「ゴンドラの唄」(ゴンドラのうた)は、1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。吉井勇作詞。中山晋平作曲。芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。「カチューシャの唄」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」 のだという。歌詞はアンデルセンの「即興詩人」(森鴎外訳)の一節を基にしている。『読売新聞』の1915年4月29日付にライオン水歯磨の「ゴンドラの唄」への協賛広告が掲載され、「ゴンドラの唄」の4番までの歌詞が紹介された。(旧漢字を新漢字に、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改めた)当初は酷評を受け、「カチューシャの唄」ほどの爆発的なヒットにはならなかったとされる。ただ、1920年(大正9年)に大原社会問題研究所が大阪市内にて調査した「現時において最も普通に歌われてゐる流行歌」約100曲のリストに「ゴンドラの唄」が挙げられていることから、ある程度は流行したものと考えられている。しかし、その後この曲は「カチューシャの唄」と並んで100年にわたり歌い継がれる曲となった。鹿島孝二は『大正の下谷っ子』で、工業学校時代の1919年(大正8年)〜1920年(大正9年)頃にこの唄を愛唱したと回想している。堀内敬三は『音楽五十年史』の中でこの唄を、「大正5年末からじりじりと永く流行った」と述べている。
出典:wikipedia
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