居庸関(きょようかん)は中華人民共和国北京市昌平区に位置する万里の長城上に設けられた関所兼要塞。「天下第一雄関」とも呼ばれ、難攻不落の九塞に数えられた。現在は史跡として整備され、観光客に開放されている。北京市街から北西に約50km、北京を代表する観光地である八達嶺長城へ向かう途中の峡谷に位置する。明代以前の北京の最終防衛線であったため、この付近の長城は何重にも複雑な建造となっており、居庸関はその最も内側に位置する。春秋戦国時代、燕が居庸塞と称される要塞を建築したのが初見である。同時代史料である『呂氏春秋』には「天下九塞、居庸其一」と記述されている。後漢の時代には大規模な要塞として整備され、南北朝時代、北魏により長城と連結され、以降歴代王朝が長城線上の重要拠点として軍隊を駐留させている。明代には北方に駆逐された元軍の再侵略を防衛するために大規模な長城改修が行われた際、居庸関もより強固な要塞として改修された。清代には朝廷の統治範囲が長城線よりも北方に拡大され、北方異民族に対する防衛拠点としての性格が希薄となり荒廃が進んだ。再び軍事拠点として居庸関が注目されたのは1937年の盧溝橋事件を発端とした日中戦争である。中国軍がチャハル作戦を実行する日本軍に抵抗する際の拠点として使用されている。1990年代以降は明代の状態に復元が進み、万里の長城と共に北京を代表する観光地となっている。居庸関の中心部に元代に建築されたラマ塔遺跡が残され雲台と称される。1342年から1345年(至正2年から5年)にかけて建築され、3基の仏塔がそびえていたと言う。高さ約10m、幅約27mで、中央にはトンネル状になっている。トンネルは南北に貫く形になっており、南側の上にはガルーダ、北側の上にはナーダのレリーフが彫られている。またトンネル内部には四天王のレリーフ、陀羅尼経文と、雲台建設の由来を記した造塔功徳記が刻まれている。この経文と造塔功徳記は、漢字、ランジャナー文字、ウイグル文字、チベット文字、パスパ文字、西夏文字の6種類の文字で刻まれており、西夏文字の解読の手がかりとなった。
出典:wikipedia
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