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西日本鉄道

西日本鉄道株式会社(にしにっぽんてつどう、)は、福岡県を基盤に鉄道路線、バス路線などの路線網を持つ大手私鉄。本社所在地は福岡県福岡市中央区天神一丁目11番17号に所在する福岡ビル。また、西鉄グループの中心となる会社でもある。東証1部上場(証券コード:9031)。略称の西鉄(にしてつ、Nishitetsu)として一般的に知られている。なお、正式社名が類似する西日本旅客鉄道(JR西日本)とは関連はない。天神大牟田線・太宰府線・甘木線・貝塚線(旧・宮地岳線)の4つの鉄道路線および路線バス・高速バスなどを運営するほか、国際貨物(輸出入)・不動産業・レジャーサービス業なども行っている。福岡県内に留まらず日本全国、さらには海外でも事業を行っている。鉄道事業の通称は西鉄電車(にしてつでんしゃ)、バス事業の通称は西鉄バス(にしてつバス)である。鉄道事業の規模は民鉄業界の中でも比較的大きいことから、首都圏・中京圏・京阪神圏の三大都市圏以外の鉄道会社としては唯一大手私鉄の中に含まれる。1908年創業の九州電気軌道が前身で、2008年に100周年を迎えた(傍系の博多湾鉄道汽船は1900年創業)。かつては福岡市内線や北九州線などといった路面電車も有していたが、(事実上の)全面廃止を受けて、都市間高速電車として発展を続けていた大牟田線(現在の天神大牟田線)にその中心がシフトした。現在は同路線が鉄道・バス部門における大動脈を担っており、利益捻出の柱ともなっている。グループ全体でのコーポレート・スローガンは「まちに、夢を描こう。(英語版:Connecting your dreams)」(2014年9月22日から)。西日本鉄道は、1908年(明治41年)に設立され1911年(明治44年)に開業した九州電気軌道(九軌)が前身である。これに先立つ1902年(明治35年)には太宰府馬車鉄道(後に九州鉄道に合併)が二日市 - 太宰府間に馬車鉄道を開業している。1910年(明治43年)には福岡市内で福博電気軌道が、翌1911年には博多電気軌道が路面電車の運行を開始。両社は後にそれぞれ東邦電力と九州水力電気に吸収されるが、1934年(昭和9年)に福博電車が双方の軌道事業を引き継いだ。一方、1924年(大正13年)には九州鉄道(九鉄、国有化された1887年設立の九州鉄道とは別)が福岡 - 久留米間で高速電車を開業(現在の天神大牟田線)し、その約1か月後に博多湾鉄道汽船(湾鉄)が新博多(後の千鳥橋) - 和白間で現在の貝塚線にあたる路線を開業している。1942年(昭和17年)には陸上交通事業調整法に対応するため、九州電気軌道・福博電車・九州鉄道・博多湾鉄道汽船・筑前参宮鉄道の5社が合併し、西日本鉄道が発足した。登記上は九州電気軌道(本社・小倉市砂津)による他4社の吸収合併で、合併成立3日後の1942年9月22日に現社名に改称している。また合併と同時に小倉地区への戦災を恐れ、西鉄発足と同時に本社を福岡市西新に移転、旧九州電気軌道本社は「北九州営業局」となった。「西日本鉄道」の社名は、5社合併時の博多湾鉄道汽船社長であった太田清蔵により命名されたものである。西鉄では創立年を自社の直接の母体会社である九州電気軌道が設立された1908年としているが、創立記念日は5社合併後、現社名に改称した9月22日としている。西鉄の鉄道路線は、軌間および歴史的経緯(前身会社)の違いから大牟田線系統と貝塚線系統に大別される。大牟田線系統は、軌間が1,435mmで天神大牟田線、太宰府線、甘木線の3路線から構成される。貝塚線系統は軌間が1,067mmの貝塚線のみで構成され、他の西鉄路線から孤立した状態である。大牟田線系統には毎年新型車両が投入され、本線に相当する天神大牟田線は料金不要の特急・急行列車が多数行き交う。大牟田線系統で運用を離脱した車両は一部が貝塚線に転用されているが、前述の通り軌間が異なるため、転用に際しては軌間が同じ1,067mmの西武鉄道および東京急行電鉄の中古台車に履き替えた上で転用されている。現在、貝塚線に在籍する全車両が大牟田線系統からの転用車両である。同線ではかつて吊り掛け駆動方式の車両が運用されていたが、津屋崎 - 西鉄新宮間の廃止ですべて廃車・解体された。