小松 清直(こまつ きよなお、慶応2年9月18日(1866年10月26日) - 大正7年(1918年)3月5日は、明治~大正の華族。父は薩摩藩家老小松清廉、母は妾の琴。幼名は安千代。夫人は元薩摩藩家老島津久宝の娘福子。父・帯刀清廉と京都の芸妓・琴の長男として誕生する。1870年8月に清廉が没したため、清廉正妻の千賀により鹿児島で養育された。しかし、小松家には養子清緝(町田久成実弟で千賀の甥)がおり、家督は1870年3年10月に清緝が相続するも、1872年9月25日に清直が新たに相続した。1896年6月に隠居し、1918年3月に52歳で死去。墓地は鹿児島県日置市日吉支所(旧日吉町役場)の祢寝(ねじめ)家・小松家歴代墓所にある。長男の帯刀は、清廉の維新の功により伯爵を授けられて貴族院議員を務めるも、1905年3月に死去。その後、次男の重春が伯爵位を相続し、経國銀行頭取など経済界で活躍した。家督は西郷従道7男を養子に迎えて従志とした。
出典:wikipedia
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