「時には娼婦のように」(ときにはしょうふのように)は、1978年2月10日に日本の俳優・歌手である黒沢年男(現:黒沢年雄)と、作詞家・歌手であるなかにし礼の競作として発売されたシングル。また同年9月に同名の映画も公開された。作詞・作曲はなかにし礼。黒沢の歌謡曲における代表作となっている。1977年11月1日に当時フォーライフの社長だった吉田拓郎が、なかにしにアルバム製作を依頼し、なかにしが全曲作詞・作曲・歌唱したアルバム『マッチ箱の火事』がフォーライフから発売された。本曲はこのアルバムからのシングル・カットである。黒沢歌唱版となかにし歌唱版のシングルは同時発売となった。ショッキングな歌詞で、黒沢も尻込みして嫌がる程であったが「賛同者は拓郎一人だけだった」となかにしは話している。なかにしは「ニューミュージック歌手の中には、テレビに迎合する者も少なくなかった」「彼らは去勢されたような声を出して歌っていた」「そんな音楽界に対するアンチテーゼとしてつくった」「当時台頭していたニューミュージックへの挑戦状だった」などと述べている。性的な歌詞できわどい内容であるが、男女間の感情をうまく表現した歌としてヒットし、黒沢盤の累計売上は70万枚に達した。ただそのきわどい内容ゆえに、後に日本民間放送連盟における要注意歌謡曲指定制度にて「時間帯・視聴対象により要配慮」という扱いとされた。黒沢盤のオリコンチャートの最高位は2位である。1978年4月3日付チャートでTOP10入りし、5月8-22日の3週連続で2位にランクされたが、いずれもピンク・レディー「サウスポー」により1位獲得は阻まれた。ちなみに、同年の年間チャートでは12位である。作詞作曲を担当したなかにし礼自身の歌唱による「時には娼婦のように」を主題歌として映画化したもの。1978年9月公開、成人映画。なかにし礼はこの映画において原案・脚本のほか、主演も担当している。製作・配給は日活。出演は、なかにし礼・鹿沼えり・宮井えりな・水島美奈子・大信田礼子・越美晴ほか。
出典:wikipedia
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