近年西鉄では鉄道事業の活性化施策としてパークアンドライドを推進している。現有路線はその大半が平坦な地形であり、駅までのアクセス手段として路線バスよりもマイカー・バイク・自転車などを用いることが便利な環境にある。これらは広大な筑紫平野では特に顕著であり、沿線の民間経営の駐車場も含めると相当数に上る。駅ロータリーが存在する駅ではキスアンドライドも通勤通学時間帯を中心に多い。西鉄では限られた社有地の範囲内で今後もパークアンドライドを推進したいとしている。上述のように路線のほとんどが福岡平野・筑紫平野上の平坦な地形にあり、地下線もないため、日本の大手私鉄で唯一、自社路線にトンネルがまったくない。廃止路線も含めると北九州線にトンネルが1か所存在していたが、このトンネルは併用軌道区間にあり、同線廃止後も道路トンネルとして現存している。なお、三大都市圏以外で唯一の大手私鉄であることから、2015年3月31日現在、鉄軌道営業収益は21,133(百万円)、旅客輸送人員99,258千人と、大手私鉄16社の中で最も少ない数字となっている(詳しい比較データは大手私鉄#大手私鉄の一覧の項目を参照の事)。かつては北九州市内に北九州線、福岡市内に福岡市内線、大牟田市内に大牟田市内線という軌道線(路面電車)も有していた。収入は軌道線が鉄道線を上回っていたが、高速都市間電車として成長する大牟田線と対照的に利益面では悪化をたどった。自動車流入量の増加や福岡市営地下鉄や北九州モノレールなど代替輸送機関の整備に伴い、筑豊電気鉄道の運営に関わる北九州線の黒崎駅前 - 熊西間を除き全廃されている。西鉄のダイヤ編成上の特徴として、旅客への列車案内時刻が他の鉄道会社と異なり「終着駅では秒単位を切り上げとなっている」点がある(例:ダイヤグラムの到着時刻が10時30分15秒なら、時刻表の到着時刻は10時31分と表示)。途中駅では他社と同様に秒単位を切り捨てた形で案内している。また、天神大牟田線・太宰府線の主要駅では一般利用客向けにダイヤグラムを無料で配布している。この一般利用客向けダイヤグラムには甘木線や貝塚線は掲載されていない。2014年3月末現在の旅客輸送人キロは1,568百万人キロ、列車の最大連結両数は7両となっている。以下の合計106.1kmの路線を営業しており、これは日本の大手私鉄16社の中では第9位となっている。九州のJR以外の鉄道としても営業距離は第1位であったが、2004年(平成16年)3月13日の鹿児島本線 八代 - 川内間の経営分離に伴う肥薩おれんじ鉄道 (116.9km) 開業後は第2位となっている。北九州線のうち、黒崎駅前 - 熊西間は、2000年の軌道法による軌道線としての北九州線全廃後も、この区間に乗り入れていた子会社の筑豊電気鉄道が鉄道事業法による第二種鉄道事業者となり、西鉄が第三種鉄道事業者として線路を保有していたが、2015年にこの第三種鉄道事業を筑豊電気鉄道へ吸収分割したため、西鉄の保有路線ではなくなっている。いずれも国による戦時買収。西鉄の車両は鉄道線向けに日本初のモノコック構造や高速連接車、前面展望式車両、私鉄初の中間電動車といった日本の鉄道車両史に残る先進的な技術を導入してきた。2015年(平成27年)3月31日現在332両(天神大牟田線用316両、貝塚線用16両)の旅客用車両を保有している。西鉄の保有車両数は、日本の大手私鉄では長らく阪神電気鉄道より多かったが、阪神なんば線が開業した2009年以降は最少となっている。かつては気動車、蒸気機関車、電気機関車、客車、貨車も保有していたが、貨物輸送廃止や路線の国有化・廃止などにより、保有車両は1978年以降電車に統一されている。西鉄の車両の形式は京成電鉄や小田急電鉄などと同様に「…系」ではなく「…形」と表記するが、西鉄での読み方は「けい」である(例:3000形→3000けい)。この読み方は西鉄以外では遠州鉄道など一部の鉄道会社で見られる特徴的な読み方である。また、旅客用車両の形式記号は名古屋鉄道や近畿日本鉄道などと同様に等級を表す「ハ」を付けずに「ク」(Tc車)、「モ」(MおよびMc車)、「サ」(T車)と呼ぶ。車体寸法は最大長を600形(2代目)以降19.5mと長めに取っている反面、車体幅は7000形・7050形まで2,670mmの細長い車体が特徴であった。性能面では、標準軌間を利して同じく600形から強力モーターを搭載したM・T同数の経済的な編成を基本としている。