阿胡行宮(あごのかりみや)は持統天皇が、伊勢神宮外宮の第一回式年遷宮に際して宿泊等のために、仮に設けられた施設である。実際の場所は何れで有ったか、諸説分かれている。この伊勢への行幸の際、都にて留守をあずかる柿本人麻呂が次の歌を詠んだ。 一番目の歌にある「嗚呼見の浦」とは、鳥羽市小浜海岸にある浜がアミの浜と呼ばれていることから同地とする説が有力である。また、「見」は「兒」の誤りが伝えられたとし、「嗚呼兒の浦」と解釈し志摩市阿児町国府の海岸などを同地とする説もある。 二番目の「答志の崎」とは鳥羽市答志島にある岬(場所は同定されず)であるとされる。 三番目の歌の「伊良虞」は、愛知県渥美半島突端の伊良湖岬あるいは鳥羽市神島のことであるとされる。 万葉集には他に、阿胡行宮に随行した夫を、都に残った妻が偲ぶや、随行した夫が妻を想うが記されている。「名張」は三重県名張市、「いざ見の山」は、三重県・奈良県境の高見山とされている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。