志染町青山(しじみちょうあおやま)は、兵庫県三木市にある大字である。大和ハウス松が丘ネオポリスとして開発された。元々は志染町四合谷・志染町細目・志染町高男寺・志染町窟屋の一部であった。三木市の東側、志染地区の南東側に位置する。神戸層群の台地上、志染川左側にある丘陵地に位置する新興住宅地であり、1丁目から7丁目で区画整理されている。関西国際大学などの教育施設・コープこうべ協同学苑・イオンなどの商業施設などが集中しており、市内で唯一建築協定を結んでいる。東側は志染町三津田、西側は志染町四合谷・志染町細目、南側は緑が丘町西・緑が丘町中・緑が丘町東、北側は志染町高男寺・志染町窟屋と接する。当地より前に造成された緑が丘町の北側に、1980年代から1990年初頭にかけて大和ハウスが「松が丘ネオポリス土地区画整理事業」として造成し、1986年には入戸が始まった。1989年には三木市が公共施設整備事業と並行して整備する計画戸数2,200戸・計画人口8,800人の「総合学園都市」として事業が進められ、1989年に整備の大半が完了した。現在は戸数は2,000戸前後・人口は6,000人前後で推移している。開発前は沼地・雑木林・山林・農地であり、入札制度で落札されていたために無断で立ち入りが不可能であった。地名の由来は孔子の『論語』にある「人生至処在青山」(人生至る所に青山あり)の一部から取った。志染町青山1丁目から7丁目まであり、7丁目以外に自治会が存在する。取り仕切るために青山地区自治会連合会が発足し、それぞれの丁目に集会所がある。当初は4丁目と5丁目は連合会に加入していなかったが、現在は加入している。開発時に既に兵庫県立三木北高等学校が開校していた。残りの地内の4分の1を住宅地帯にし、大半の住宅を一戸建てにし、平均面積を200 haにする計画で整備し、西側を文教地帯・東側と西側は教育地帯・中央部を商業地帯にした。また、緑化都市として整備することを目標とするために全地内の38 %を森林地帯とし、それに合わせて公園を11か所整備し、兵庫県道22号神戸三木線・兵庫県道38号三木三田線を結ぶ道路を3年計画で整備し、高男寺川の改良にも着手した。公共交通機関は神姫バスの運行を計画していた。1丁目は開発が地内で早く進み、1985年10月に地内で早く入居が開始されたが、同年末で3世帯・同年度末で8世帯であった。しかし、その後は入居が進み、1986年度は41世帯にまで増えた。また、関西国際大学が立地しており、三木市道青山笠松線が完成すると兵庫県道83号平野三木線から入る玄関口になる。2丁目は自治会で誘致した三木青山郵便局が立地しており、4丁目の次に面積が狭い。3丁目は1988年12月に入居が始まっており、地区の中心点として機能している。西側は商業ゾーンに指定されており、1994年からイオンなどの商業施設が集中して相次いで出店している。また青山公民館が立地しており、東側の集合住宅は関西国際大学の下宿先として機能しており、青山公民館にある東側は建設計画が変更され住宅地として機能している。4丁目は地内で歴史が浅く1990年1月に入居が開始され、面積が一番狭い。三方を山に囲まれており、貯水池が立地し、交通騒音が少ない反面教育施設からは離れている。5丁目は1988年1月から入居が始まった。教育施設からは離れており、周辺には池がある。2011年頃から西松屋などの商業施設の立地が進んでいる。6丁目は1988年に入居が始まり、青山中央公園、東側は商業ゾーンに指定されており、商業施設が集中しており、地番の半分を占める。また、兵庫県立三木北高等学校が立地している。7丁目は三木市立三木特別支援学校などの教育施設・文化施設が立地しているだけで住宅は存在しなかったが、現在は関西国際大学の学生寮である「友愛寮」が立地して学生が居住している。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後は仮設住宅が立地していたが、現在は存在しない。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、志染町青山3丁目6番13の地点で5万3900円/mとなっている。三木市内で最も地価が高い。計画人口では8,800人であるが、それを大幅に下回る人口である。ピーク時では6,200人台で推移し、現在は6,100人台で推移している。計画戸数は2,200戸であり、ほぼ計画通りに到達する見込みである。3丁目の西側とと6丁目の東側に跨る場所に集中している。開発時、避難場所として利用できるように公園が整備され、1988年3月1日に計画が決定されたが、青山中央公園は1985年7月5日に計画が決定され、同年8月2日に完成した。地内には鉄道は走っていない。
出典:wikipedia
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