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建国神話

建国神話(けんこくしんわ)とは、その国を建国したとされる神、あるいは神の血筋を引くとされる指導者が建国事業を行なったとする神話を指す。世界には多くの建国神話があり、現在の支配者が建国神話と関係があるとされる場合、支配の正統性の根拠とされる。ただし、建国神話には、自らが支配者にふさわしいとする誇張や脚色また明らかに事実ではない記載も見られ、史実を反映したものとは限らない。また史実を反映したとされるものであっても、史実そのままとは限らない。日本の建国神話の形成がいつ頃かをうかがい知る記述として、欽明紀(『日本書紀』)に、百済王が新羅を攻めたが逆に討死してしまい、人質として日本にいた百済王子が帰国する際、蘇我臣が、「かつて百済が高句麗によって滅ぼされそうになった時、百済王が日本の建邦の神(建国神)を祀って、難を逃れたが、その後、祀らなくなったから、新羅に滅ぼされそうになっているのだ」と語り、日本の建国神について説明し、再び祀るよう薦める記述があり、少なくとも6世紀中頃には、建国に関する神話が形成されていたことがわかる内容である。のちに百済となる地域には沸流と温祚という2人の王子がいたが、元は夫余の王子であり、南の方に国を作れる場所を探しに来る。兄は今のソウルに近い地の海岸に都を築くが、水が塩水ということで、不健康地で失敗する。対して弟はソウル近くの内陸に都を築き、繁栄した。弟を視察に来た兄は、自分には先見の明がなかったとガッカリして死んでしまう。その後、弟王が百済を築くことになる(百済#建国神話も参照)。兄王は海の原理を表し、弟王は陸の原理を表しており、兄弟王が建国のために旅をし、兄が失敗し、弟が成功し、王朝を築く。兄弟王が建国地を求め、外来王が建国王となる点で日本の神武東征と類型し、兄王たる五瀬命は海上で活躍するが、長脛彦命に討たれた後は、内陸から攻めた弟王であるイワレヒコ(陸の原理を象徴する弟王)が建国する点も類型する。『駕洛国記』の記述には、天から降りた加羅建国の始祖・首露王が亀旨(クシムル)峰に降りたとされるが、日本神話内の天孫降臨地の一つである高千穂峰は万葉仮名で「久士布流(クシフル)多気(タケ)」(『日本書紀』第一の一書にも「クシフル」とある)で、降臨地名が同一名である。古代朝鮮の国々の建国神話と類型する一方で、朝鮮神話では天上界にあたる他界の記述が少なく、日本の神々がそのままの姿で降臨するのに対し、朝鮮では卵の形で降る場合が多く、「卵生型」と類別される(日本では渡来系氏族の伝承であるアメノヒボコの誕生譚が類型だが、建国神話ではない)。高句麗の建国神話を記した広開土王碑文にも卵から生じたと記している。また、日本の天孫降臨においては随伴する神の存在が細かに記されているが、壇君神話に従者の記述があることを除けば、高句麗・新羅・加羅の神話において、随伴神は登場しない。さらに、記紀では、荒ぶる神を平定するために降臨するが、『三国史記』や『三国遺事』内の新羅や加羅の神話では、村長が集まって、神が降りることを願った末に降臨する。日本神話が神の側の視点で描かれているのに対し、朝鮮神話では神を迎える民衆側に重点が置かれている。ベトナム最初の建国神話については、『大越史記全書』外記巻一、鴻厖(こうぼう)記にあり、昔、炎帝神農氏の3世の孫に帝明がおり、帝宜(ていぎ)を産み、のちに南方へ巡幸して五嶺(南嶺山脈)に至り、婺僊(ぶせん、婺女という名の星と僊は仙人の意)の女と接し、ケイ陽王を産んだ。帝明は聖知聡明な王(次男)をよしとし、位を継がせようとするが、王は固く、その兄にこれを譲り、帝明も仕方ないので、帝宜を立て、後継とし、北方を治めさせ、次男を封じて、南方を治めさせ、「赤鬼国」と号させた(文郎国も参照)。さらに後、王は洞庭君の女である神竜を娶って、貉龍君を産む。この君が帝来の女の嫗女(うじょ)を娶り、百男(俗に百卵という)を産む。これが百越の祖先となった。この建国神話は、中国周王朝の祖先の物語である古公亶父(たんぽ)が三男で聡明な季歴を愛し、長兄太伯と次兄虞仲は逃げ、南蛮の間に走ったという伝説をもじったものとみられ、そのため、ベトナム人は祖先が北方中国人と兄弟であり、本来、これを継ぐ、正当な人種だが、棄権して南方に移住したもので、同格であるという自負心が、神話から読み取れる。

出典:wikipedia

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