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GAUZE (バンド)

GAUZE(ガーゼ)は、日本のハードコア・パンクバンドである。1981年9月結成。自主企画「消毒GIG」をはじめとするライブを中心とした音楽活動は、1990年代以降まで日本のパンクバンドの活動スタイルに大きな影響を与えた。1980年代半ばにはサンフランシスコのファンジン、『』を通じて国外のパンクシーンにも紹介され、日本独自のハードコア・サウンドを代表するバンドの一つとして知られるようになる。公式アルバムは5枚と、30年以上に及ぶキャリアに比して少ないが、いずれもロングセラーを続けている。ベースのシンが1980年秋に元あぶらだこのイズミらと結成したバンド「チフス」は、ギターのタムの参加後、1981年に自主企画「法定伝染病GIG」シリーズを開始し、ザ・スターリンらとライブ活動を行うが、メンバーの音楽的方向性の違いから当時ボーカルを務めていたイズミが脱退。2代目ボーカルの田波ケンが加入するが結局メンバーが固定しないまま1981年7月に解散する。シンはモモリンとGAUZEを結成してUKハードコア・スタイルを志向、1981年11月1日に消毒GIG Vol.1でライブ活動を開始する。フグが加入する前はザジ(ソドムVo)が初代ボーカルだったことがBURST Vol.20の「ADK」同窓座談会で書かれている。 最初の音源リリースはパンク・ニューウェーブ専門誌『Doll』(2009年8月号をもって休刊)が運営するシティーロッカー・レコードからの2枚のオムニバスである。1982年5月リリースのオムニバス『CITY ROCKERS』ではニューウェーブ色の強いバンド(ISOLATION/RADICAL/NURSERY RHYME)との組み合わせであったが、翌年のライブ・オムニバス『OUTSIDER』では、G.I.S.M.、The Comes、LAUGHIN' NOSEとの4バンドでHARD "METAL" COREサイドを構成する。1980年代前半からメタルの要素を色濃く取り入れた日本独自のハードコアの展開を予見する音源となった。シティーロッカー・レコードは新たにハードコア専門のドグマ・レコードを設立してG.I.S.M.とThe Comesのアルバムをリリースするが、GAUZEはこのレーベルからの音源は出していない。バークリーのカレッジラジオ局のパンク番組『マクシマム・ロックンロール』(MRR)が1982年に創刊した同名ファンジンは、全米のみならず、世界各地のパンクシーン紹介とその音源レビューのコーナーを通じて世界のハードコア・シーンに影響力を持つ様になった。日本のハードコア・シーンも1983年12月から、当初は『Doll』等への取材から始まって、やがて、東京のバンドで活動していたロジャー・アームストロング(Roger Armstrong)のレポートにより、コンスタントに紹介されるようになった。よりメタル色の強いG.I.S.M.やエクセキュートがまず注目されるが、1985年7月、タムの個人レーベルADKレコードからリリースされたGAUZEのファースト・アルバム『FUCK HEADS』や1986年3月のセルフィッシュ・レコードからのセカンド『EQUALIZING DISTORT』も、MRR代表のティム・ヨハナン ()や、パンク・アーティストとしても知られるパスヘッド ()などのレビュアーから好意的に評される。GAUZEのセカンドを皮切りにリリースされた諸作品により、セルフィッシュ・レコードは日本のハードコア・パンクを代表するレーベルとして知名度を上げた。GAUZE、Lip Cream(元The Comes)、OUTO、GASTUNK、GHOUL、エクセキュートとのコンピレーション『A FAREWELL TO ARMS』はドイツのNuclear Blast Recordsが翌年再リリース、さらに、Lip Cream、SYSTEMATIC DEATH、OUTOとのコンピレーション『THRASH TIL DEATH』はパスヘッドの自主レーベルとの共同リリースとなり、パスヘッドは、スケートボード誌『スラッシャー』の担当コラムでこのコンピを紹介した。1989年にはイギリスでカオスUKとヨーロッパツアーを行い、そのライブ音源が翌年の1990年にリリースされたサードアルバム『限界は何処だ』のCD/LPに「ライブ・イン・スコットランド」として収録されている。(LPの場合A面がスタジオ収録、B面がライブ録音という感じになった) アメリカ・ツアーは、MRRレビュアーだったケン・サンダーソン (Ken Sanderson) が設立したレーベル、プランク・レコード()の一周年企画として1996年に実現した。1997年4月1日に4枚目のアルバム『面を洗って出直して来い』をリリース、更に、廃盤となっていた先行の3枚のアルバムがXXXレコードからデジタル・リマスタリングして再発された。これらの自主制作盤の音源は10年以上に渡ってプレミアム無しで入手できる程に流通している。又、1-4枚目のCDには各アルバムジャケットをリサイズして小さくしたステッカーが封入されている。1980年代から2000年代に至るまで、ストップ・アンド・ゴーのメリハリを基調とする初期ハードコア・パンクの原型を離れること無く追求したGAUZE独自の速くて重いサウンドが一貫している。