電動車の制御方式は抵抗制御及び可変電圧可変周波数制御(VVVFインバータ制御)となっており、チョッパ制御や界磁添加励磁制御などの制御方式は一両も存在していない(ただし、8000形の設計においては従来の抵抗制御に代わる方式として、これら制御方式の導入も検討がされていた)。他にも、先頭車両運転席付近の屋根に付いている列車無線アンテナが、全車両福岡(天神)側にのみ設置されているのも、一つの特徴である。また、方向幕についても幕式の物が主流で、大手私鉄の中で唯一LED表示器の電車が存在していなかったが、2017年に登場する9000形電車では西鉄で初めてLED表示器の方向幕が採用される予定である。車両のメーカーは軌道線では系列下の九州車輌(現在は解散)ほか複数社のものが採用されていたが、鉄道線では1962年の600形以降、川崎車輌および後身の川崎重工業に統一されている。制御装置は長らく三菱電機(313形の一部は日立製作所)のものを使用していたが、7000形以降は東芝製を採用した。※全車が廃車にはなっていないが、当該路線から完全撤退した形式も含む。大人普通旅客運賃(小児及び障害者手帳所持者は半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日現在。以下の場合を除いて途中下車ができる。ただし、自動改札機を通ると切符が回収されてしまうため、途中下車の場合は有人通路を通って駅係員から下車印の押印を受ける必要がある。無人駅で途中下車する場合は、運転士または車掌に申し出る。その他の割引乗車券西日本鉄道は福岡都市圏でバス事業を展開しており、エリア内では最大の事業者として運行している。西鉄のバス車両保有台数は2011年(平成23年)3月31日現在、1,899台である(子会社保有車両、および他社への賃貸車両を除く)。1980年代には3,500台以上を保有していたが、1990年代以降はバス事業の縮小や分社化が進み保有台数が大幅に減少している。2009年度の営業損益を見てみると、鉄道事業が3,782百万円の営業黒字に対して、バス事業は2,700百万円の営業赤字(単体ベース)となっており、厳しい経営状況が続いている。経営改善の一環として、他の大手私鉄同様にバス事業の分社化を進めてきたが、本体での運営が残っているのは大手私鉄で唯一となっている。以下に示すのは現在西鉄本社が福岡都市圏において直接展開するバス事業についてである。高速バスの内容については「西鉄高速バス」を、福岡都市圏以外の分離子会社も含めた内容については「西鉄バス」を参照のこと。営業所名の右の( )内は営業所表記(○の中に漢字/平仮名1、2文字の営業所略称を表示)。※子会社および管理委託されている(子会社所属の運転士が乗務する)路線のみ運行の市町村は除く自動車事業本部管内(福岡市内とその周辺)で135系統の路線バスを設定している(2004年11月現在。同区間でも急行・快速・特別快速と普通は別系統としている場合がある。また、行先番号が同じでも路線名が異なることがあり、反対に路線名が同じでも経由地の違いにより行先番号が異なる場合もある)。現在は種別として、普通・快速・急行・特別快速・特急・直行・深夜などが存在している。快速運転を行う区間も全区間から停留所2つ程度まで幅広い。また、直行は必ずしも終着停留所までノンストップというわけではなく、福岡タワー方面には経路上の各停留所に停車する系統も運行されていた(のちに番号変更によって消滅)。設定系統が複雑であることから、直轄営業所の路線では、方面により行先番号のほかに行き先の方面を表す色が設定されている。ただし、深夜バスはいずれの路線も黄色表示で運行される(行先表示機が方向幕だった時代には行先番号を表示しないものもあった)。(注) 行先番号は一例この項では臨時便扱いなど一部を除く西日本鉄道直営の路線を掲載する。西鉄バスの路線分類には様々な見方がある。例えば、路線図では別々の路線として扱われている野方(城南)博多駅線と九大(都市高速)博多駅線は、実際の運用では「野方(都市高速)博多駅線」という同一路線として運行されている。本稿はあくまで参考とされたい。カッコ内は主な系統のうち、原則として毎日、終日運行されている区間。直轄営業所の路線のうち、利用者が多い・同一経路を走行する行先番号が多い路線においては、運行途中に行先番号を変更している。