緑風荘(りょくふうそう)は、岩手県二戸市金田一の温泉郷にある旅館。及び通信販売「有限会社 えんじゅ」、「株式会社 座敷わらし」を運営している。その他、ファンクラブ真白乃会事務局(旧ファンクラブの亀麿会は本家と分離して個別活動)、亀麿神社(わらし神社)管理・維持。宿泊のほか日帰り入浴も可能。低張性弱アルカリ低温泉。単純温泉(ラジウム温泉)。300年以上前、南部藩の湯治場だったことから「侍の湯」と呼ばれていた。日本を代表する座敷わらしの出没する宿として地位を保ち続けている。座敷わらしの名前は亀麿(かめまろ)と呼ばれ、宿では物の怪としてではなく先祖の守り神(精霊)として同施設内に亀麿神社(わらし神社)をつくり祀っている。ご神体は水晶で例大祭は毎年9月28日に行われる。館内は芸能人との記念写真やゆかりの品、ぬいぐるみであふれている。今日まで多くの著名人が宿泊し、昨今でも幅広いメディアで取り上げられている。本館と別館で構成され本館母屋の奥座敷「槐(えんじゅ)の間」に座敷わらしの目撃例が多く文化人・著名人が多く宿泊することで有名だが、「槐の間」は人気が高く、1週間の予約期間、一気に3年間の予約を電話のみで受け付けるため予約は大変困難だった。。毎回、受付開始数日間は電話が殺到するため回線障害が発生していた。新館(別館)は予約なしで宿泊できることが多い。「槐の間」だけでなく館内いたるところでの目撃例が多く、新館の部屋にも姿を見せることもある。座敷わらしのほうから人を選ぶといわれ、必ずしも「槐の間」に出現するわけではない。宿泊以外に「槐の間」見学も可能で、全国からお供えの品などを奉納する方も多い。しかし「槐の間」の宿泊客がチェックインが早くアウトも遅いといった場合、容易に見学はできず、あくまでも「槐の間」宿泊客が食事などで不在の際に公開されていた。巨大なぬいぐるみを奉納する非常識な方もいたためぬいぐるみの奉納は禁止する方針に転換した。なお、2009年(平成21年)10月4日に起きた火事で、座敷わらしを祀る中庭の亀麿神社以外が全焼。従業員・宿泊客は全員無事だったが、営業停止状態となった。2016年5月14日より営業を再開。1300年(南北朝時代)、南朝の武将が北朝(足利尊氏)方との戦いに敗れ落武者となり大和国(現・奈良県)から武蔵国五日市(現・東京都あきる野市)に落ち延びこの地名を苗字とした。しかし、この地は関東の勢力範囲内でそこから更に陸奥国(金田一)に落ち延びる。この時6歳と4歳の男の子がおり、金田一までの旅路で兄の亀麿(かめまろ)は病にかかり死去する。死の床で「末代まで家を守り続ける」と言い息を引き取った。この亀麿の霊が奥座敷「槐の間」に棲みつき「家の守り神」となり、時々客人に姿を見せたり悪戯をするようになったと言い伝えられている。この部屋に泊まり座敷わらしに出会えると驚くほどの幸運に恵まれ男は出世し、女は玉の輿にのると一般的に言われている。詳細は緑風荘を紹介した旧サイト参照。読売新聞のウェブサイトによるとボイラー室が出火元の事故と発表された。宿泊客には24時間入浴を開放していたため、出火以前から掲示板などで深夜のボイラー室から出る異常音を指摘されていたが、メディアへの公式コメントでは、宿主は定期的なメンテナンスをしていて異常は無かったと発表している。座敷わらしの定義や伝説は地方により大きく異なる。
出典:wikipedia
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