近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年9月7日 - 2016年6月8日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 1926年、山形県最上郡真室川村(現・真室川町)に生まれ、1944年3月6日に陸軍士官学校入校(第60期)。戦後は真室川町議会議員を経て、1959年に山形県議会議員に当選。以後6期連続で当選し、在職中には県議会議長も務めた。1980年6月22日、松沢雄蔵の後継として第36回衆議院議員総選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選した。以後第42回衆議院議員総選挙まで7期連続当選した。在職中は山形新幹線の新庄延伸や東北中央自動車道、新庄市-酒田市間の地域高規格道路の整備、庄内空港の開港などに貢献した。また、第3次中曽根内閣で総務政務次官(1986年7月23日-1987年11月6日)、宇野内閣・第1次海部内閣で厚生政務次官(1989年6月3日-1990年2月28日)、第2次橋本内閣で科学技術庁長官(1996年11月7日-1997年9月11日)を歴任した。自民党内では最大派閥の田中角栄→竹下登→小渕恵三→橋本龍太郎派に属した。2003年10月10日、衆議院解散に伴い「選挙民からいただいた議席をお返ししたい」として政界を引退。第43回衆議院議員総選挙では、秘書の逮捕を受け自民党を離党・議員辞職していた加藤紘一の政界復帰を支援した。2016年6月8日、肺炎と呼吸不全により入院先の真室川病院で死去。6月18日に葬儀・告別式が執り行われ、岸宏一が葬儀委員長を務め500人が参列した。生前に叙勲の話があったが、戦死した同胞を想い「仲間の気持ちに寄り添いたい」として固辞していた。叙従三位、旭日大綬章追贈。
出典:wikipedia
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