下表以外にも行先番号を変更する路線は多数あるが、ここでは都心部を運行する路線に限り記載する。その他の路線については各営業所の記事を参照いただきたい。なお、下表の順路を逆方向に運転する場合や、下表の終着地より遠方に運行する場合、経路が一部異なる場合などは、従来の番号で運行する(6番、39番など)。ただし、305番については西行き・東行き双方で番号統一を行っている。なお、下表において下線区間以降で経路・行先が重複する場合は番号変更を行わない。西日本鉄道の2014年度事業計画では、施策として「路線バスの乗り継ぎ促進による路線再編」を挙げている。以下に、2013年11月以降の事例を述べる。いずれも郊外と都心を直通する路線の途中に乗り継ぎ拠点を設けて路線を分断することで、郊外方面へは定時性の向上、都心方面へは運行本数・間隔の適正化を図るものであり、乗り継ぎ拠点でnimocaを利用してバスを乗り継いだ場合はnimocaのセンターポイントを100pt付与するサービスを実施している。2004年10月1日より、すでに一部の高速バスで実験を開始していたGPSによるバス位置情報提供システムを「バスロケーションシステム」として福岡都市圏8路線の路線バスに試験導入し、2005年4月1日から「にしてつバスナビ」として福岡都市圏全域に拡大開始し、2006年4月1日までに福岡都市圏全域が対象路線となった。このシステムでは、バスの現在位置や遅れ時間、到着予定時刻といった情報がパソコンや携帯電話と通じてリアルタイムに乗客に提供される。さらに同年11月からは福岡地区のほぼすべてのバス停にQRコードステッカーを貼付したので、携帯電話での利用がさらに簡便になった。同時にパソコン向けに提供されている時刻表のうちバス停や駅の発車時刻表がPDF形式でも提供開始され、閲覧・印刷時の効率化が行われた。さらに2008年11月からはテレビ西日本との共同開発による、地上デジタル放送のデータ放送を使ったバスロケーションサービス(愛称「バスナビTV」)を開始した。一部のバス停には、テレビ画面形式のバス案内表示板があり、パソコンや携帯電話と同じ形式で表示される。運賃は基本的に区間制と距離制を地域事情に応じて併用している。一般路線の初乗りは大人170円だが、福岡・北九州地区の特殊区間制運賃が適用されている区間では大人190円である。しかし、西鉄バス北九州管轄の北九州都市圏においては特殊区間制運賃適用区間が広範囲にわたっているのに対し、福岡都市圏では天神・博多駅周辺など北九州よりも比較的狭い範囲にとどまっている。整理券方式で、運賃は降車時に精算する。なお、原油価格高騰による燃料費等コスト上昇のため、2008年4月1日から次の施策が実施された。バス運賃値上げは9年ぶりである。上記以外の路線の運賃は据え置き。その他以下の事業を直営で行っている。あるいは行っていた。グループ企業が行っている事業については「西鉄グループ」を参照。西鉄の国際物流(フォワーダー)事業は国際物流事業本部が行っている。通称名はにしてつ(英:"NNR Global Logistics")としている。同本部は福岡県内ではなく東京都中央区日本橋3丁目2番5号にある西鉄日本橋ビルに置かれている。また、海外には現地法人17社や駐在事務所6か所を持ち、アジア、北米、欧州を中心に拠点を置いている。日本国外では「NNR」で通っているため「Nishitetsu」ロゴは使用せず、「NNR」の専用ロゴを使用している。鉄道会社の貨物事業部門としては規模が大きく(鉄道系では近鉄エクスプレス・阪急阪神エクスプレスもフォワーダー事業大手だが、グループ会社であり鉄道会社直営ではない)、2006年度は鉄道・流通・バスの各事業を抑えて同社の最多売上高部門となっている。1948年にパンアメリカン航空と代理店契約を結び航空営業所として設置され、1951年に航空輸送部、1978年に航空貨物事業部に改称した。1957年には西鉄・阪神・近鉄の共同出資でフォワーダー(混載会社)「ジャパン・エアカーゴ・コンソリデーターズ」(JAC)を設立したが、1983年にはJACが解散し、西鉄による単独混載事業を開始している。また1985年には航空貨物のほか、海上貨物の取扱いも開始し、NVOCC事業を展開している。2008年7月1日より従来の航空貨物事業部から国際物流事業本部と改称し、日本国内の対外向けとして使用してきた「西鉄航空」の名称も「にしてつ」に改められた。