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ファレノプシス (競走馬)

ファレノプシスは日本の競走馬、繁殖牝馬。1998年の桜花賞、秋華賞、2000年のエリザベス女王杯などを制した。1998年度JRA賞最優秀4歳牝馬、2000年度同最優秀5歳以上牝馬。馬名は、胡蝶蘭の学名である。半弟に2002年のピーターパンステークスを制し、日本生産馬として43年ぶりのアメリカ重賞優勝馬となったサンデーブレイク(父フォーティナイナー)、2013年東京優駿優勝馬キズナ(父ディープインパクト)がいる。1995年4月、北海道新冠町のマエコウファーム(後のノースヒルズマネジメント 現・ノースヒルズ)に生まれる。従兄にGI競走3勝を挙げたビワハヤヒデと、クラシック三冠を含む同5勝のナリタブライアンがおり、その血統背景から誕生前より大きな期待を掛けられていた。しかし幼駒の頃から体質が弱く、また後躯が非常に貧弱で、競走馬にはなれないのではないかとも見られていた。しかし3歳春頃より急速に状態が良化していき、9月にはビワハヤヒデの管理調教師であった栗東トレーニングセンターの浜田光正厩舎に入る。当初浜田はその能力に懐疑的であったが、調教を続ける内に後躯の状態が良化、優れた動きを見せ始めた。1997年11月30日、阪神開催の新馬戦でデビュー。鞍上は浜田厩舎所属の若手騎手・石山繁が務めた。脚への負担を考慮してダート競走への出走であったが、2着に9馬身差・2歳レコードタイムでの圧勝を収める。続く条件戦、年明け緒戦のエルフィンステークスと快勝。春に控えた牝馬クラシック戦線への最有力候補と目された。3月のチューリップ賞(桜花賞トライアル)で重賞に初出走。前年の最優秀3歳牝馬アインブライド、シンザン記念で牡馬を退けたダンツシリウス等を抑え、1番人気に支持された。しかし馬体重は414kgと細化、レースもスタートで出遅れると、道中から直線にかけて終始馬群に包まれた状態となり、ダンツシリウスの4着に終わった。状態の悪さに加え、騎乗ミスが明確であったと判断され、この競走を最後に石山は降板となる。クラシック初戦の桜花賞に向けて、新たな鞍上には武豊を迎えた。4月12日の桜花賞では3番人気であったが、前走から10kg増と状態は回復を見た。レースは道中中団前方から、直線で逃げ粘るロンドンブリッジを交わして優勝。重賞初勝利をクラシックで果たした。生産者兼馬主の前田幸治にとっては、牧場創設14年目で初めてのGI制覇となった。クラシック二冠を目指した優駿牝馬(オークス)では、戦前から2400mという距離への不安説があった。レースでは後方待機策から直線で追い込むも、エリモエクセルとエアデジャヴーを捉えきれず、3着に敗れた。競走後に武は「これほど距離が持つとは思わなかった。失敗した」と、不安から消極的なレース運びとなったことを悔やむコメントを出している。浜田の方針から夏は放牧に出されず、栗東で過ごした。9月27日にローズステークス(秋華賞トライアル)で復帰、前走から一転して先行策からの勝利を挙げた。迎えた牝馬三冠最終戦・秋華賞ではエアデジャヴーに1番人気を譲ったものの、中団待機から最終コーナーで先頭に並び掛け、直後先頭からゴールまで押し切り優勝。牝馬二冠を達成した。競走後、浜田からジャパンカップ出走が表明されたが、状態の不安から回避となり、休養に入った。翌年1月には当年の最優秀4歳牝馬に選出された。休養の後、翌年3月に復帰。緒戦のマイラーズカップは10着と大敗を喫したが、次走の京王杯スプリングカップは勝ったグラスワンダーから1馬身余りの差で5着と、復調を見せた。しかし春の目標とした安田記念を前に熱発を起こし、休養に入る。夏に札幌記念で復帰すると、同期のクラシック二冠馬・セイウンスカイに半馬身差の2着となる。その後は間隔を開け、秋の目標としたエリザベス女王杯に出走、当日1番人気に支持された。しかし最後の直線要所で進路を失い、6着に終わる。年末にはグランプリ・有馬記念に出走するも10着と大敗し、シーズンを終えた。不利を受けて敗れたエリザベス女王杯の雪辱を期し、翌2000年も競走生活を続行する。しかし緒戦に予定していたフェブラリーステークスを蕁麻疹で回避、改めて復帰したマイラーズカップでは10着と大敗し、さらに競走後に脚部不安を生じて休養に入った。前年と同様に札幌記念で復帰するも7着に終わり、競走後には球節炎を発症する。これを受け、エリザベス女王杯へは前年と同様に直行となった。11月12日、エリザベス女王杯を迎える。本競走をもっての引退が表明されており、当日は「究極の仕上げ」という好調で臨んだ。松永幹夫を鞍上に3番人気の支持を受けると、レースは2番人気トゥザヴィクトリーが先導するスローペースの中、5、6番手を進んだ。そして最終コーナーにかけて先行馬を捉えに動くと、最後の直線では粘るフサイチエアデールをゴール前で交わし、半馬身の差を付けて優勝。秋華賞以来およそ2年振りの勝利で、引退を飾った。翌年1月5日、京都競馬場で引退式が行われ、エリザベス女王杯のゼッケン「2」を着けてファンにラストランを披露した。その馬名に因み、記念撮影では胡蝶蘭で編まれたレイが掛けられ、関係者にも胡蝶蘭の花束が手渡された。同月、エリザベス女王杯優勝が評価され、2000年度の最優秀5歳以上牝馬に選出された。引退後は故郷ノースヒルズマネジメント(現・ノースヒルズ)で繁殖牝馬として供用されていたが、2016年7月1日にクモ膜下出血のため、死亡した。母はビワハヤヒデ・ナリタブライアンの母パシフィカスの半妹。父ブライアンズタイムはナリタブライアンと同じであり、同馬とは「4分の3同血」となっている。

出典:wikipedia

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