ラーイオス()は、ギリシア神話に登場するテーバイの王である。長母音を省略してライオスとも表記される。テーバイ王ラブダコスの息子。メノイケウスの娘イオカステー(エピカステーとも)との間に息子オイディプースが生まれた。ラーイオスがオイディプースに殺された神話は後に「エディプスコンプレックス」の語源となった。気性激しく頑迷、独善的で責任感が欠如した欠徳の王として描かれているが、大恩あるペロプスが溺愛する子息に欲情して狼藉を働く、事前に神託を受けていながらそれを破って王妃と子を成すなど、特に自制心の欠如が甚だしい。スピンクスによる騒動もペロプスの子息への狼藉に対するヘーラーの天罰に起因するとの説もあり、オイディプース以降の悲劇も含めて、テーバイ滅亡の原因の大半を作った人物でもある。以下はアポロドーロスの『ビブリオテーケー』(日本語訳『ギリシア神話』III 5.5 - 5.8)に基づく。ラブダコスが死んだとき、ラーイオスは1歳だったので、リュコス(ラーイオスの曾祖父ニュクテウスの弟)が王権を簒奪し、20年間その座にあった。その後リュコスは妻ディルケーとともにアムピーオーンとゼートスに殺され、アムピーオーンがテーバイの王となった。このとき、ラーイオスはテーバイから追放され、ペロポネーソスでペロプスの客となった。ペロプスにはクリューシッポスという息子があり、ラーイオスは戦車を駆る術を教えているときにクリューシッポスに恋情を覚え、彼を誘拐した。アムピーオーンの死後、ラーイオスはテーバイ王となり、イオカステーを妻とした。ラーイオスには「男子をもうけるな。もし生まれればその子に殺される」との神託があったが、ラーイオスは酒に酔って妻と交わり、やがて男子が産まれた。ラーイオスは赤ん坊の踵を留め金で貫き、牧人に命じて息子をキタイローン山中に捨てさせた。しかし、コリントス王ポリュボスの牛飼いがこれを拾ってポリュボスの妃ペリボイアに預けた。ペリボイアは赤ん坊をオイディプース(「腫れた足」の意)と名づけて養子として育てた。 オイディプースが成長すると、ポリュボスの実の子ではないとの噂がたった。ペリボイアは真相をなにも語らず、オイディプースは両親について尋ねるためにデルポイに赴いた。神託は「故郷に戻れば父を殺し母と交わることになる」というもので、オイディプースはコリントスを捨て、ポーキスに向かって戦車を走らせた。その途上でラーイオスの戦車に出会った。ラーイオスの伝令使ポリュポンテースがオイディプースに退くように言ったが、オイディプースが従わずにもたついていたため、ポリュポンテースはオイディプースの馬を1頭殺した。怒ったオイディプースはラーイオスとポリュポンテースを殺してしまった。ラーイオスはプラタイアイの王ダマシストラトスによって葬られ、テーバイの王座はメノイケウスの息子クレオーンが継いだ。ハンガリーの神話学者カール・ケレーニイによれば、エウリーピデースの悲劇『クリューシッポス』(散逸)において、ラーイオスは「少年愛」の始祖とされている。また、この誘拐事件によってラーイオスはペロプスから呪われ、息子をもうけることが許されず、もしもうければその息子に殺される運命になったとする。イギリスの詩人ロバート・グレーヴスは、クリューシッポスの誘拐は、王の統治の1年が終わったときに身代わりの生け贄を捧げた儀式と関係があるとする。また、ラーイオスの死は、太陽王が世継ぎの手によって戦車から投げ飛ばされ、馬で引きずられて殺される祭式を記したものであるとする。
出典:wikipedia
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