徳川家茂付き大奥女中(とくがわいえもちつき おおおくじょちゅう)では、江戸幕府14代将軍徳川家茂に仕えた大奥女中を詳述する。なお紹介は史料上の最終役職順で羅列する。飛鳥井(あすかい、生没年不詳)は、幕末の江戸幕府大奥女中。宿元は三枝靭負。徳川家定の世子時代から上臈御年寄として西の丸に仕え、嘉永6年(1863年)家定が将軍となると本丸に移る。安政5年(1858年)家定が没すると、継いで将軍となった家茂付きの上臈御年寄筆頭となった。文久3年(1863年)家茂が没すると出家し、隠居した。花園(はなぞの、生没年不詳)は、幕末の江戸幕府大奥女中。宿元は本多主殿正。出身は京都。上臈御年寄は公家の娘を出自とすることが多いので、花園も同様と思われる。文久2年(1862年)14代将軍徳川家茂の正室として下降した和宮に従って江戸城に入り、家茂の上臈御年寄を勤めた。文久3年(1863年)他の大奥女中らとともに大奥を解雇され、京都へ戻った。瀧山(たきやま)
出典:wikipedia
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