アーロン・ロジャース("Aaron Charles Rodgers"、1983年12月2日 - )はカリフォルニア州チコ出身のアメリカンフットボール選手。現在NFLのグリーンベイ・パッカーズに所属している。ポジションはQB。あだ名は名がアーロン("A"aron)、ロジャース("Rod"gers)であることからA-rodである。チームメイトが名付けた。MLB、ニューヨーク・ヤンキースに所属するアレックス・ロドリゲスと同じあだ名である。2005年のNFLドラフト1巡目全体24番目にグリーンベイ・パッカーズに指名された。カリフォルニア大学時代には数多くの記録を作っており被インターセプト率は1.43%だった。第45回スーパーボウルでは3TDパスを投げてMVPを獲得した。カリフォルニア州ビュート郡チコ出身。地元の高校に進学した彼は2年間先発QBとして4,421ヤードを獲得、1試合に6タッチダウンをあげたり、パス、ラン合わせて440ヤードを獲得した試合もあった。高校卒業時にはディビジョンⅠの大学からの誘いがイリノイ大学からしかなく、彼はそれを断り地元のビュートジュニアカレッジに進学した。その年に全米2位にランクされる活躍を見せ、カリフォルニア大学のヘッドコーチ、ジェフ・テッドフォードの目にとまった彼は2年進級時にカリフォルニア大学に転入した。シーズン5試合目から先発出場し、先発2試合目で全米ランキング3位のUSCをオーバータイムでインサイトボウルでバージニア工科大学を破った。この年彼は5試合で300ヤード以上を投げ、被インターセプト率は1.43%、いずれも大学記録であった。3年次になった2004年にはUSCに17-23と僅差で敗れた1敗のみでチームは全米ランキング4位でシーズンを終えた。彼は大学記録となるパス連続成功26回、1試合でのパス成功率85.3%、NCAA記録となる1試合でのパス連続成功23回(ランキング1位のUSC戦)などの成績を残した。2年間で彼は大学記録となる被インターセプト率1.95%の記録を作った。しかしUSCとの試合では残り時間1分47秒でタッチダウンを狙ったものの3回のパス不成功及びQBサックを受けて得点をあげることはできなかった。テキサス大学にローズボウルへの出場権を取られたチームはテキサス工科大学とホリデーボウルで対戦し31-45で敗れた。シーズン終了後彼は4年次は大学に残らず、アーリーエントリーの道を選んだ。2年間でパス5,469ヤード、パス成功率63.8%、43タッチダウン、13インターセプト、QBレイティング150.27と大活躍であった。2005年NFLドラフトで彼は早い順番での指名が予想され全体1位指名もあるのではと期待された。ドラフトでは全体1位指名権を持つサンフランシスコ・49ersがQBアレックス・スミスかロジャースのどちらかを指名すると見られていたがスミスが指名された。その後も上位指名が予想されていたが指名されずに全体24番目にQBブレット・ファーヴの後継候補を探していたパッカーズに指名された。上位指名が予想されていた彼は会場に招待されていたが指名されるまでに4時間半に渡り待つこととなった。彼は全米ランキング1位のUSC相手にパス23回連続成功のNCAA記録を作っており、3年次のレギュラーシーズンでパス成功率67.5%、2,320ヤードを獲得、タッチダウンパス23回に対してインターセプトはわずか7回であった。彼の指名順位が24番目となってしまったことにはいくつもの事情があるが彼はこの年のドラフトで指名されたQBとしては2人目であった。2番目から23番目の指名権を持ったチームがQBよりも補強すべきポジションがあったことが影響している。彼の身長が6フィート2インチとQBとしてはそれほど大きくなかったことも関係した。パッカーズに1巡目で指名された彼はジェフ・テッドフォードの指導を受けたQBとしてアキリ・スミス、トレント・ディルファー、ジョーイ・ハリントン、カイル・ボラーに次いで6人目のドラフト1巡指名を受けたQBとなった。8月に彼は5年間770万ドル、インセンティブで2450万ドルの契約を結んだ。2005年彼はブレット・ファーヴの控えとして4勝12敗で終わるシーズンを見守った。