土佐電気鉄道株式会社(とさでんきてつどう)とは、高知県で路面電車と、路線バスを運営していた会社である。2014年10月1日より、高知県交通・土佐電ドリームサービスとともにとさでん交通株式会社へ事業統合した。専ら地元では土電(とでん)と呼ばれていた。県外では土佐電鉄、また(東京)都電と区別するため鉄道関係雑誌などでは土佐電と呼ばれることが多かった。高知県は、とさでん以外に電化路線が存在しないため、「電車」と呼ばれることも多い。以下に記す鉄道・軌道事業・バス事業についての内容はとさでん交通への移管直前の2014年9月30日時点のものである。軌道事業(路面電車)として高知市内で伊野線・後免線・桟橋線の3つの路線を、高知県内を中心としたエリアで路線バス・高速バス・貸切バスをそれぞれ運営していた。路面電車の3路線は、はりまや橋停留場で交差しており、総延長は25.3kmで、広島電鉄に次ぐ(宮島線を除けば日本最大)規模の路線を有する。市内中心部と東西の郊外を直接結んでおり、電車の運転頻度も比較的高いため、利用しやすい。かつては後免 - 安芸間の鉄道線(安芸線)も運営していたが、車社会の進展と国鉄阿佐線(現在一部が土佐くろしお鉄道阿佐線・阿佐海岸鉄道阿佐東線として開業)の建設のため1974年に廃止された。利用者獲得・利便性向上のためパークアンドライドによるマイカーと公共交通機関の共存、電車・バスが同一ホームで乗り換え可能なように改修、老朽化した駅舎の建替に合わせたコンビニエンスストアの併設、さらに地元のコンビニエンスストアスリーエフと提携し定期券の継続手続きを行うなどの努力を行い、鉄道事業に限ればほぼ収支は均衡していた。ただ、利用者は1960年前後をピークとして減り続けている。1969年からは日立製作所と日産自動車が最初のスポンサーとなり、長崎電気軌道に次いで日本で2番目となる電車車体の全面広告を開始した。当初は試験的な意味合いが強く、その後一時中断したものの、1978年から本格的に導入された。広告電車を運行する企業はそれをさらに会社パンフレットなどの広報に使うこともあり、ゲーム会社ハドソンは桃太郎電鉄シリーズ宣伝のため600形電車(622号)を利用した広告電車を1994年から1999年まで運行、さらにそれを日本全国に流すテレビCMにも利用した。最近では、2005年3月5日から6月17日まで放送されたポカリスエットのテレビCMにて、走る女子高生(演じているのは綾瀬はるか)に併走する形で、全面をポカリスエットの広告でラッピングした600形電車(630号)が登場した。2005年12月17日には名古屋鉄道から購入したモ590形電車が運行を開始した。日本の地方鉄道の常として、通学利用客が横這いなのに対して通勤利用が著しく減少し、高齢者や身障者、車を持たない主婦の買い物などの利用に偏っている。今後、少子化による通学定期利用者の減少は避けられず、軌道の経営は苦しくなると予想されているが、同時に高齢化のため、公共交通の維持が一層求められるという矛盾が生じることとなる。このため、かねてから高知県や高知市では土電に対して公金をもっての支援を検討しており、県民の理解度を調査してきた。市民からは学生や高齢者を中心に存続を求める声が多く、この公的支援によりとさでん交通が設立されることになる。会社では存続のための話題づくりとして、ドイツ・シュトゥットガルト市電を始めとする日本国外の路面電車を1990年から運行させたり、2002年には超低床電車「ハートラム」の導入などを実施した。しかし外国電車も導入当初の話題性が薄れると1994年の910形を最後に中断となり、さらなる経営環境の悪化から2005年の2000形2003号を最後に新造車の導入も中断されていた。このような状況下、将来性が見込めないとして、1990年代に土佐電気鉄道と高知県交通の2社は高知県下を二分してきたバス事業について一元化し、経営統合する構想が持ち上がった。しかし当時は資金調達の面で両社間の調整が付かず、持ち越しとなっていた。2001年8月にはバス事業の経営効率化を目的として、100%子会社の土佐電ドリームサービスを設立、南国市を中心とした路線の一部を同社へ移管した。長期間に亘り膠着状態となっていた一元化問題が解決する転機となったのは、2013年3月に土佐電気鉄道の社長が元暴力団関係者と関係を持っていたことを理由に辞任した不祥事が発生したことである。