ソシアルバターフライ (") とはアメリカ合衆国生産の競走馬である。1966年に繁殖牝馬として日本に輸出され、現地で顕彰馬トウショウボーイなどの活躍馬を送り出した。全兄にカリフォルニアンステークス、サンフェリペハンデキャップなどアメリカで重賞4勝を挙げたSocial Climberがいる。アメリカで競走生活を送り2勝を挙げたが重賞勝利はなく、競走馬引退後は同地で繁殖牝馬となり3頭の牝駒を出産している。その後1966年に日本の藤正牧場によって購買され、ほか2頭の繁殖牝馬と共にThe Pie Kingの仔を宿した状態で来日。同牧場で繁殖入りした。その後出産した牡駒トウショウコルトは競走馬としてのデビュー直前の調教で故障、予後不良となったが、その翌年出産したトウショウピット(父パーソロン)が中山記念、関屋記念、クモハタ記念と重賞を3勝する活躍を見せ、1972年に産んだ牝馬ソシアルトウショウ(父ヴェンチア)は優駿牝馬 (オークス)で2着に、さらに翌年テスコボーイとの間に出産したトウショウボーイは数々の大レースを制し「天馬」と称され、1970年代を代表する名馬に成長した。しかしトウショウボーイが優駿賞年度代表馬を受賞した翌年の1977年秋、ソシアルバターフライは放牧中に牧柵に激突し、右前脚を骨折。獣医師団による治療が試みられたがやがて蹄葉炎を併発し、10月28日に安楽死の措置が執られた。日本で出産した11頭の産駒のうちオープン馬となったものは5頭、日米で挙げた総勝利数は58に上った。ソシアルトウショウとトウショウボーイは繁殖馬としても群を抜く成績を残している。ソシアルトウショウは4頭の重賞優勝馬の母となり、トウショウボーイは三冠馬ミスターシービーを送り出すなど、輸入種牡馬全盛の時代にあって国産種牡馬のエースとして活躍、中小生産者から「お助けボーイ」と呼ばれるほどの成功を収めた。トウショウボーイ以降に誕生した牡駒はいずれも種牡馬となり、トウショウゲート(父シャトーゲイ)はカブトヤマ記念の優勝馬トウショウユースを、トウショウイレブン(父テスコボーイ)は小倉記念の優勝馬スノージェットを、トウショウルチェー(父ダンディルート)は中山牝馬ステークスの優勝馬ジムクインを輩出し、それぞれ重賞優勝馬の父となっている。ほかソシアルトウショウ以外の牝駒も母・祖母として成功を収め、1970年代から1980年代後半にかけて、ソシアルバターフライ子孫の生産馬がトウショウ牧場の全盛時代を築いた。しかし1990年代に入り、トウショウ牧場の生産馬はこれらの系統馬の重用が過ぎたために一転して不振を極めた。一時は繋養繁殖牝馬の半数がソシアルバターフライ系牝馬で占められ、良質な種牡馬が全てそれらの牝馬に配合された結果、血統の偏向により生産馬の活力が失れることになった。その影響は、トウショウ牧場長の志村吉男が2005年に受けたインタビューの中で、活躍馬が出なかった主要因として「ソシアルバターフライに固執したこと」と語るほど顕著なものであった。"※「f」は「filly(牝馬)」の略、「c」は「colt(牡馬)」の略。"ほかリトルマネーメーカーの孫に3度の重賞2着があるカミノスオード、ガールトウショウの孫に7勝を挙げてシーイズトウショウの母の父となっているトウショウフリート、曾孫に岩手の重賞・東北サラブレッド大賞典の優勝馬ダイワハンニバル。エイティトウショウの仔にトウショウヒューイ、トウショウルーイ、トウショウスペリアといったオープン馬がいる。父ユアホストは5年連続でアメリカの年度代表馬となった名馬ケルソの父として知られている。母ウィステリアはアメリカで2勝を挙げ、エイコーンステークス2着の実績を残している。
出典:wikipedia
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