博多湾鉄道汽船から引き継いだ遊園地・植物園「かしいかえん」を運営する。かつては九州電気軌道時代からの直営であった到津(いとうづ)遊園を運営していたが、2000年に閉園し、北九州市に引き継がれ到津の森公園となった。子会社の運営する施設として、太宰府天満宮との共同出資で設立された太宰府園が運営するだざいふ遊園地や、海の中道海洋生態科学館が運営するマリンワールド海の中道がある。九州電気軌道の子会社九州土地興業の後身である西鉄地所(1971年西鉄に吸収)は小倉市(現北九州市)の海面埋立事業を行い、西鉄の発足後もしばらくの間、沿線の宅地開発を西鉄不動産と西鉄地所の両社が西鉄を代理する形で行っている。2013年より、縁線(えんせん)プロジェクトとして展開。「いえすい」として飲料水宅配サービス事業を事業創造部が運営。「西鉄」の名前を日本全国に広めたのはプロ野球とも言える。西鉄は1943年に球団買収で西鉄軍を発足させ、日本野球連盟に参加したが、この年限りで解散している。戦後西鉄はプロ野球復帰を望んだが、西鉄軍は連盟に解散届を提出していたために復帰を認められなかった。そこで西鉄はアマチュア社会人野球チームを結成。1948年の第19回都市対抗野球大会では優勝を収める。社内ではこのチームを基に再びプロ野球に参戦しようという機運が盛り上がっていた。日本野球連盟が2リーグ制へ分裂した1949年11月26日、西鉄は社会人野球チームを発展させる形で西鉄クリッパースを創設。1950年1月28日運営会社西鉄野球株式会社を設立し、パシフィック・リーグの一員として参加した。1951年には同じ福岡市(平和台球場)を本拠地としていたセントラル・リーグの西日本パイレーツを統合して西鉄ライオンズと改称し、以後1972年まで所有した。ライオンズは1956年 - 1958年の日本シリーズ3連覇を含めて5度のリーグ優勝に輝いたが、1969年に発覚した黒い霧事件で戦力・人気両面で致命的なダメージを受け、福岡市内線廃止問題も浮上したことで西鉄は1972年シーズン後に中村長芳に球団を売却する。チーム名は太平洋クラブをスポンサーとして太平洋クラブライオンズとなる。その後クラウンライターライオンズを経て1978年10月に国土計画へ売却され西武ライオンズとなり、本拠地は埼玉県所沢市に移転した。なお、西鉄野球として設立された運営会社は福岡野球株式会社・株式会社西武ライオンズと商号変更を繰り返しながらも現在まで存続している。埼玉西武ライオンズはかつては西鉄を含めた福岡時代の成績や記録を自らの歴代記録に含んでこなかった。一例として、毎年発行されるファンブックに掲載される年表では、長年に渡り1978年の買収を球団発足とする記述がなされていた。ところが、堤義明をはじめとした西武グループ創業家一族の失脚によるグループ再編を受け、2008年1月末から球団公式サイト内の年表では福岡時代についても記述するようになっただけでなく、同年は西鉄創業100周年事業と西武球団としての30周年事業とが重なったこともあり、「ライオンズ・クラシック」と題して西鉄時代のユニフォームを復刻して試合で着用するイベントを行った。これに合わせて球団公式サイトでは福岡時代の歴史を大きく取り上げるなど、これまでの姿勢を大きく転換した。このイベントには西鉄も後援企業として参加したほか、地元福岡では福岡三越とともに「よみがえる西鉄ライオンズ」と題した記念イベントを開催し、独自の記念グッズも販売した。その後、西鉄の他に福岡野球が経営していた頃や、戦前の西鉄軍の前身で、奇しくも西武の源流企業(現在の西武新宿線の前身)が経営に関与していた東京セネタースについても取り上げた企画を行っている。現在はかつてのライバル球団・南海ホークスの後身である福岡ソフトバンクホークスを地元企業として後援し、同球団に所属していた川﨑宗則選手(現メジャーリーグ・トロント・ブルージェイズ所属)を西鉄電車イメージキャラクターに起用していた。川﨑は西鉄のCMやポスター(電車が主だが、同社の別事業にも一部出演)に出演し、西鉄福岡(天神)駅の一日駅長を務めたこともある。※前身会社の関係人物を含む。代数は九軌より数える。カッコ内は在任期間。

出典:wikipedia

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