


塩田 政繁(しおだ まさしげ、天文23年(1554年) - 天正17年10月23日(1589年11月30日))は、戦国時代の武将。陸奥国の岩瀬郡を支配した戦国大名・二階堂氏の家臣で細桙城主・塩田重政の嫡男。子は光繁、重定。二階堂盛義の死後、二階堂氏を守った阿南の方が甥の伊達政宗に滅ぼされた際に出陣し、落城後に自害したと言われる。一説には一族と石川郡に落ち延びたところを処刑されたとも言われる。法名は、法恭院殿刃英源公大居士。
出典:wikipedia
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