富寧郡(プリョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道に属する郡。鉱業が盛んである。内陸に位置し、東から南に清津市、北に会寧市、西に茂山郡と接する。植民地期までの富寧郡は、現在の清津市の大部分を含み、海に面した大きな郡であった。三国時代には高句麗の領域で、のちに渤海国がこの地を治めた。渤海の東京龍原府はこの付近(現在の清津市富居里)に置かれていたと考えられている。渤海の滅亡後は女真族の領域となり、高麗・李氏朝鮮と女真族との抗争の地となった。高麗末には石幕城と称された。李氏朝鮮王朝の世宗は、この地に六鎮の一つ・寧北鎮を置いた。大韓帝国期に富寧郡の一部であった清津が開港地となる。植民地期には咸鏡北道に属した。この節の出典1945年8月15日時点で富寧郡は以下の8面から構成されていた。現在は1邑・3労働者区・5里を管轄する。
出典:wikipedia
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