甲本 ヒロト(こうもと ひろと、本名:甲本 浩人、1963年3月17日 - )は、日本のミュージシャン。身長174cm。既婚。俳優の甲本雅裕は実弟。ラウンド・アバウト、ザ・コーツ、THE BLUE HEARTS、ヒューストンズ、THE HIGH-LOWSを経て、現在はザ・クロマニヨンズのボーカリストを務める(バンドとしての活動については、各項目を参照)。岡山大学教育学部附属小学校・岡山大学教育学部附属中学校を経て、岡山県立岡山操山高等学校(現在の岡山県立岡山操山中学校・高等学校)卒業。法政大学経済学部経済学科に進学する。1985年、真島昌利らとTHE BLUE HEARTSを結成。1987年にシングル「リンダリンダ」で、メジャーデビューした。1994年、ザ・ブルーハーツは活動休止。1995年に解散を発表した。ザ・ブルーハーツが活動休止中(実際には解散状態)の1995年、ソロアルバムを制作し、ジャケットデザインやレコーディングも完了していたが、前所属事務所との契約上のトラブルにより未発表に終わった。また、真島と共に有限会社ハッピーソングを設立。 1997年9月には、真島と共に資金を出して機材倉庫を改装して造られた、アトミック・ブギー・スタジオが完成。1995年、真島に誘われTHE HIGH-LOWSを結成。10月25日、シングル「ミサイルマン」、アルバム『↑THE HIGH-LOWS↓』を同時発表。2005年に活動休止を発表。2006年7月、ソロ・シングル「真夏のストレート/天国うまれ」発表。ギターのみならず、ベースやドラムスなど、ほぼ全てのパートを一人で演奏。2006年春、真島らとザ・クロマニヨンズを結成、7月23日を皮切りに大型ロックフェスの出演とツアーを敢行した。9月20日にシングル「タリホー」を発表。2007年10月に急性疾患にかかり、予定していたライブを延期する事態となったがその後、復帰した。中学生時代、セックス・ピストルズに衝撃を受け、「中学を卒業したら高校へは行かずに、上京してロックンローラーになりたい」と親に言うも、反対される。シド・ヴィシャスの影響で元々はベーシストに憧れていたが、「誰にでも出来る」という理由でボーカリストになった。高校3年生の夏休みに、ボーカルが抜けた友人のハードロックバンド「ラウンド・アバウト」に誘われて加入。これが甲本のバンド初体験だった。ブルーハーツ初期は、荒削りな歌声だったが、『BUST WASTE HIP』以降は歌い方が変わっている。曲によっては、ギターや10穴ハーモニカ(愛用は、H0HNER社製のSpecial 20)の演奏もする。ハーモニカを始めるきっかけは、ドクター・フィールグッドのレコードを聴いて、自分でも出来そうな気がしたからだという。パンクやロックだけでなくブルースも好きで、インタビューや歌詞に、マディ・ウォーターズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン等のブルースシンガーの名前がよく出てくる。バイク(「MONKEY」「ピストン」「49cc」)、釣り(「テトラポットの上」)、NBA(「フルコート」)、ルチャ・リブレ(「Born To Be Pooh」「メキシコの星」)など、好きなものをモチーフにした歌詞がある。体を大きく振って跳んだり、舌を出したり、鼻をほじったり、全裸になったりなど、エキセントリックなライブパフォーマンスを見せる。趣味バンド「モンキー・アンクルズ」では、ベースを弾いている。自らカスタムする程のバイク好き(ハーレー・トライアンフ・ヤマハ・トリッカー乗り)。沖縄に行くとハーレーのレンタバイクを借りて、タコス屋等を一人で回っている。アニメ・特撮戦隊ヒーローモノも好む。アニメでは、「タイムボカンシリーズ」や「ドラえもん」、「いなかっぺ大将」を好む。『キン肉マン』も大好きで、「キン肉マン77の謎」の投稿超人コーナーに甲本が考案した超人「クアドロフェニア(名前はザ・フーのアルバム『四重人格(Quadrophenia)』から)」が掲載される。また、 プロレス・格闘技や映画が好き。同郷のプロレスラー田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の創設期の会員(No.2)で、ジムに何度か通っていた。またプロレス雑誌のKAMINOGEの表紙も飾っている。「ミュータント・タートルズ」や「ガンビー」などのフィギュアの収集をしている。タイムボカンシリーズの熱烈なファン。タイムボカンシリーズの再放送が見たいがために、バンドの練習に行きたくないと駄々をこねたことがあった。同シリーズの音楽担当である山本正之のファンでもあり、ザ・コーツ時代から親交を深めている。それが縁で山本のアルバムなどにコーラスとして参加するなどしている。
出典:wikipedia
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