彼は勝敗の決まったニューオーリンズ・セインツ戦、ボルチモア・レイブンズ戦に登場しただけであった。2006年もファーヴが現役を続行したため前年同様控えQBとしての役割に終始した。11月19日のニューイングランド・ペイトリオッツに負傷したファーヴに代わって途中出場した彼は左足を負傷し故障者リスト入りしシーズンを終えたが2007年シーズン開幕前に回復した。最終節でチームがシカゴ・ベアーズに勝った後、NBCのインタビューに対してファーヴは2007年も現役続行することを明かしロジャースが先発QBの座を得られるのはさらに延期された。オークランド・レイダーズのWRランディ・モスとのトレード要員として放出されるとの情報もあったが、WRモスはペイトリオッツへの移籍が決定し、ロジャースがトレードされることはなかった。2007年11月29日のサーズデーナイトゲームとなったダラス・カウボーイズ戦で負傷したQBファーヴの代わりに交代出場し18本のパスを成功させ201ヤードを獲得、インターセプト0、またプロ入り後初のタッチダウンパスを決めて交代後17点をあげ、一時3点差まで詰め寄ったが3回サックされ試合は27-37で敗れた。2008年3月4日にファーヴが引退を発表し2008年シーズンからロジャースが先発QBに起用されることが決まった。ファーヴはその後引退を撤回したがロジャースをエースQBにするというチームの方針は変わらずファーヴはその後ニューヨーク・ジェッツにトレードされた。ランボー・フィールドで行われた開幕戦のミネソタ・バイキングス戦に先発するとパス試投22回中18回成功178ヤードを稼ぎ1タッチダウンパスをあげると共にランでも1タッチダウン、先発初試合を勝利で飾った。パッカーズでファーヴ以外のQBが先発したのは1992年以来のことであった。シーズン終了時の成績はパス536回中341本を成功、成功率63.6%、4038ヤード、28タッチダウン、13インターセプト、QBレイティング93.8とNFC3位の成績を残した。特に先発1年目での4000yds突破は1999年のQBカート・ワーナー以来9年ぶりの快挙であった。第2週のデトロイト・ライオンズ戦では328ヤードを投げて3タッチダウンパスを決めて週間最優秀攻撃選手に選ばれた。第4週のタンパベイ・バッカニアーズ戦でデリック・ブルックスにインターセプトされるまで157回連続インターセプトなしの記録を作った。これはバート・スターの294回、ファーヴの163回に次ぐチーム史上3番目の記録であった。この試合で彼は肩を痛めたがプレーを続行し2週間後に行われたシアトル・シーホークス戦でも元気な姿を見せた。チームは接戦を落とし続け、終盤には6連敗を喫するなど6勝10敗で終えた。同年10月31日に2014年までの6年間6500万ドルの契約を結んだ。2009年、NFCの10月の月間MVPに選ばれる活躍を見せ、バート・スターのチーム記録を塗り替える5試合連続QBレイティング100を越える活躍を見せたが10月5日の試合では自己ベストとなる384ヤードを投げたものの8サックを浴びて敗れるなど開幕からの8試合で37サックを浴び、シーズン中リーグ最多の50サックを浴びたものの30タッチダウン、7インターセプトの成績をあげてチームをプレーオフまで導いた。アリゾナ・カージナルスとのワイルドカードプレーオフではオーバータイムにマイケル・アダムスのヒットでボールをファンブル、これをカルロス・ダンスビーにリカバーTDされて45-51と敗れシーズンを終えた。この年プロボウルに初めて選出された。2010年シーズンには開幕戦でエースRBライアン・グラント、その後TEジャーマイケル・フィンリー、LBニック・バーネットら主力選手が多く離脱し、10月10日のワシントン・レッドスキンズ戦、12月12日のデトロイト・ライオンズ戦で脳震盪を起こし12月19日のニューイングランド・ペイトリオッツ戦を欠場した。レギュラーシーズン最後の大事な2試合となったニューヨーク・ジャイアンツ戦では自己ベストの404ヤードを獲得、4TDパスを成功させ週間MVPに選ばれた。そして最終週のシカゴ・ベアーズ戦でも勝利を収めて10勝6敗でかろうじてチームを第6シードでプレーオフに進出させ12月-1月のNFC月間MVPに選ばれた。