この一件を契機に、高知県の公共交通のあり方について検討を行う「中央地域公共交通再構築検討会」が立ち上がった。この検討会において、土佐電気鉄道・高知県交通の2社合計で借入金の金額が約75億円、かつ約35億円の債務超過状態にあり、今後経営を維持していくのは非常に困難であることが明らかとなる。そして公共交通を維持していくためにも、2社のバス事業のみならず軌道事業も含めた土佐電気鉄道全体、そして同社の子会社である土佐電ドリームサービスをも含めた3社の事業分離を行うのが望ましいとの結論に達した。新会社には高知県が50%、高知市(35%)を筆頭に県内の市町村が50%を出資し、事実上の公企業(第三セクター)として再出発することになった。そして当初の予定通り、2014年10月1日共同分割方式により新会社とさでん交通が設立され3社は経営統合した。以下の3路線は、2014年10月1日からとさでん交通に継承された。これらの路線にはトンネルが全くない。各地に向かう最終電車の行き先表示にはLED方式では「(最終)○○」と表示され、幕布式の場合は赤地に白文字で表示された。以下の2路線は土佐電気鉄道時代に廃止された。2014年9月30日時点で在籍していた車両は以下の通り。翌10月1日付で実施されたとさでん交通への経営統合に伴い、全車両が同社に承継された。以下の車両は土佐電気鉄道時代に運用を終了した。2014年4月1日改定。小児は半額(10円未満は切り上げ)全便高知県交通との共同運行、その他の路線毎の共同運行会社は(括弧内)に記す。※[]囲みの数字は、1993年に導入された路線番号。高速路線に使用されている車両は、ほとんどが日野車であるが三菱車も存在している。車番はナンバープレートの一連指定番号をそのまま使用している。一般路線に使用されている車両は、日野車と三菱車が半々程度存在している。いすゞ車は1976年以降皆無だったが、2001年に岩手県交通からボンネットバスの廃車を購入して復元(2001号、土佐電ドリームサービス籍)したものが、2009年5月に個人に売却されるまで1台存在していた。路線車のライフサイクルは25年 - 30年程度と非常に長く、2006年頃までモノコックバスが多数残存していた。しかし経年劣化はいかんともしがたく、2011年3月にモノコック車は全廃となり、スケルトンタイプの経年車も廃車が進んでいる。近年はこうした経年車の置き換えを進めるため、子会社の土佐電ドリームサービスとともに京阪バスや阪急バスなどからの譲渡車を導入し、現在も増備されている。なお、モノコック車の中には方向幕がLED式に改造されているものも存在するが、行先表示が幕式だったとき系統廃止になっても幕の交換をあまりせず系統追加の場合もそのまま継ぎ足していたためコマ数が100を超える車両がほとんどだった(最大187コマ)。そのことと系統が複雑なせいか上りのバスは幕の巻取りに時間が掛かるため、単に「はりまや橋」、「はりまや橋・桟橋車庫」、「桟橋車庫」、「県庁前」の表示を見かけることが多かった。また市内路線専用で整理券器、運賃表示機を装備しない単区間仕様の車両もあった。路線車と貸切車の車体の塗装はそれまで「銀バス」と呼ばれた銀色一色から昭和20年代末に一畑電気鉄道(現在の一畑バス)の塗り分けを参考にし白地に屋根と中央部のラインが緑、下部をあずき色に決めた。現在でもある貸切車の「尾長鳥」のエンブレムは1955年に採用された。路線車は現在の塗装になったのは1966年新屋敷線がワンマン運転を開始した際に採用され、順次他路線がワンマン化されるのに伴い変更された。貸切車と区別するため中央部のラインが青でそのライン上に「土佐電気鉄道」の社名表示があり、そのため年配者から「青バス」の愛称で親しまれている。1980年代後半に青から現在の緑に変更し、社名表示も後下部に変更となった。2010年7月から路線用の22号車が白をベースに緑と黄緑のラインが入った新塗装となった。バスについては高知市内均一区間を除いて初乗り130円(小児70円)円の対キロ制で、ICカード「ですか」採用後は基本的に全路線で整理券が発行される。高知市内均一区間は200円(小児100円)である(2014年4月1日改定)。(50音順)
出典:wikipedia
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