相撲用語に言うところの「かわいがる」とは、相撲界の隠語で躾や心身鍛錬のために「厳しい稽古」で痛め付ける、鍛えることを意味する。かわいがりとも呼ばれる。荒稽古は親方や兄弟子による「愛の鞭」であるとされるが、「かわいがり」の名を借りた暴力により怪我をしたり、ひどい場合死亡事件が起きることがある。問題視されている。相撲界のみならず一般的な隠語としても利用されている。古くから相撲部屋では兄弟子が弟弟子の心身鍛錬のために胸を貸し、通常より厳しいぶつかり稽古(荒稽古)を行い、強い力士を育成することを指す。昭和時代の相撲雑誌にはすでに「かわいがる」という言葉がこの意味合いで使われている。相撲史の中では、常陸山が太刀山を、太刀山が栃木山を、栃木山が玉錦を、玉錦は双葉山を、というように、一時代を担った横綱が一門や部屋の別を越えて期待の若手に胸を出してかわいがった逸話が多く残る。かつてかわいがった後輩に時代を譲る形で身を引いた力士も多く、こうした例は多く美談として残る。中でも、玉錦を双葉山が本場所で初めて破り、69連勝への足がかりとした「覇者交代の一番」は、かわいがりへの恩返しの代表例として、よく引かれる例となっている。他にも、千代の富士が、若い頃かわいがられた貴ノ花に本場所で引導を渡す黒星をつけ、やがてその息子である貴花田に敗れて引退を表明している。安馬(後の日馬富士)は朝青龍に勝利した際に「すごくかわいがってもらったので、恩返しできて良かった」と述べたことがある。自らも素質にはめぐまれなかったものの、他を圧倒する猛稽古で横綱昇進を果たした玉錦を開祖とする二所ノ関一門の猛稽古は、一門の代名詞ともなるほどで、それにまつわる逸話は数多い。特に昭和30年代頃までの分家独立を推奨した一門の方針のため、それぞれ「内弟子」を抱えた現役力士たちの意地の張り合いもあって、稽古場は本場所さながらの真剣勝負の場であったという。のちの横綱若乃花や大関琴ヶ濱が、「とにかくそれぞれの師匠が土俵の周りから厳しい目で見ているので、間違っても手を抜くことなんかできなかった。そこへまた、一番恐ろしい兄弟子の力道山がいるんだから」と証言している。かわいがられている力士を、気合を入れるために親方や兄弟子が「竹刀や木刀で叩いた」り、「口の中に塩や土俵の砂を入れた」などの話もある。かわいがりが行われる時は、複数の力士が立ち会っていることから、「相撲というスポーツ・神事の特異性を言い訳にした集団暴行である」とも言われている。2007年10月20日放送の朝まで生テレビでは、龍虎勢朋が「相撲界ではリンチがある」と述べている。また、かわいがりについても、「土俵の上はかわいがり、リンチは土俵外!」と述べ、「土俵で行うリンチがかわいがり」との認識を示した。高砂親方は、その著書『親方はつらいよ』(ISBN 978-4-16-660643-6)文藝春秋出版で、と主張している。2007年6月に、17歳の序ノ口力士が暴行され死亡した。発端は、親方の「かわいがってやれ」という指示によるものであった。この事件は社会に衝撃を与えた。なお、暴行死した力士は、直後の行政解剖や後の組織検査で「外傷性ショック死」と断定された。そして2008年2月、「かわいがり」を行った主犯格の男(元親方)が、傷害致死の容疑で逮捕された(事件当時は親方だったが、10月に解雇されていた)。この事件をきっかけとして、特にこの用語に関する極めてネガティヴなイメージが一般に定着してしまったことから、現在では「かわいがる」「かわいがり」などの言葉は使用しないように力士たちに指導している者もいる。大勇武龍泉も龍虎同様の“かわいがり”を師匠・芝田山親方(大乃国康)から受け、強制引退に追い込まれた、暴行は日常的だった、として日本相撲協会をも相手取った訴訟を提起している。2011年11月8日には『週刊新潮』2011年11月3日号及び11月10日号の報道により、鳴戸部屋での弟子暴行疑惑が発覚。その後2012年9月10日にこの問題に際し、鳴戸部屋に所属していた18歳と22歳の元力士が、行司と鳴戸の遺族に対し2200万円の損害賠償要求を千葉地裁松戸支部に提訴した。第1回口頭弁論は10月29日。裁判は2013年12月に部屋の名称が田子ノ浦部屋へと改称されて以降も続いていたが、2014年5月16日に千葉地裁松戸支部は原告の請求を棄却している。
出典:wikipedia
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