10月の月刊誌にモルモン書の特集号を設けている。(http://ldschurch.jp/images/stories/liahona/2011-10.pdf 無料閲覧可) モルモン書の存在に関する聖書との位置づけとイエスの意向として、モルモン書のニーファイ第二書二九章九節には「わたしがこれを行うのは、わたしが昨日も、今日も、またとこしえに変わらないことと、わたし自身の望むままにわたしの言葉を語るということを、多くの人に証明するためである。したがってわたしが一言語ったので、もう一言も語れないと思ってはならない。わたしの業はまだ終わっていないからである。わたしの業は人の存在が尽きるまで終わらないし、その後とこしえに終わりがないのである」(http://scriptures.lds.org/jpn/2_ne/29)と書いてあるように、神の言葉とする聖書が『旧約聖書』と『新約聖書』に限りがないという内容で記載してある。末日聖徒イエス・キリスト教会では、戒めは「あるべき理想像」そのものではなく、救いにとって必要条件であるが、機械的に戒めを守っているだけでは救われない。末日聖徒イエス・キリスト教会の「戒め」とは、人が神の器としての水準を維持するための安全基準として自ら進んで守るべきものとされている。(写真参照 http://ldschurch.jp/images/stories/liahona/archive/2006-10.pdf)(教義と聖約131章)末日聖徒イエス・キリスト教会は、戦争や地域紛争に関して、キリストの再臨の日までなくなることはないという考えを持っており、個々の戦争や地域紛争に関して公式なコメントを出すことは稀である。しかし、例外的に第二次大戦が勃発した1942年4月に、戦争に関して次のようなコメントを発表している。「教会は戦争に反対の立場である。いや反対しなければならない。主が新しい命令を下さない限り戦争を仕掛けることはできない。戦争が国際紛争を解決する正しい手段であるとみなすことはできない。国際紛争は平和的な交渉や調整によって解決しなければならない。国々が同意すればできるはずである。」さらに広島の原爆投下について例外的にアメリカに対して非難の声明を発表している。第二次大戦終了後の1946年10月5日に公式の席で、当時の最高指導者会に属するJ.ルーベン・クラーク副管長が、以下のコメントを残している。「この戦争の最たる残忍性は、われわれアメリカ人が日本に原爆を投下して何十万もの民間人を消し去ってしまったことである。…軍関係者は今原子爆弾は間違いであったと言っている。それどころではない、あれは世界にとって悲しむべき惨事であった。…原爆の惨事で最悪のことは全米国民がそろってこのおぞましい大量虐殺を承認したことであった。」末日聖徒イエス・キリスト教会は、教会員の寄付(断食献金)の一部を人道的援助の運用にあてている。たとえば最近では日本においては東日本大震災の復興支援を目的に2011年3月に発足したモルモンヘルピングハンズ東北復興プロジェクトがあり、福島県いわき市から宮城県牡鹿郡女川町、岩手県宮古市まで19の地域で復興支援を行った。(活動内容は、救援物資の提供、瓦礫の処理の手伝い、製氷装置や保冷車の寄贈などが報告されている。)モルモンヘルピングハンズが行ったその他の救援・復興支援活動としては、1995年1月に日本で発生した阪神淡路大震災の復興支援、2005年8月にアメリカ南部を発生したハリケーン・カトリーナの復興支援、2006年3月にエチオピア南部で行われた「はしか撲滅運動」などが報告されている。末日聖徒イエス・キリスト教会は教義上の理由から結婚制度は男女間のみと定めており、同性婚を認めていない。20世紀までは同性愛を罪悪視していたが、現在は同性愛自体は否定しない立場をとり、同性愛者でも入信を歓迎している。モルモン教徒が人口の6割を占めるユタ州では結婚防護法で同性婚を禁じていたが、連邦地裁が2013年12月にこの結婚防護法を違憲と判断した。ただしユタ州政府が控訴したため、現在も同性婚を禁じる州法は有効である。モルモン教会は現在の州法を支持しているが、教会に対する批判も高まっており、一部の信者は、同性愛者の権利擁護訴えパレードの会場にフリーハグのブースを設けるなどの融和策をさぐる動きもある。教義的には人は亡くなると、霊と朽ちるべき体に別れ、霊だけが生きて霊界へ行き、残された遺体は意味をなさなくなる。従って葬儀については規定はなく故人の自由である。