同時に英語を含む歌詞は極端に減ってきており、近作のアルバムに収録されている曲では完全に日本語の歌詞となっている。なお、1990年代途中から、G.とB.はキーを一つ下げたダウン・チューニングの状態で曲が作曲/演奏されるようになったのに伴い、3rdアルバムまでの曲は原曲に比べてキーを一つ下げた状態で演奏されている。アメリカ・ツアーの際に録音された7"でも同様になっている。2007年12月5日に発売された10年振りの5枚目のアルバム『貧乏ゆすりのリズムに乗って』も、歌詞カードがブックレットとなり中高年にも読みやすい大きな活字となったことを除けば、(1-4のアルバムはCDよりもLPの大きさに合わせて歌詞をライナーノーツに印字していた為、CDになるとフォントがリサイズされ、かなり小さくなっていた)先行作品からスタイルの点で目立った変化は無い。2010年5月23日のオフィシャルサイトの発表に依るとメンバーの病気の為、大阪単独GIGは急遽中止になり、それと共にメンバーの病気が回復する迄、活動を休止する事が発表された。そして、メンバーの病気回復に伴い、2010年9月9日にオフィシャルサイトが更新され、GAUZE復活を意味するlive日程が発表された。消毒GIGは、GAUZEの音楽活動の基盤となるハードコア・ライブの自主企画である。同じ価値観を共有するバンドの音楽イベントであり、若手のバンドが出演する場合でもメインと前座といった関係ではない。つまり、消毒GIGであってもGAUZEが最後に出演、という決まりは無く、最初に出演する場合もたまにあり、同じバンドが繰り返し出演することもしばしばある。1980年代の後半は、メタル色強めのDEATH SIDE、USハードコアの影響の強いLip Creamや横浜のSYSTEMATIC DEATH(2008年2月から再結成)、大阪のS.O.BやOUTO等、1990年代はアメリカにも同行したASSFORTが頻繁に消毒GIGに出演した。同じくベテラン・ハードコアバンドである名古屋のthe 原爆オナニーズは1990年代後半以降にしばしば出演している。特別のイベントとしては、8週年、10周年、12周年、Vol.100、20周年(名古屋、大阪、東京)、2007年の年末に発売された「貧乏ゆすりのリズムに乗って」に合わせたVol.142、2010年のVol.151、大阪といった単独GIG(2010/05/23のオフィシャルの発表に依るとメンバーの病気の為、大阪単独は急遽中止になり、それと共にメンバーの病気が回復する迄、活動を休止する事がオフィシャルで発表された。そして活動再開後2011/08/20に再度Vol.154としてGIGが敢行された)や、全国から多数のバンドが出演した1986年の消毒GIG 3 Days全国ハードコアパンク選抜大会等がある。1980年代には「消毒ツアー」も行なわれたが、長期に亘るものはない。単発の場合は東京以外でのライブも消毒GIGである。消毒GIG以外は、他のバンドやライブハウス等の自主企画ライブにも参加している。マスコミ媒体への露出が非常に少ないバンドであるが、DISCHARGEの来日公演(1991年)にはフロントアクトとして出演した際はノーカットでスペースシャワーTVで放送され、the 原爆オナニーズの20周年ファイナル(2002年)の時は、一緒に出演したGAUZEのライブ映像の一部がCS(MUSIC ON! TV)で放映された。来日外国バンドとは、カオスUKの1985年、1998年2回の共演のほか、1990年代以降では再結成後のディスチャージ (Discharge、1991年)やアメリカのセブン・セカンズ (、1997年)、カナダの (2001年)などのベテランと共演している。GAUZEのライブを基盤とする音楽活動は、レコードの発売に合わせてライブやツアーを行ないメディアに露出して発言する、というようなメジャー・インディー(マイナー)を問わず一般的なバンドの活動スタイルとは一線を画している。1980年代後半のインディーズ・ブーム期には、同じパンクシーン出身のラフィンノーズらいわゆるインディーズ御三家に距離を置き、自らをハードコアと規定するバンドが目立ったが、「インディーズ」がレコード・リリースを当然の前提としての分類であることへの違和感の表明とも見ることが出来る。但し、ライブ告知以外の情報提供が少なく、ライブ会場での暴力の様な噂ばかりが伝えられる事に依り、音楽自体の持つ攻撃性と相俟ってハードコア・シーン全体に近寄り難いイメージが存在したことも事実であり、この事が「閉鎖性」と批判的に表現される場合もある。しかし、実際はGAUZEのライブ会場での暴力沙汰はまず起こらない。それはライブ告知をしている媒体や場所が限られている(告知サイトはオフィシャルサイト・THE JAP HARDCOREPUNK HOMEPAGE・Twitterが確認されている)ので、暴れることが目的のミーハーな客が来にくいということ、客の年齢層が10代から50代と多岐に渡っており、年長者からライブに於けるマナーが伝播しているものと考えられる。例を挙げると「残ったものはベッドの髪の毛」=ABSINTH TRIP、「ほら象さん、頑張って」=エッサホイサッサ)

出典:wikipedia

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