Sads (サッズ) は、黒夢のボーカリストとして活動してきた清春が、自身のレーベル「FULLFACE」を立ち上げ、結成した日本のロックバンド。1999年1月29日に黒夢が無期限活動停止。黒夢のボーカルであった清春が黒夢活動停止後すぐさま始動させたのがこのSADSである。バンド名は清春が敬愛する日本のパンクロックバンドTHE MODSにあやかったものである (ゴシックロックバンドSADIE SADSの後身であるSADSとの関連はない)。ボーカルの森山達也にもバンド名について事前交渉し、快諾を得ている。その年の7月にシングル「TOKYO」でデビュー、オリコン初登場2位を記録する。2000年、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主題歌だった4thシングル「忘却の空」がロングヒットを記録。同年6月に発表したセカンドアルバム『BABYLON』でオリコン初登場1位を獲得し人気の高さをみせつけた。2001年にレコード会社を東芝EMIからBMGファンハウスに移籍、2002年はインディーズでの活動を経てユニバーサルミュージックと契約。2003年にベスト・アルバム『GREATEST HITS 〜BEST OF 5 YEARS〜』を発売した後は満園英二脱退のためSADSのドラム探しをしながらソロ活動をしてSADSを再開させるつもりが、2004年にギターの坂下たけとものFULLFACE退社に伴う事実上の脱退により無期限の活動休止となる。その後SADSの未発表曲音源がアレンジされたものや一部分を使われた曲などが清春のソロ作品として発表される。また清春の著書・雑誌のインタビューで既に過去のものとして扱われている現状を見る限り、バンドは事実上解散したものと思われていた。しかし2010年1月29日、清春が自身のブログで活動再開を表明、同時にオフィシャルサイト及びMyspaceをオープンした。その後、SADS再開の期待が何度かふくらむも、結局は自然消滅の形で活動停止となってしまう。その原因の一つとして、13ツアー終了後、坂下らがSADSの元メンバーと新バンドの結成に加わったことが挙げられる。坂下、小林が元メンバーの牟田と友人らで「TOWER」を結成する。この件に関し、「本来僕 (SADS) に対してお金を払うであろうファンに申し訳ない」と清春は語っている。つまり、SADSというブランドは清春自身に帰結するべきであるのに、元メンバーらと活動することでそのブランドが独り歩きしてしまうのは、SADSを自分で動かしてきた清春にとって到底我慢のならないことであった。インタビューで清春は「SADSは実質、僕+サポートメンバーだった。でもツアーを重ねる毎に彼らは何か勘違いしていってしまった。最後にはもうどうにもならなかった」という言葉を残している一方で、坂下は「SADSは清春君のバンド」と自身はサポートメンバーだったということを語っている。直接的な原因は、2002年に行われたロングツアーで背負った負債である。借金を含めたマネジメントの問題は全て清春自身が処理を行っていた。「責任を果たさないのに、あれこれ言う」(清春) との一言が、清春と他のメンバーとの意識の差を如実に物語っている。なお、この借金はツアー公演に関するものと思われていたが、その後の清春のインタビューによると、「ツアー中の移動は新幹線なら全部グリーン車、飛行機はビジネスクラス」といった贅沢を尽くした事も含まれていたことが判明している。SADSの活動停止後、ZIGGYのボーカル森重樹一は「The DUST'N'BONEZ」結成のため清春に対し、「(坂下を) 借りてもいい?」と連絡をし、清春もそれを快諾する。しかし、実際にドラムに脱退した満園が居ることを後から知り、坂下はThe DUST'N'BONEZに加入するとともにSADSを脱退。そして、The DUST'N'BONEZとしてのインタビューで坂下の脱退が坂下の口から正式に告げられた。発表が遅れた理由としてSADS側の方で都合のいい時期に発表すると思っていたと語っている。このように解散の引き金は幾つかあったにせよ、清春自身はバンド結成後のファーストツアー後から一貫してSADSに対する虚無感を抱いていたことを『清春35X』をはじめとしたインタビュー内で語っている。『THE ROSE GOD GAVE ME』リリース前後など一時的にはバンドが楽しく感じた時期はあったものの、バンドサウンドやメンバーの技術的な部分に恒常的なフラストレーションを抱えていた。その様子は、ツアードキュメントビデオ『Document of “Welcome to my BABYLON”tour The INTRODUCTION 2000.8.5-2001.1.1』や『131DAYS』において、公演中に清春が荒れるシーンやインタビューで確認出来る。また、2ndアルバム『BABYLON』は清春自身がSADS史上、唯一納得できる作品としてあげている。これはファーストアルバムとは対照的に、コンセプチュアルな内容に清春が徹底して突き詰めた結果だと思われる。1stアルバム『SAD BLOOD ROCK'N'ROLL』ではザ・ストリート・スライダーズやバックヤード・ベイビーズを意識したシンプルな3ピースロックンロール系サウンド、2ndアルバム『BABYLON』ではシャッフルやジャズなどの要素も取り入れ、ディレイ等音響効果も積極的に使用し清春が元々持っている妖艶で怠惰的なイメージを強く全面に打ち出した物になり、3rdアルバム『THE ROSE GOD GAVE ME』ではグルーヴ感を重視しドラムとベースは一緒に録音し、ギターやベースのチューニングを落とし、意図的に音を割れさせ、より一層ハードでヘヴィなサウンドになっている。このようにアルバムごとにその色を変えていく様は黒夢時代から続いている現象であった。一方、SADSになってからは社会を風刺するような歌詞はあまり書かなくなり、黒夢の後期では拒んでいた化粧や派手なファッションも取り入れるようになった。さらに後期黒夢で散々拒んでいたテレビ出演もSADSになってからは何度かしている。ちなみに清春がタトゥーを入れ始めたのもこの頃である。2010年に新体制にて再結成した後は、メンバーそれぞれの出自を生かし確固たる演奏技術に裏付けされたメタリックかつグラマラスなバンドとして生まれ変わった。※『Sads Rare BOX「リクープ」』に収録されていたものが単一商品として再発された。またこの際に『“ ”(untitled)』も再発された。13ツアーで演奏されたものが現在も未発表曲になっている。一部はDVDに収録されている。
出典:wikipedia
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