キリスト教式、仏式、神道式など合法的であればどれで行っても、特に罪に定められるということはなく、磔刑後のキリストは当時のイスラエル式で葬儀されたと信じている。しかしながら、習慣的には(十字架を使わない)キリスト教式が一般的である。末日聖徒の歴史は大きく次の時期に分けることができる。(急速な教会の発展に伴って武力衝突が本格化。)(迫害を逃れて米国西部への移住と拡張。)(ユタ戦争を決着し、世界に向けて伝道開始)設立当初は、その教義の大胆さや政治的思惑により、武力による衝突があった。当時としては、受け入れがたい共同体生活と多妻結婚(一夫多妻制など)の許容に代表されるプロテスタント思想に逆行する教義と習慣に基づいた教え、集団による政治的脅威および、教会による実業活動の破綻に起因した投資家の大損害などが地元住民の反感を招いた(モルモン教徒対ミズーリ州で戦われたモルモン戦争等)。ジョセフ・スミス・ジュニアは、イエス・キリストの純粋な教えという主張を繰り返したが、なんらかの損害を受けた地元住民らには受け入れがたく、暴動罪の容疑で収監されていたイリノイ州カーセージの牢獄にて兄ハイラム・スミスと共に、住民による襲撃によって死亡した。後を継いだブリガム・ヤングは連邦政府と対立(ユタ戦争など)と譲歩を繰り返しながら、教会の一団を1846年よりイリノイ州より西部に移動する。1847年に彼らが到達した地域は、1850年にユタ準州として承認された。ブリガム・ヤングの後を継いだ指導者は、連邦政府・他宗教との融和傾向を強めていった。ユタは1896年アメリカ45番目の州として承認。現在、ユタ州は共和党の安定地盤とされている。かつて存在していた明白な対立は現在ではあまり見られない。しかし今なお、末日聖徒を脱会した人たちの中には、精神的被害を訴えたり、批判活動を展開する人は存在しており、特に批判活動をしている運動家は反モルモンと呼ばれる。Criticism of Mormonism(英文)参照。2006年9月5日の地域会長会の書簡により大管長会および十二使徒定員会の正式な承認の元、役職の名称が一部変更になった。副会長、副監督、副支部長のそれぞれの名称を「顧問」とすることが承認され、また、監督の名称を「ビショップ」、伝道部長を「伝道部会長」と名称変更がされた。第1副監督としたものを第1顧問、第2副監督としたものを第2顧問と呼んでいる。末日聖徒イエス・キリスト教会はネイティブアメリカンとポリネシア人をモルモン書に登場するエルサレムから逃れた民族の末裔だと教えている。ポリネシア人はモルモン書のアルマ書63章5節に登場する「ハゴス」と呼ばれ、アメリカ大陸から西へ船で旅立った者たちの子孫だと考えられている。また黒人については、カインの末裔であると考えていた時期があった。教会が設立されて間もない頃は、構成する会員はヨーロッパを由来とする白人が多く、コロニアリズムや白人優越主義の思想が未だ根強く残っており、教会の中にもその影響はあった。黒人については神権を与えられない待遇にあった。しかし、教会の会員は北部諸州出身の者が多く、もともと奴隷制度には反対であり、奴隷を認めていたミズーリ州では政治的摩擦の要因となった。またエイブラハム・リンカーンの奴隷解放運動に賛同して、南北戦争には北軍として参加している。黒人への待遇は、1978年の「公式の宣言」によって、公式の見解として、人種にかかわらず神権が付与されるようになった。ネイティブアメリカンをエルサレムから逃れた民族の末裔と考えてきた教会は、当時の一般的なアメリカの風潮と異なり、積極的に彼らと良好な関係を結ぶことで、改宗させようと試みてきた歴史がある。また人道的理由から、米国の法律に基づいて里親制度を創設し、ネイティブアメリカンの親から虐待を受けた児童を保護して、養子縁組を積極的に行い、自らの実子と同じ環境の教育を施してきた。しかし、この里親制度について、オジブワ族を代表する人権活動家の一人デニス・バンクス (Dennis Banks) は、この手法は民族浄化であると批判している。デニス・バンクスが写真家リチャード・アーダースの著書「オジブワの戦士」で語った内容には、下記のような一節があるまた、末日聖徒イエス・キリスト教会は、地元のネイティブアメリカン部族と提携し、あとからやってくる白人の幌馬車隊を襲撃してユタへの侵入を妨害した。
出典:wikipedia
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