塚山古墳(つかやまこふん)は、栃木県宇都宮市西川田町に存在する前方後円墳である。旧名は兵庫塚古墳。本項では、塚山古墳を主墳とする塚山古墳群についても記載する。塚山古墳は、全長約98メートル、前方部の幅約55メートル、同高さ約8メートル、後円部の直径約50メートル、同高さ約8メートルの栃木県内有数の大型の剣菱型前方後円墳である。古くは兵庫塚古墳とも呼ばれていた。墳の周縁部の形状から、笹塚古墳と同様に盾形の周濠が廻らされていたと推定されており、これを含めると全長は推定で約130メートルに達していたものと考えられている。3段築成の墳丘上、前方部中段テラス面および後円部に葺石が見られ、また円筒埴輪、土師器、須恵器が出土している。現在、一部墳丘は削平され道路となっている。墳丘形状や出土物から築造年代は古墳時代中期の5世紀後半と考えられている。塚山古墳の周囲には大小9基の古墳が確認されており、塚山古墳を主墳とする塚山古墳群を形成している。1953年(昭和28年)11月10日、芳賀町の大塚台古墳や小山市の千駄塚古墳とともに栃木県指定史跡に登録されている。塚山古墳群は栃木県宇都宮市西川田町にある古墳群である。最大規模の前方後円墳である塚山古墳(上述)を主墳とし、その北側に小型円墳が6基、西側から南西側にかけて北から順に中型円墳(6号墳)と中型前方後円墳の塚山西古墳および塚山南古墳が確認されている。500メートル径内に大小10基の古墳が認められる。塚山古墳群は、茂原古墳群、東谷古墳群に続いて造築された古墳群と考えられている。主墳と考えられる塚山古墳が栃木県内有数の大型墳墓であることから、塚山古墳群はこの地方の有力者の墓とみられているのはもとより、塚山古墳が関西地方の王族の陵墓に見られる剣菱形前方後円墳と同じ形状を有することから、王族に比較的関係の近い人物の陵墓ではないかとの推測もある。現在、塚山古墳の北側には栃木県総合運動公園が整備され、古墳群の北部円墳群は多くが道路建設等のため削平されて消失している。また塚山南古墳の地下には国道121号(宮環)が通る。塚山古墳の墳丘にはドウダンツツジが植えられ、観光シーズンにはレジャー客が訪れる。塚山古墳は旧名を兵庫塚古墳といい、この旧名が周辺の地名等として残る。塚山西古墳は、塚山古墳の西側に位置する帆立貝形前方後円墳である。全長は61メートル、後円部の径46メートル、同高さ5メートル、前方部の幅22メートル、同高さ2.5メートル(削平されており不詳)とされる。周溝から円筒埴輪、形象埴輪、土師器、須恵器などが出土している。周溝が塚山古墳を避けるようにして作られていることから、塚山古墳よりやや後の古墳時代中期、5世紀後半から6世紀前半に築造されたものとみられている。1973年(昭和48年)4月13日、塚山南古墳とともに栃木県指定史跡に登録されている。塚山南古墳は、塚山古墳の南西側、塚山西古墳の南側にある帆立貝型前方後円墳である。全長は58メートル、後円部の径37メートル、同高さ6メートル、前方部の幅18メートル、同高さ2メートルとされる。周溝より円筒埴輪や土器類が出土している。周溝が塚山西古墳を避けるようにして作られていることから、塚山西古墳より少し後の古墳時代中期、5世紀末期から6世紀前半に築造されたものとみられている。1973年(昭和48年)4月13日、塚山西古墳とともに栃木県指定史跡に登録されている。
出典:wikipedia
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