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マクラーレン・MP4/4

マクラーレン・MP4/4 (McLaren MP4/4) は、マクラーレンが1988年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーである。MP4/4の設計は1987年夏の終わりごろから本格的にスタートした。エンジンをTAG(ポルシェ)からホンダに変更したが、チーフデザイナであるスティーブ・ニコルズによると、これが明らかにされるのが遅かったため、白紙の状態から6か月でデザインを完了させなければならなかった。設計開始が遅れたため、シーズンオフの間、ホンダエンジンを使った実走テストにはMP4/3Bが使用された。MP4/4がシェイクダウンを行ったのは開幕戦の11日前で、イモラで行われたシーズン前テストの最終日だった。1988年シーズン開幕戦から最終戦まで使用され、圧倒的な強さで全16戦中15勝を記録し、アイルトン・セナに自身初のドライバーズタイトルとマクラーレンにコンストラクターズタイトルをもたらした。当初、モノコックのデザインはマクラーレンの元テクニカルディレクターであるジョン・バーナードがデザインしたもの(MP4/3)をリファインして使用するつもりであった。しかし、レギュレーションによってドライバーの足を前車軸より後ろに下げる規定(新フットボックス規定)が定められたことや、ブラバムからゴードン・マレーが加入していたこともあり、MP4/3までの大柄なスタイルから一変、MP4/4はマレーが設計し「フラットフィッシュ(ヒラメ)」の異名をとったブラバム・BT55とよく似て全高が低く、ドラッグが少ないデザインとなった。ドライバーのポジションは強く寝ており、マレーの要請により、搭載したホンダのRA168Eエンジンも、前年型のRA167Eからクラッチとフライホイールを小径化することなどで全高は50mm以上、クランクシャフト位置は28mm下げられ、ワイズマンシステムを基にした3軸ギアボックスの採用など、各部に低重心化が図られていた。。モノコックを低くしたためフロントサスペンションは前年までのようなプッシュロッドがレイアウトできず、ガイドローラーを介したプルロッドとなった。ターボエンジン最終年のこの年、燃料搭載量が195Lから150Lに引き下げられ、ターボエンジンに求められる燃費性能はより厳しくなった。ホンダはこの条件を逆手にとり、低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使して他のエンジンメーカーを圧倒した。ホンダのRA168Eエンジンは大きく3つの仕様が投入された。開幕戦のブラジルGPではXE1型と呼ばれるものが使われたが、第2戦のサンマリノGPではXE2型を投入した。XE1型ではスロットルバルブが各シリンダに配置されていたが、XE2型ではスロットルバルブがエアチャンバーの手前に移動された。これはターボの過給圧を2.5バール以下でより正確にコントロールするためである。第4戦メキシコGPでは、より高回転で高出力を得ることができるXE3型が投入された。これは主に高地対策によるもので(メキシコGPは高地のメキシコシティで開催された)、以後のレースではXE2型が使用された。シーズン前半までは、サイドポッド上面にシュノーケル状のダクトを設け、そこからターボへと空気を送り込んでいたが、第8戦イギリスGPではサイドポッド上のダクトを廃し、サイドポッド前端から入る空気をターボに送り込むようにダクトのデザインを変更したマシンを持ち込んだ。ところがこのマシンは不調で、金曜日の夜にはシュノーケル状のダクトを付けた仕様に戻されたが、1988年シーズンで唯一ポールポジションを得ることができなかった。また決勝でもシュノーケル状のダクトが使用された。イギリスGPの次戦第9戦ドイツGPには再びダクトをサイドポッド内に移動したマシンが持ち込まれ、以後最終戦まで同形状のマシンが使用された。MP4/4はMP4/4-1からMP4/4-6までの6台が製造された。開幕戦のブラジルGPにはMP4/4-1からMP4/4-3までの3台が用意された。MP4/4は、MP4/4-3を除く5台が勝利を挙げた。シーズン終了後、翌シーズンからの自然吸気エンジンテスト用のシャーシが3台新造された。これらはMP4/4Bと呼ばれ、インダクションポッド付きのボディカウルをまとった車両を用いてテストが行われた。開幕前の準備不足が懸念されたものの、MP4/4はシーズン当初から他を圧倒するポテンシャルと高い信頼性を発揮した。全16戦中、イギリスGPを除く15回のポールポジションと、イタリアGPを除く15回の勝利を獲得。ワンツーフィニッシュは10回を数え、獲得したコンストラクターズポイントは199点で、2位フェラーリ(65ポイント)の3倍以上だった。補足すると、4年後の1992年にベネトン・B192フォードが全戦ポイント獲得(当時は6位までが入賞圏内)し、快挙と賞賛される。これは、70年代~90年代当時の信頼性レベルでは、完走を続けるだけでも困難な状況(有効ポイント制背景の一つ)であり、実に29年ぶりの記録だったためである。1戦を除きすべて完走・ポイントどころか優勝で記録を重ねたMP4/4のパッケージが、相対的な優劣はもちろん、時代背景から俯瞰しても異質ともいえるほどの到達点に至っていたことがこの記録からもうかがえる。アラン・プロストとアイルトン・セナの両マクラーレンドライバーによって争われたドライバーズチャンピオン争いは、7勝のプロストに対し8勝を挙げたセナのものとなった。セナにとっては初のドライバーズタイトルだった。獲得総ポイントではプロストが105、セナが94であったが、有効ポイント制によりベスト11戦のリザルトが有効とされた。有効ポイントでは、セナが90、プロストが87だった。

出典:wikipedia

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