内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年9月11日)は競輪選手、自転車競技選手。東京都中央区出身。日本競輪選手会栃木支部に所属していた。師匠は福田明。弟子には、アテネパラリンピック(2004年)、自転車競技・タンデムスプリント(視覚障害部門)において、葭原滋男のパイロットとして同種目の銀メダル獲得に貢献した大木卓也がいる。学校法人石川高等学校を経て作新学院高等学校に転校し、同校を卒業。2001年、日本競輪学校第87期生として入学。2002年8月3日、ホームバンクであった宇都宮競輪場でデビュー(3着)。2003年4月24日、宇都宮で開催されたルーキーチャンピオンレースにおいて、平原康多らを破って優勝。また同年行われた全日本プロ選手権自転車競技大会の4km個人追い抜きで優勝。以後同大会同種目において、2008年まで6連覇を達成。2004年4月、四日市競輪場で開催されたアジア自転車競技選手権大会において、4km個人追い抜きとスクラッチの二冠を達成。スクラッチでは、後に同種目の世界王者に輝くことになる香港のワン・カンポ(3位)らを撃破。この大会の優勝により、両種目のアジアチャンピオンとして同年5月、オーストラリア・メルボルンで開催された世界選手権の出場権を獲得し出場(4km個人追抜15位、スクラッチ11位)。同年12月、アメリカ合衆国・ロサンゼルスで開催されたUCIトラックワールドカップクラシックス第2戦のポイントレースで6位入賞。翌2005年3月、ロサンゼルスで開催された世界選手権に出場した(4km個人追抜19位、ポイントレース途中棄権)。2006年、カタール・ドーハで開催されたアジア競技大会では、個人、団体の両追い抜き種目に出場。団体追い抜きでは4位入賞を果たした。一方で競輪のほうでも、2008年7月20日に四日市競輪場で行われたサマーナイトフェスティバルの決勝戦に進出し4着に入るなどした。しかし同年9月11日、第51回オールスター競輪(一宮競輪場)第7レース(発走時刻、午後1時15分)に出走した際、最終周回2センター(3コーナー)付近において、主導権争いに破れて後方へと後退中の選手と、捲りを試みていた選手の3番手を追走していた選手との間に挟まれ 落車。この時他車との接触により前輪のワイヤースポークが全壊したため車体ごと前のめりに崩れ落ち、顔面からバンクに叩きつけられたことによる衝撃が致命傷となってしまった。これにより頭蓋骨を骨折し、うつ伏せのまま吐血して動けなくなり、すぐに一宮競輪場の近隣にある大雄会病院へ緊急搬送されたが、同日午後3時59分、外傷性クモ膜下出血のため死去した。享年28(27歳没)。通算戦績421戦82勝。優勝17回。選手登録削除日は2008年9月12日。
出典:wikipedia
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