竇泰(とう たい、500年 - 537年)は、中国の東魏の軍人。字は世寧。大安郡捍殊県出身。本貫は清河郡観津県。竇楽の子として生まれた。竇楽は523年の破六韓抜陵の乱のときに統万鎮を守って殺害された。竇泰は戦死した父兄の骸骨を背負って爾朱栄に帰順した。邢杲に対する征討に従い、功績により広阿子の爵位を受けた。竇泰の妻の婁氏は、高歓の妻の婁昭君(武明婁皇后)の妹であり、高歓と親交があった。高歓が晋州にいたとき、竇泰を鎮城都督とするよう願い出て、軍事の謀に参与させた。竇泰は蔚州刺史・相州刺史を歴任し、侍中・京畿大都督に累進し、まもなく御史中尉を領した。御史台にあって多くの人を検挙することはなかったが、官僚たちには恐れられた。536年、高歓が3路に分かれて西魏を攻撃したとき、竇泰には潼関から侵入させた。537年、竇泰が小関に到着すると、宇文泰の襲撃を受けて、軍は潰滅し、竇泰は自殺した。大司馬・太尉・録尚書事の位を追贈され、諡を武貞といった。
出典:wikipedia
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