菊池 完(きくち かん、1977年5月3日 - )は、東京都西東京市出身のサッカーおよびフットサルの選手。ポジションはディフェンダー。大学卒業後に下部リーグやフットサルで活躍し、30歳になって初めてJリーグのプロ選手になった、異色の経歴を持つサッカー選手である。サッカーの強豪校で知られる都立久留米高校サッカー部でプレーした後、関東大学サッカーリーグ所属の亜細亜大学に進み、関東大学選抜にも選ばれた。しかし卒業後はJリーグ入りが叶わず、関東サッカーリーグに加盟する青梅FCに入団した。青梅FCには5シーズン所属し、2002年には関東リーグ優勝を果たしたが、関東代表として参加した全国地域リーグ決勝大会では1次リーグ敗退となり、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を逃した。また、この年には初めて国民体育大会の東京都選抜に選ばれた。2004年に青梅FCが関東リーグ2部降格が決まるとチームを離れ、11人制(フルコート)のサッカーがオフシーズンに入る同年12月からは東京都フットサルリーグ1部のFC.VENGAに移籍し、2005年4月から11人制のチームであるFCフエンテ東久留米に入団した。フエンテは当時東京都社会人リーグ3部に所属するチームで、前年の青梅FCから数えて4ランク下、Jリーグのディビジョン1から数えると8部に当たるリーグだったが、ここでも実力を評価され、2006年9月には全国選抜フットサル選手権大会に東京都選抜の一員 として参加し、チームは準優勝となった。また、アマチュア選手であったため、東京都小平市にあるフットサル場、トライフットボールフィールドでフットサルスクールのコーチもしていた。2006年10月、東京都3部リーグの第8ブロックでフエンテが優勝して翌年の2部昇格を決めた後、当時東海社会人リーグ1部のFC岐阜へ移籍し、自身初のプロ契約を結んだ。岐阜は同リーグで優勝した後、全国地域リーグ決勝大会で2位、続くホンダロックとの入れ替え戦で2戦2勝し、JFL昇格を決めた。2007年には背番号を30から3に改め、JFLで16試合に出場、1得点を挙げた。特にJリーグ2部(J2)への参入条件の一つである「JFL4位以内」を目指し、厳しい試合が続いたリーグ戦終盤にセンターバックとして先発出場を続け、3位となったチームのJ2参入に貢献した。この活躍により岐阜との契約を更新し、高校卒業後12シーズンを要してのJリーグ入りを果たした。2008年は開幕からベンチ入り出来ずにいたが、J2第10節の水戸戦でJリーグ初出場(90分フル出場)。第17節の甲府戦ではJリーグ初得点を記録した。以後、ほとんどのJ2リーグ戦に出場している。「オールドルーキー」となった菊池への注目も高まり、週刊サッカーマガジンでの特集記事でも取り上げられた。2010年はインドネシア・スーパーリーガのボンタンFCに移籍、2010年3月17日のホームデビュー戦では逆転ゴールを決めた。2011年から東京都社会人リーグ1部への昇格を果たしたFCフエンテ東久留米に復帰。63||1||colspan="2"|-||2||0||67||116||1||colspan="2"|-||2||0||18||113||2||colspan="2"|-||3||0||16||279||2||||||4||0||85||2
出典:wikipedia
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