プレーオフではフィラデルフィア・イーグルス戦で3タッチダウンパス、アトランタ・ファルコンズ戦ではパス36回中31回成功、3タッチダウンパス、1タッチダウンランをあげて勝利した。シカゴ・ベアーズとのNFCチャンピオンシップゲームでは244ヤードを投げてタッチダウンパスなし、2インターセプトを喫したがタッチダウンランをあげるなど、チームをスーパーボウルに導き、第45回スーパーボウルではパス39本中24本を成功、304ヤードを獲得、3TDパスを決めパッカーズを14年ぶり4度目の優勝に導きMVPに選ばれた。2011年、開幕戦から3試合連続QBレーティング100以上の活躍を見せてチームを3連勝に導き、9月のNFC攻撃部門月間MVPに選ばれる。最終的にチームはディビジョナル・プレイオフでニューヨーク・ジャイアンツに敗れたものの、パス獲得ヤード4,643、45TD、QBレートではNFL新記録となる122.5を記録するなど大活躍しシーズンMVPを獲得。現役最高のQBの一人という名声を不動のものとした。特にパス試投502回、被インターセプト6回というインターセプト率の低さ(1.19%)は特筆すべき成績である。2012年、オフェンスラインの崩壊や、代替審判による批判の声が多く上がった判定によるシアトル・シーホークスへの敗戦など、開幕から5試合で3敗したが、第6週の試合では、6TDパスを投げる活躍を見せて、開幕から5連勝していたヒューストン・テキサンズを破った。2013年11月4日のシカゴ・ベアーズ戦でシェイ・マクレリンにサックされた際、左鎖骨を骨折し全治4週間から6週間の怪我を負った。経歴にあるとおり、49ersはQBアレックス・スミスとロジャースのどちらかを指名すると見られており、ギリギリまで迷っていたと報道されている。パッカーズもロジャースとの面接は行っていたが、指名まで残っているとは予想しておらずパッカーズのGMテッド・トンプソンは「直前になってロジャースが残っているかもしれないという情報を聞き、テープを入念にチェックした」と語っている。ドラフト会場にはロジャース一家への同情の空気が満ちており、指名と同時に大歓声が挙がった。またロジャースはパッカーズ入りを熱望しており、トンプソンGMとの面接では指名権のトレードアップを申し出ていた。強肩で正確性のあるパスを投げる。非常に落ち着きがあり、レシーバーをしっかり見定めてパスを投げる。走りながらのパスも正確であり、さらに自らの足でヤーテージを稼ぐこともできる。無理なパスをあまり投げないのでインターセプトが少ない。1人のレシーバーだけをロックオンということがなく、フィールド全体からパスターゲットを探す視野の広さがある。ファーヴとともに練習を重ねたこともあり、パスのリリースポイントが一般的なQBより高いこともインターセプトの少なさに拍車をかけているといえる。モバイル型というほどではないが、前述の通りQBとしては非凡な走力を持っており、第3ダウンロング等、パスシチュエーションでは自らのスクランブルによるファーストダウン獲得も目立つ。NFLにおける初先発試合最初のタッチダウンも自らのランによるものだった。ショートパスなど堅実でリスクの少ないプレーに終始するタイプかと思われがちだが、決して安全運転というわけではなく、好機と見ればビッグプレーを狙うこともある。落ち着きがあり、非常に謙虚な人格者。パッカーズ入団を喜ぶ姿勢を崩さなかった。リーダーシップもある。カリフォルニア州北部出身ということもあり、子供の頃の憧れはQBジョー・モンタナ。彼の引退後はQBファーヴが好きだった。QBモンタナの後任QBスティーブ・ヤングがスーパーボウルを制覇したように、彼もファーヴ後のGBにスーパーボウルの栄冠を取り戻すことを夢見ていた。QBに必要な資質としてチームリーダーとしての役割、精神面を答えている。弟のジョーダン・ロジャースは、2013年4月、ドラフト外フリーエージェントでジャクソンビル・ジャガーズと契約を結んだ。
出典:wikipedia
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