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メジロランバダ

メジロランバダは日本の競走馬、繁殖牝馬。牝馬ながら1997年の日経新春杯、1998年の中山牝馬ステークスを制した。馬名は冠名に1980年代後半に流行したダンス、音楽であるランバダからきている。1993年4月に北海道伊達市のメジロ牧場で生まれる。オーナーブリーダーの同場所有馬として栗東・池江泰郎厩舎に預託される。1996年3月に阪神競馬場で行われたダート1800mの新馬戦で藤田伸二を鞍上に競走馬デビュー。7番人気ながら後方から追い込み新馬勝ちを収める。しかし、その後は半年近く休養し、10月の京都競馬場の500万下条件戦(ダート1800m)で復帰。新馬戦から一転して先行でレースを進め2着。翌月には同じ条件・距離・コースの競走に出走、逃げる形で2勝目を挙げる。続いてゴールデンブーツトロフィー(900万下条件特別)に出走、昇級・芝初挑戦ながら勝利を収め、さらにオリオンステークス(1500万下条件特別)も勝ち、3連勝を飾る。勢いに乗って、年が明けて1997年の日経新春杯で重賞に初挑戦。勢いとハンデ53kgも手伝い、単勝1.9倍の圧倒的1番人気に支持され、イブキタモンヤグラに2馬身の差をつけ重賞初勝利と4連勝を決めた。その後は牝馬ながら阪神大賞典に駒を進め、ここでもマヤノトップガンと人気を分け合う2番人気(単勝2.3倍。1番人気のマヤノトップガンは1.9倍)に支持されたが、距離などの影響もあり4着。マヤノトップガン、マーベラスサンデー、サクラローレルといった顔触れが出走する天皇賞(春)に唯一の牝馬として出走したが、ここでもトップクラスの牡馬の壁は厚く、9着に終わった。秋はカシオペアステークスで復帰し、エリザベス女王杯に駒を進めた。ここでも2番人気に支持されたが、エリモシックの8着に敗れた。その後も入着止まりで、1998年に入り京都金杯に出走するも8着。さらにTCK女王盃で久しぶりのダートに出走するも3着であった。芝に戻って中山牝馬ステークスに出走。初騎乗となる横山典弘に導かれて日経新春杯以来となる勝利を挙げた。この後は芝・ダートを問わずに出走することになるが、どちらでも勝ちきれず、同年のエリザベス女王杯を最後に引退し、繁殖牝馬となった。2013年5月26日、子宮破裂のため死亡した。父であるテリオスは1981年イギリス産。現役時代をイギリスとアイルランドで走り8戦1勝の成績であったが、エプソムダービー6着であることと良血を買われ、1985年に日本に輸入され種牡馬となった。しかし目立つ活躍馬を残すことができず、メジロランバダが活躍する直前の1994年に廃用となっている。母のメジロマーリンはメジロラモーヌの全妹である。

出典:wikipedia

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