A-37は、アメリカ空軍がセスナT-37を基にして開発した軽攻撃機(COIN機)である。愛称はドラゴンフライ(DragonFly:トンボの意)。1960年代初期、東南アジアにおいて南ベトナム解放民族戦線やパテート・ラーオ、クメール・ルージュ、新人民軍などの共産系ゲリラの活動が活発化しており、アメリカは対抗策の一つとして、親米国にCOIN機としての運用が可能なA-1スカイレイダー(旧米海軍機)やT-28Dトロージャン(旧米空軍機)を供与していたが、A-1、T-28共に1957年に製造終了となっており、将来的に機体の損耗補充や補修用部品の供給が困難になることが予想された。これに対処する形で、T-37の機体を基にしてアメリカ空軍の親米中小国向け新型COIN機開発要求に基づいて設計開発された機体である。原型となったT-37には主翼下にハードポイントを設けて武装の搭載を可能にしたC型と、これを基により本格的な軽攻撃機型としたXAT-37Dがあり、このうちXAT-37Dを選定、YA-37Aと改称し、T-37Bの生産機のうち39機が改装の上A-37Aとして配備された。A-37Aは1967年8月より4ヶ月間、ベトナム戦争において『コンバット・ドラゴン』の作戦名で近接航空支援を始めとして救難ヘリコプター護衛、前進航空統制 (FAC)、夜間阻止攻撃などの実戦評価が行われた。結果は良好であり、続いて『コンバット・ドラゴン』作戦の結果から得られた戦訓を元に各所を改修したA-37Bが開発され、これはすべて新造機として生産された。A-37Bは南ベトナム空軍にA-1スカイレイダーの後継機として187機が供与されたが、1975年4月30日の南ベトナム敗北によって95機が統一後のベトナム空軍に鹵獲され(残りの92機はタイへ逃亡後アメリカへ返還)、F-5と同様にカンボジア侵攻や中越戦争の頃まで戦力として運用されたが、予備部品の枯渇から一部の機体がポーランド、旧ソ連、旧東ドイツに送られたり、ベトナム国内の軍事博物館に展示されたり、海外の軍用機コレクターに売却されるなどされた。アメリカ空軍では第一線部隊から退役した後、空軍州兵や空軍予備役部隊に配備され、一部の機体はOA-37Bとして前線航空管制(FAC)任務に就けるように通信装置の強化改造を施されたが、現在、A-37Bはより高性能のA-10に更新され、中古のA-37B/OA-37Bは韓国やラテンアメリカ諸国へ輸出・供与された。@Wiki日本周辺の軍事兵器 - A-37B戦場統制機「ドラゴンフライ」@Wiki日本周辺の軍事兵器 - ブラックイーグルズ(韓国空軍アクロバット・チーム)
出典:wikipedia
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