デニス・リー・エカーズリー(Dennis Lee Eckersley, 1954年10月3日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身。ニックネームは「Eck」。のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから3巡目に指名を受け入団。はAA級で14勝3敗・防御率3.40を記録。4月12日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。デビューから10試合で1勝2セーブ・防御率0.00を記録し、メジャー初先発となった5月25日のオークランド・アスレティックス戦で完封勝利。以降先発ローテーション入りし、新人ながら13勝7敗・防御率2.60の好成績を記録するが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では得票なしだった。は初の開幕投手を務めるが、前半戦は4勝8敗・防御率4.95と不調。8月13日のテキサス・レンジャーズ戦では敗戦投手となるもののキャリアハイの14奪三振を記録するなど後半戦で防御率2.41と調子を上げ、13勝12敗・防御率3.43、キャリアハイの200奪三振を記録した。は5月30日のカリフォルニア・エンゼルス戦でノーヒットノーランを達成。オールスターゲームに選出されるなど14勝を記録した。開幕直前の3月30日に4選手との交換トレードで、フレッド・ケンドールと共にボストン・レッドソックスに移籍。4月は0勝だったが5月に5勝を挙げるなど前半戦で10勝を記録。後半戦で防御率2.62・11完投と調子を上げ、リーグワーストの30被本塁打ながら20勝8敗・防御率2.99・16完投を記録。チームは一時ニューヨーク・ヤンキースに最大14ゲーム差を付けるが9月に逆転され、シーズン最終戦に同率で並ぶものの、ワンゲームプレイオフで敗れて地区優勝を逃した。サイ・ヤング賞の投票では4位に入る。は7月11日から7連続完投を含む8連勝。直後から5連敗を喫するが、17勝10敗・防御率2.99・17完投の好成績。は開幕から不調で5連敗を喫し、5月に離脱するなど12勝14敗に留まる。は50日間に及ぶストライキの影響で9勝。は5年ぶりにオールスターゲームに選出されて先発投手を務め、13勝。は5年連続で開幕投手を務めるが不安定な投球が続き、9勝13敗・防御率5.61と不振に陥る。5月25日にビル・バックナーとの交換トレードで、1選手と共にシカゴ・カブスに移籍。移籍後も当初は不安定だったが徐々に復調。10勝・防御率3.03を記録し、チームの地区優勝に貢献。サンディエゴ・パドレスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2連勝で王手をかけた後の第3戦に先発したが、6回途中5失点で敗戦投手。チームはその試合から3連敗で39年ぶりのリーグ優勝を逃した。オフにフリーエージェントとなるが再契約。は好調だったが途中故障で離脱するなど11勝。は6勝11敗・防御率4.57と不本意な成績に終わる。後にこの時期アルコール使用障害によって苦しんでいたことを告白した。開幕直前の4月3日にマイナー3選手との交換トレードで、1選手と共に故郷のオークランド・アスレティックスに移籍。移籍後は監督トニー・ラルーサの方針によってリリーフに転向し、ジェイ・ハウエルの故障に伴いクローザーに昇格する。同年は6勝8敗16セーブを記録し復活。は開幕から12連続セーブを記録し、6年ぶりにオールスターゲームに選出される。4勝2敗45セーブ・防御率2.35の成績で最多セーブのタイトルを獲得し、チームの地区優勝の原動力となる。古巣レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは全4試合に登板して4セーブを挙げシリーズMVPを獲得し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦で1点リードの9回裏に満を持して登板。簡単に2死を取ったものの次打者に四球で出塁を許し、代打カーク・ギブソンに逆転サヨナラ2点本塁打を浴び、痛恨のセーブ失敗。圧倒的有利と予想されたチームはドジャースの勢いに飲まれ、1勝4敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票ではフランク・ヴァイオーラに次ぐ2位、MVPの投票では5位に入った。は故障で1ヶ月半離脱するが、4勝33セーブ・防御率1.56を記録。57.2イニングで僅か3四球と抜群の制球力を発揮し、チームは地区連覇。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは3セーブを記録し、リーグ連覇を果たす。「ベイエリア・シリーズ」となったサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズではロマ・プリータ地震によって10日間中断するが、第4戦でセーブを記録し4連勝で自身初のワールドチャンピオンに輝いた。はシーズンを通じて防御率が1点を越えることが一度もなく、4勝2敗48セーブ・防御率0.61、セーブ失敗は僅か2で73.1イニングで4四球と抜群の安定感を見せ、チームは地区3連覇を果たす。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2セーブを挙げ、チームは4連勝でリーグ3連覇。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第2戦で同点の9回から登板し、10回裏にサヨナラ安打を浴びて敗戦投手。チームは4連敗で敗退した。はやや安定感を欠きながらも43セーブを記録したが、チームは地区4位に終わる。は開幕から36連続セーブ成功と復活し、7勝1敗51セーブ・防御率1.91、80イニングで93奪三振の好成績で2度目の最多セーブを獲得し、チームの2年ぶり地区優勝に貢献。ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦ではセーブを記録するが、第4戦で8回途中からリードを守るべく登板したが打ち込まれ、9回にロベルト・アロマーに2点本塁打を浴びて同点に追い付かれてセーブに失敗し、延長の末敗れる。チームは2勝4敗で敗退した。オフにサイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞。クローザーが2つの賞を同時に獲得したのはローリー・フィンガーズ、ウィリー・ヘルナンデスに次いで3人目だった。は36セーブを挙げたものの防御率4.16、セーブ失敗が10と今ひとつ。は開幕から3回連続でセーブに失敗するなど不振で、232日間に及ぶ長期ストライキでシーズンが打ち切られたこともあり19セーブに留まった。40歳となったは29セーブを記録するが防御率4.83、セーブ失敗9と衰えが見え始める。2月13日に1対1の交換トレードで、恩師ラルーサが監督に就任したセントルイス・カーディナルスに移籍。同年は30セーブ・防御率3.30を記録し、チームは地区優勝。パドレスとのディヴィジョンシリーズでは全3試合に登板し3セーブ。アトランタ・ブレーヴスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは1勝1セーブを記録するが、チームは王手をかけてから3連敗を喫し3勝4敗で敗退。は42歳ながら36セーブを記録。オフにフリーエージェントとなり、12月9日にレッドソックスと契約。はセットアッパーとして起用されたが、一時防御率が10点を越えるなど不調。故障もあって6月から約2ヶ月戦線離脱し、実に24年ぶりとなるマイナーリーグでの登板も経験。9月26日のボルティモア・オリオールズ戦で通算1,071試合目の登板を果たし、ホイト・ウィルヘルムのメジャー記録(当時)を更新。これが現役最後の登板となった。同年限りで現役引退。通算390セーブは2012年現在歴代6位。に資格取得1年目で野球殿堂入り。8月13日に背番号『43』がアスレティックスの永久欠番に指定された。
出典:wikipedia
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