後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(投手。左投左打)・ゴルフ指導者。静岡県立磐田南高等学校卒業。アマチュア時代からトレーニング方法の手紙のやりとりがあった新田恭一が松竹ロビンス監督に就任した関係で、にプロ野球界に入る。プロ野球選手時代は1952年の松竹ロビンスを皮切りに、に大洋松竹ロビンス、に東映フライヤーズ、に大映スターズ、に読売ジャイアンツ、に近鉄バファロー、に南海ホークス、に西鉄ライオンズと日本プロ野球史上最多の8球団を渡り歩き、移動型民族になぞらえて「ジプシー後藤」「ジプシーの修」と呼ばれた。プロ入り時の松竹以外はすべてテスト入団でありながら、移籍する度に年俸が上がっていった。野球協約をしっかり読み込み、契約交渉に役立てた結果であった。引退後は、野球評論家として活動。サンテレビで解説()、スポーツニッポンで評論を行っていたほか、から1972年まで週刊文春にて「ジプシー球談」を連載。その後はゴルフのコーチに専念し、中嶋常幸や尾崎将司などを指導した。鈴木亨、すし石垣も元門下生の一人である。ゴルフに関する著書も発表している。
出典:wikipedia
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